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翻刻
(四)
大正十年七月廿一日発行 デンキカン・ニユース 第百三十四号
【上段】
雑記 (五)
大津広次
私は常に友達から邪論者扱ひにされてゐ
る。併し此度の此の稿丈はまだ反対の声を
きかない。それが大変うれしい。素より斯
んな事は誰れにも知れ切つた、くだらぬ問
題かも知れない。もう論ずるまでもない過
去の事だと以ふかも知れない。併し私は友
達から聞いたのだが、或る一派のフアンの
中に、映画を見飽きる程見馴れた人々の中
に、音楽ある映画を見るのが、音楽の理解
なき人々に取つて甚だ、わづらはしいと云
つてゐるそうである。
音楽は聴かる可きものであつて、理解如
何に関せず、「解る、その曲」が程度で鑑賞
する事が出来るものである。田夫野人にも
音楽を鑑賞する事が出来得る。人間の内に
あるものはその曲と共鳴する。その曲と宇
宙へ放奔する。
音楽の理解は音楽をよくマスターした人
以外には不可能な事である、併し単にきく
と云ふ点丈ならば、人間である点丈で充分
である。一寸失礼な云ひ分だが………。
私は其の人達を愚とは云ふまい。其の人
達の人間らしさ如何など問ふまい。それは
もつともな事である。私もその論の一部を
肯定するに吝ではない。
と云ふのは、劇の進行がクライマツクス
に達した時である。観客は片唾をのむ、ヒ
ロー或るひはヒロインに共鳴する。自分の
全精神が一直に集る、その時である。
【中段】
映画劇に於ける人間性の強調
平井暮舟
△
人類は決して自然界からかけ離れた存在
ではなくして、同じく自然界の一部である
……と自然科学は自然を極めて現実に見る
ことを教へて呉れた、カントは其の論文中
に大に凡人主義を強調した。开は明らかに
人間性の高唱であつた。(イントロダクシ
ヨン)………
△
吾々の日常生活に於ては不自然なことは
あり得ない。徹頭徹尾生きた自然で貫かれ
てゐるのである。動いてゐる社会、生きた
人間――総てが現実の活動である。――か
ゝる実社会の事相を表現する映画の材料は
実に無限であると云へやう。何故ならば其
処には種々雑多の事相が極めて無限により
真実に深刻に潜んでゐるからである。
△
人生の儘に総てを動かせと強要したキン
グ、ヴイドアー氏は、余は総ての人の理解
せる映画を作ると云ふ主義を抱いてゐるも
のだ。微々たる小村より富豪の家族に至る
まであらゆる此等の事件を包含せるテーマ
は、この事件はかつて自身の経験した事実
であると云ふ問題を常に観衆に語つてゐる
のである。この驚異すべき表現が映画製作
には大切なものである相だ。
△
総てを単純な正直な泉より選べとは米国
有数のエグズイビター・ロサツフエル氏の
【下段】
論である。昏睡から醒め新しき何物かを索
めんとしつゝある十字路に立てる観衆に与
ふべきは何か。ミリオン・ダラー・プロダ
クシヨンか。否然らず観衆の欲するものは
たゞヒユーマン・ピクチヤー――これのみ
であるのだ。
△
悲しい哉。現在の映画を以て人間性を強
調すべく余りに吾々は気が引けるのである
器械的感激に喜ぶ低級な観衆を責むる前に
否誤まられたる道に進めることを些少も気
付かざる打算的製作者を罵倒する前に吾人
はよりよき原作者の輩出と偉大なる監督者
の出現を望むこと実に切である。
近来チヤールス・レイが頗る人間味謚【溢】る
ゝ映画を製作し初めたことは喜ぶべき傾向
であると推賞して擱筆する。(完)
活動漫語 (五)
▽メー、コーリンズ嬢
ほんの噂丈けかも知れないがチヤツプリ
ン氏と結婚するとか云はれてゐるメー、コ
ーリンズ嬢は二八の花盛り。最近ニユーヨ
ークから西部にヱマーソン、ルーズ夫妻に
従つて来て今ではゴールドウイン社に籍が
置いてある。二人はある晩餐会の席上で夫
婦の様に睦しぐ踊つたので此の噂が立つた
とか。ところが同じ席上で例のウイリアム
エス、ハート先生とゼーンノヷツク嬢とが
同じ様に楽しく踊つたんだから穏かでな
い。
大正十年七月廿一日発行 定価一部三銭郵税二銭
発行編輯兼印刷人 森田勝祐
浅草公園六区三号八番 デンキカン社
電話浅草三六二一・三六二二