東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之2 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之2 - ページ 41

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【右丁】 【図】 【枠内】裏門 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】寺中 【枠内】総門 【左丁】  《割書:願(くわん)するにかならす|霊験(れいけん)ありといへり》 西本願寺(にしほんくわんし) 同所/川(かは)を隔(へた)てゝ北(きた)の方(かた)にあり俗(そく)に築地(つきち)の門跡(もんせき)とよへり  《割書:或人云(あるひとのいふ)此地(このち)は明暦(めいれき)四年に仰(あふせ)の事|ありて築所(つくところ)なりといへり》一向派(いつかうは)にして京都(きやうと)西六条(にしろくてう)よりの輪番(りんはん)  所(しよ)なり《割書:宗派(しうは)のもの是(これ)を|表方(おもてかた)といふ》塔頭(たつちう)五十七/宇(う)あり始(はしめ)横山町(よこやまちやう)二丁目の南側(みなみかは)  裏通(うらとほ)りにありしを明暦大火(めいれきたいくわ)の後(のち)此地(このち)に移(うつ)さる准如上人(しゆんによしやうにん)を當寺(たうし)の  開祖(かいそ)とす《割書:江戸名所記(えとめいしよき)に 神祖(しんそ)御在世(こさいせ)の時(とき)より京都西本願寺(きやうとにしほんくわんし)の末寺(まつし)を立(たて)られ|宗流(しうりう)を汲(くむ)輩(ともから)を勧(すゝめ)らるゝと云々/白石先生(はくせきせんせい)云(いは)く善養寺(せんやうし)といふ一向僧(いつかうそう)東(ひかし)》  《割書:本願寺(ほんくわんし)の建立(こんりふ)を見(み)て公(おほやけ)へ願(ねか)ひて立(たつ)る所(ところ)なりとそ|和漢年契(わかんねんけい)に延宝(えんはう)八年庚申/西本願寺(にしほんくわんし)立(たつ)とあり》本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は聖徳(しやうとく)  太子(たいし)の彫像(てうさう)にして泉州堺(せんしうさかひ)の信證院(しんしやうゐん)よりうつす毎年(まいねん)七月七日  立花會(りつくわゑ)十一月廿八日/開山忌(かいさんき)にて七昼夜(しちちうや)の法會(ほふゑ)修行(しゆきやう)あり是(これ)を  報恩講(はうおんこう)と云又/俗間(そくかん)御講(おこう)と称(しよう)す《割書:塔頭(たつちゆう)成勝院(しやうしようゐん)に俳仙(はいせん)杉風(さんふう)|翁(をう)の墳墓(ふんほ)あり》 《振り仮名:采女ゕ原|うねめ  はら》 木挽町(こひきちやう)四丁目より東(ひかし)の方(かた)此所(このところ)に馬場(はゝ)あり常(つね)に賑(にきは)しく  講釈師(こうしやくし)浄瑠璃(しやうるり)の類(たく)ひ軒(のき)を並(なら)へて行人(こうしん)の足(あし)をとゝむ享保(きやうほ)九年  迄(まて)此地(このち)に松平采女正定基(まつたひらうねめのかみさたもと)のやしきありし故(ゆゑ)となり同年(とうねん)正月晦日