翻刻
【右丁】
後(のち)霊夢(れいむ)を感(かん)し此地(このところ)に至(いた)り矯々(きやう〳〵)たる杉(すき)の森(もり)ある地(ち)に崇(あか)め祀(まつ)る
《割書:當社(たうしや)|是(これ)なり》寛正(くわんしやう)の頃(ころ)東国(とうこく)大(おほい)に旱魃(かんはつ)す太田道灌(おほたたうくわん)江戸城(えとしやう)にありて深(ふか)く
是(これ)を患(うれひ)とし此御神(このおんかみ)に禱(いの)るに其験(そのしるし)ありて雨降(あめふ)り百穀(ひやくこく)大(おほい)に
登(のほ)る依(よって)其頃(そのころ)山城國(やましろのくに)稲荷山(いなりやま)を摸(うつ)して伍社(こしや)の御神(おんかみ)を勧請(くわんしやう)なし
奉(たてまつ)るとなり毎年四月十六日/祭奠神主(さいてんかんぬし)小針氏(こはりうち)奉祀(ほうし)す《割書:當社(たうしや)始(はしめ)は|町屋(まちや)の後(こう)》
《割書:園(ゑん)にありて参詣(さんけい)の道(みち)さへなかりしに元禄(けんろく)十六年/本多(ほんた)弾正少弼(たんしやうのせうひつ)忠晴(たゝはる)寺社(ししや)の|観林(くわんりん)たりし時(とき)社(やしろ)へ参詣(さんけい)の道(みち)を開(ひら)き給ふとなり菊岡沾凉(きくをかせんりやう)云(いはく)此所(このところ)は昔(むかし)杉(すき)の木(こ)》
《割書:立(たち)いと深(ふか)かりしとなり又/此地(このち)の或古老(あるこらう)の話(はなし)に寛文(くわんふん)の頃(ころ)此地(このち)は小針孫右衛門(こはりまこゑもん)といへる|商戸(しやうこ)の地(ち)にして彼宅地(かのたくち)にありし稲荷(いなり)の祠(みや)なりしか其後(そのゝち)延宝(ゑんはう)七年五月二十九日》
《割書:此辺(このへん)火災(くわさい)に依(よつ)て焦土(せうと)となりし頃(ころ)此祠(このみや)のみ現然(けんせん)と残(のこ)りけれは諸人(しよにん)皆(みな)これを奇(き)とす|吉川氏(よしかはうち)某(それかし)深(ふか)く信仰(しんかう)して新(あらた)に蛭子(ひるこ)と姫太神(ひめおほかみ)とを相殿(あひてん)に祀(まつ)ると云又/或人云(あるひといふ)長谷(はせ)》
《割書:川町(かはちやう)旧名(きうみやう)を祢宜町(ねきまち)と云/昔(むかし)當社(たうしや)の巍々(きゝ)たりし時(とき)祢宜(ねき)の住(すみ)し所故(ところゆゑ)にしか号(なつ)くる|とされとも此説(このせつ)信(しん)しかたし》
歌舞妓芝居(かふきしはゐ) 堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)にあり《割書:木挽町(こひきちやう)|にもあり》寛永(くわんえい)元年甲子の春(はる)中村(なかむら)
勘三郎(かんさふらう)《割書:堺町(さかいちやう)狂言座元(きやうけんさもと)の始祖(しそ)なり初(はしめ)道順(たうしゆん)と号(かう)す昔(むかし)禁闕(きんけつ)及(およ)ひ営中(えいちゆう)に|於(おい)ても猿若(さるわか)の狂言(きやうけん)をなし又は官舩(くわんせん)安宅丸(あたけまる)大江戸(おほゑと)の川口(かはくち)へ入津(にふしん)の》
《割書:時(とき)綱引(つなひき)の音頭諷(おんとうた)を諷(うた)はしめられし折(をり)から御褒賞(こほうしやう)として賜(たま)はる所(ところ)の金(きん)の|麾(さい)ならひに猿若(さるわか)狂言(きやうけん)の衣装(いしやう)及(およ)ひ御簾(きよれん)の揚巻等(あけまきとう)今(いま)猶(なほ)其家(そのいへ)に傳(つた)へて重宝(ちやうはう)》
《割書:とす又/上京(しやうきやう)せし時(とき)勘三郎(かんさふらう)か忰(せかれ)新発知(しんほち)に明石(あかし)といへる|名(な)を賜(たま)はりし事/抔(なと)は皆(みな)中村座(なかむらさ)の規模(きほ)たり》官府(くわんふ)の免許(めんきよ)を蒙(こふむ)り
【左丁】
江戸中橋(えとなかはし)において始(はしめ)て太鼓櫓(たいこやくら)を揚(あけ)猿若狂言尽(さるわかきやうけんつくし)の芝居(しはゐ)を興行(こうきやう)
す《割書:是(これ)大江戸(おほえと)常芝居(しやうしはゐ)の始元(しけん)なり江戸鹿子(えとかのこ)といへる草紙(さうし)に寛永(くわんえい)より前(まへ)は芝居(しはゐ)|町(ちやう)にありと記(しる)せしは柴井町(しはゐちやう)の事を云ならん歟(か)按(あんする)に芝居(しはゐ)ありし故(ゆゑ)にしか呼(よひ)》
《割書:しを後世(こうせい)に至(いた)り芝居(しはゐ)を柴井(しはゐ)に書改(かきあらた)めたるならんか又/江戸名所(えとめいしよ)はなしに芝居町(しはゐちやう)|より中橋(なかはし)へうつり又/堺町(さかいちやう)へ引移(ひきうつ)したる事を挙(あけ)たり事跡合考(しせきかつかう)に寛永(くわんえい)元年》
《割書:日本橋(にほんはし)の西河岸町(にしかしちやう)に芝居(しはゐ)を取建(とりたて)るとあり可考(かんかふへし)寛永(くわんえい)十八年の印行(いんかう)のそゝろ|物語(ものかたり)といへる冊子(さうし)に中橋(なかはし)にて米島(よねしま)丹後守(たんこのかみ)哥舞妓(かふき)ありと高札(かうさつ)を建(たて)けれは》
《割書:貴賤群集(きせんくんしふ)|すとあり》同九年壬申/中橋(なかはし)より祢宜町(ねきまち)へ引(ひき)遂(つい)に慶安(けいあん)四年
辛卯/今(いま)の地(ち)に移(うつ)る《割書:祢宜町(ねきまち)といふは今(いま)の長谷川町(はせかはちやう)の事なり今(いま)俗(そく)に此所(このところ)|を人形町(にんきやうちやう)と字(あさな)するは人形屋(にんきやうや)多(おほ)く住故(すむゆゑ)にしか唱(とな)へたり》
《割書:寛永(くわんえい)二十年/印本(いんほん)吾嬬(あつま)めくりといへるものに祢宜町(ねきまち)に左近(さこん)といへる哥舞妓芝居(かふきしはゐ)|又/角力(すもう)其外(そのほか)薩摩太夫(さつまたいふ)虎屋(とらや)か操(あやつり)土佐(とさ)か能(のう)なとありける由(よし)にて賑(にきは)しき》
《割書:趣(おもむき)を挙(あけ)|たり》又/寛永(くわんえい)十一年甲戌/村山又三郎(むらやままたさふらう)といふ者(もの)《割書:此(この)又三郎といへるは|名護屋(なこや)山三郎(さんさふらう)の》
《割書:弟子(てし)村山(むらやま)又左衛門の子村山|又八といへる者(もの)の次男(しなん)なりといふ》泉州堺(せんしうさかい)より此地(このち)に下(くた)り公許(こうきよ)を得(え)て常(しやう)
芝居(しはゐ)を興行(こうきやう)し能(のう)の狂言(きやうけん)をやつし役者(やくしや)をましへ舞子(まひこ)六人に勤(つとめ)
しむ市村羽左衛門座(いちむらうさゑもんさ)是(これ)なり《割書:葺屋町(ふきやちやう)狂言座元(きやうけんさもと)の興起(こうき)なり二代目を|竹之丞(たけのしやう)といふ堺町(さかいちやう)狂言座元(きやうけんさもと)二代目/明石(あかし)》
《割書:勘三郎(かんさふらう)の門弟(もんてい)たり寛文(くわんふん)四年に至(いた)り始(はしめ)て續狂言(つゝききやうけん)を工夫(くふう)し引幕(ひきまく)|道具建(たうくたて)を製(せいし)出(いた)す故(ゆゑ)に其頃(そのころ)市村座(いちむらさ)を大芝居(おほしはゐ)と称(しよう)したりしとなり》其後(そのゝち)萬治(まんち)
三年庚子/森田太郎兵衛(もりたたらうひやうゑ)といへる者(もの)是(これ)も官府(かんふ)の免許(めんきよ)により