翻刻
【右丁】
住吉(すみよし)の宮居(みやゐ)を建立(こんりふ)せしとなり《割書:摂州(せつしう)の佃村(つくたむら)は西成郡(にしなりこほり)にあり古今集(こきんしふ)にた|みのゝ島(しま)とよめるは是(これ)なりかしこにも》
《割書:住吉明神(すみよしみやうしん)の宮居(みやゐ)ありて神功皇后(しんこうくわうこう)三韓征伐(さんかんせいはつ)御帰陣(こきちん)の時(とき)其地(そのち)に御舩(みふね)の艫綱(ともつな)を|かけ給ひしより已降(このかた)佃村(つくたむら)の地(ち)に御舩(おんふね)の鬼板(おにいた)を傳(つた)へいつき祭(まつ)る事/千有余年(せんいうよねん)なりと》
《割書:いへり當社(たうしや)は|此(この)分社(ふんしや)たり》毎歳(まいさい)六月晦日/名越祓修行(なこしはらひしゆきやう)あり《割書:例祭(れいさい)は毎歳(まいさい)六月廿八日廿九日|両日なり人々/群集(くんしふ)す》
逍遥院実隆公(せうえうゐんさねたかかう)住吉奉納和哥(すみよしほうなうわか)十首の題(たい)を詠(えいし)て奉りし中に
江上月
此浦の入江の松に澄月のみなれそなれて幾秋かへむ 戸田茂睡
名月やこゝ住吉のつくたしま 其角
此地(このち)は都下(とか)を去(さる)事/咫尺(しせき)なれとも離島(はなれしま)にして漁人(きよしん)の住家(ちゆうか)のみ
所得顔(ところえかほ)なり弥生(やよひ)の潮乾(しほひ)には貴賤(きせん)袖(そて)を交(まし)へて浦風(うらかせ)に酔(ゑひ)を醒(さま)し
貝(かひ)拾(ひろ)ひあるは磯菜摘(いそなつむ)なんと其(その)興(きやう)殊(こと)に多(おほ)し月(つき)平沙(へいさ)を照(てら)しては
漁火(きよくわ)白(しろ)く芦辺(あしへ)の水鶏(くひな)波間(なみま)の千鳥(ちとり)も共(とも)に此地(このち)の景色(けいしよく)に入て四(しい)
時(し)の風光(ふうくわう)足(たら)すとする事なし
鎧島(よろひしま) 佃島(つくたしま)の北(きた)に並(なら)へり今(いま)石川島(いしかはしま)と号(なつく)《割書:俗(そく)に八左衛門殿島(はちさゑもんとのしま)ともいへり昔(むかし)|大猷公(たいいうこう)の御時(おんとき)石川氏(いしかはうち)の先代(せんたい)此島(このしま)を》
《割書:拝領(はいりやう)するよりかく唱(とな)ふるとなり寛政(くわんせい)四年/石川氏(いしかはうち)|永田(なかた)町へ屋敷替(やしきかへ)ありしより炭置場(すみおきは)人足寄場(にんそくよせば)等(とう)になれり》舊名(きうみやう)を森島(もりしま)と云(いふ)よし江戸(えと)の
【左丁】
古図(こつ)に見えたり《割書:文亀(ふんき)|古図(こつ)》又/其図(そのつ)に記(しるし)て云(いは)く此島(このしま)一/名(みやう)を鎧島(よろひしま)と号(なつ)く
古(いにし)へ八幡太郎義家朝臣(はちまんたらうよしいへあそん)鎧(よろひ)を収(をさ)めて神體(しんたい)とし八幡宮(はちまんくう)を勧請(くわんしやう)
す石川大隅守(いしかはおほすみのかみ)居住(きよちゆう)の時(とき)は其(その)庭中(ていちゆう)にありしか今(いま)は鉄炮洲稲荷(てつほうすいなり)
境内(けいたい)にありと云云《割書:或人云(あるひといふ)昔(むかし)猷廟(いうひやう)の御時(おんとき)異国(いこく)より鎧(よろひ)一領(いちりやう)を奉(たてまつ)りけるに|重(おも)くして是(これ)を持(もつ)ものなかりし時石川氏の祖(そ)大力なりけれは》
《割書:是(これ)を片手(かたて)に持(もち)て 大樹(たいしゆ)の御前(こせん)へ披露(ひろう)なし奉(たてまつ)る故(ゆゑ)に御感賞(こかんしやう)のあまり此所(このところ)を|宅地(たくち)にたまふとなり鎧(よろひ)を携(たつさ)へし賞(しやう)として給ふ所(ところ)の地(ち)なれはとて鎧島(よろひしま)と号(なつ)け|られけるとなり》
江風山月楼(かうふうさんけつろう) 築地稲葉侯(つきちいなはこう)別荘(へつさう)の号(かう)なり寛文(くわんふん)二年壬寅の春(はる)此所(このところ)
の海汀(かいてい)を塡(うつ)み土(つち)を積(つみ)石を畳(たゝ)むて翌(あく)る年(とし)の秋(あき)其功(そのこう)なれりと
いふ風光(ふうくわう)他(た)に勝(すく)れ殊(こと)に洞庭(とうてい)の秋影(しうゑい)にも越(こえ)たりとなり
咳逆(せきの)耆嫗(ちゝはゝ)《割書:同/藩中(はんちゆう)にありいつれも高さ二尺はかりの石像(せきさう)なり稲葉侯(いなはこう)の始(し)|祖(そ)小田原(をたはら)にありし時(とき)其(その)辺(あた)りを巡見(しゆんけん)せられしにとある深(み)山に至(いた)るに》
《割書:一の草庵(さうあん)に一人の老僧(らうそう)の住(すめ)るあり其(その)号(かう)を風外(ふうくわい)と云(いふ)と後(のち)是(これ)を城中(しやうちゆう)に請(しやう)せんとする|事(こと)屡(しは〳〵)なり故(ゆゑ)に其後(そのゝち)一度/城(しろ)に入來(いりきた)り城主(しやうしゆ)に見(まみ)ゆるといへともあへてよろこひとせす》
《割書:受(うく)る所(ところ)の種々(くさ〳〵)は其(その)家臣(かしん)田崎某(たさきそれかし)か許(もと)に置(おき)て出去(いてさり)終(つひ)に行方(ゆくへ)をしらすとなり其(その)住(すみ)たる|所の庵(いほり)に件(くたん)の石像(せきさう)を残(のこ)してありしを後(のち)此地(このち)にうつされけるとなりされと耆嫗(きう)共(とも)に》
《割書:何人なる事をしらすとそ傳云(つたへいふ)此(この)耆嫗の石像(せきさう)を一/雙(さう)並(なら)へ置(おく)時はかならす耆の石像/倒(たを)|るゝ事ありとそ依(よつて)耆の石像は稲葉侯(いなはこう)累代(るいたい)の牌堂(はいたう)に遷(うつ)し嫗の石像は稲荷社前(いなりのしやせん)に|置(おく)となり又耆の石像は口中に病(やまひ)あるもの寄願(きくわん)し嫗の石像は咳(せき)を悩(なやむ)もの■(き)【寄ヵ】》