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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之2 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之2 - ページ 9

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【右丁】  木挽町(こひきちやう)五丁目/汐入(しほいり)の地(ち)へ芝居(しはゐ)を取建(とりたて)坂東(はんとう)又九郎といへる者(もの)の  二男又七といへるを養子(やうし)とし名(な)を森田勘弥(もりたかんや)と改(あらた)む《割書:木挽町(こひきちやう)狂言(きやうけん)|座元(さもと)なり猶(なほ)》  《割書:同巻(とうくわん)木挽町(こひきちやう)|の下に詳(つまひらか)也》其餘(そのよ)堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)の間(あひた)に操座(あやつりさ)木偶芝居(にんきやうしはゐ)ありて四時(しいし)に  賑(にき)はへり《割書:元禄開板(けんろくかいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)に堺町(さかいちやう)葺屋町(ふきやちやう)の二丁は古(いにし)へより操見(あやつりみ)せ物又は狂(きやう)|言尽(けんつくし)あるひは放下(はうか)の品玉(しなたま)縄切(なはきり)の曲(きよく)を業(わさ)とする者(もの)とも寄(より)あつまり終日(しゆうしつ)》  《割書:観楽(くわんらく)をなす地(ち)なりとあり又/江戸名所(えとめいしよ)はなしに江戸(えと)大薩摩(おほさつま)土佐(とさ)の太夫(たいふ)和泉太夫(いつみたいふ)か|浄瑠理(しやうるり)天満八太夫(てんまはちたいふ)江戸孫四郎(えとまこしらう)江戸半太夫(えとはんたいふ)か説経(せつきやう)鶴屋源太郎(つるやけんたらう)か南京(なんきん)あやつりなと》  《割書:さま〳〵のみせものあり|しことをしるせり》 吉原町(よしはらまちの)旧地(きうち) 和泉町(いつみちやう)高砂町(たかさこちやう)住吉町(すみよしちやう)難波町(なにはちやう)等(とう)其(その)旧地(きうち)なり《割書:住吉町(すみよしちゃう)|難波町(なにはちやう)》  《割書:等(とう)の河岸(かし)を竃河岸(へつゝいかし)と字(あさな)するは竃屋(へつゝいや)多(おほ)き故(ゆゑ)の|俗称(そくしよう)なり此所(このところ)の小溝(こみそ)は則(すなはち)昔(むかし)の曲輪(くるわ)の外堀(そとほり)なりと云》慶長(けいちやう)十七年/庄司甚右衛門(しやうしちんゑもん)  といへる者(もの)街(くるわ)を一所に定(さた)め給はり度旨(たきむね) 官府(くわんふ)に訴(うつた)へ奉(たてまつ)りし故(ゆゑ)に  初(はしめ)てこの此地(このち)を賜(たま)はり花街(くるわ)とす往時(そのかみ)慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は江戸(えと)に定(さたま)り  たる傾城町(けいせいまち)もなく二軒三軒(にけんさんけん)つゝこゝかしこに散在(さんさい)せし也/其中(そのうち)軒(のき)を  並(なら)へたりしは麴町(かふしまち)八丁目にて十四五/軒(けん)ありて何(いつ)れも京六条(きやうろくてう)より  遷(うつ)【迁は俗字】る又/鎌倉河岸(かまくらかし)にも十四五/軒(けん)大橋(おほはし)柳町(やなきちやう)にも廿/軒(けん)ありしと云 【左丁】  《割書:此(この)大橋(おほはし)と云(いふ)は今(いま)のときははし也|柳町(やなきちやう)と云(いふ)は道三河岸(たうさんかし)の辺(あたり)をいふ》此(この)柳町(やなぎちやう)へは駿府(すんふ)弥勒町(みろくまち)より移(うつ)り其外(そのほか)伏(ふし)  見(み)夷町(ゑひすまち)奈良(なら)木辻(きつし)等(とう)よりも追々(おひ〳〵)大江戸(おほえと)に移(うつ)りぬ慶長(けいちやう)十一年の頃(ころ)  柳町(やなきちやう)の地(ち)は召上(めしあけ)られ元(もと)誓願寺(せいくわんし)前(まへ)へ引移(ひきうつり)たりしか傾城屋(けいせいや)とも打寄(うちより)  相談(さうたん)の上(うへ)場所(はしよ)取立度由(とりたてたきよし)願(ねかひ)けれとも御免(こめん)なき所(ところ)庄司甚右衛門(しやうしちんゑもん)  初(はしめ)て同十七年の頃(ころ)願(ねか)ひ元和(けんわ)三年の頃(ころ)被仰付(おほせつけられ)元和(けんわ)三年/霜月(しもつき)地(ち)  形(きやう)普請(ふしん)出来(しゆつたい)して商賣(しやうはい)せり江戸町(えとちやう)一丁目は御一統(こいつとう)の後(のち)初(はしめ)て開基(かいき)せし  ゆゑかく号(なつ)け同二丁目は鎌倉河岸(かまくらかし)より引(ひけ)京町(きやうまち)一丁目は麴町(かふしまち)より  引(ひく)同二丁目は追々(おひ〳〵)に来(きた)りし上方(かみかた)の傾城屋(けいせいや)を置(おけ)り一/両年(りやうねん)にして  普請(ふしん)悉(こと〳〵)く成就(しやうしゆ)せしかは新町(しんまち)と名付(なつけ)たり角町(すみちやう)は京橋(きやうはし)角町(すみちやう)より  うつり寛永(くわんえい)三年に至(いた)り五町/全(まつた)く家居(いへゐ)落成(らくせい)して此(こゝ)に移(うつ)れり  然(しかる)に明暦(めいれき)二年/浅草(あさくさ)の後(うしろ)今(いま)の地(ち)へ遷(うつ)【迁は俗字】されん事を申わたさるゝと  いへとも明年(みやうねん)引移(ひきうつ)り度(たき)由(よし)の所(ところ)翌年(よくねん)五月十八日の大火(たいくわ)に焼亡(しやうほう)す  依(よつ)て同年六月/悉(こと〳〵)く元吉原(もとよしはら)の地(ち)を引拂(ひきはらふ)同年八月/今(いま)の地(ち)へ移(うつ)る