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―第九章 産業
二二〇
三河製糸株式会社 新川町字市南にあり。明治二十九年七月の創設にして、資本金十五万円、釜数約百にすぎざり
しが大正九年四月資本金を十倍とし、市内花田に分工場を設け、台拡張を図れり。現時両者を合わて工場坪数約千七百坪
工男二十五、工女三百余人、一ヶ年生産額十四万斤に達せり。而して当社は創立当時より糸質改良に意を用ひ、声価頗る
揚れり。又職工教育に関しても意を用ふる所あり。現社長は白井勝次氏、工場管理人中野利三郎氏なり。
曲仙製糸合名会社 花田町字角田にあり。明治三十二年三月の創設にして、当時僅に八釜に過ぎざりしが、爾来次
第に拡張せられて四十五年二月分工場を設置し、大正八、九年の交更に事業を拡張し、現今工場坪数五千三百余資本金
二十八万円、釜数四二四年々の生産額二千百七棚に達すといふ。
大林製糸場 花田町字塞神にあり。明治二十一年二川町大林宇吉氏の創立したる所にして、当時僅に十五釜に
すぎざりしが、次第に発展して二十八年以後は専ら玉糸製造を以て本務とし、爾来幾多の改良を加へて以て今日あるを致
せり。現工場主は大林宇吉氏にして、明治四十三年現地に移転し、敷地坪数三千五百坪、釜数約四百八、工男三十五、工
女三百名あり。一ヶ年生産高千七百五十二梱に達せり。
小松製糸所 花田町字手棒にあり。明治四十四年四月神戸村おり移転したるものにして、創業当時即ち明治三
十九年には僅に三十二釜の極めて小規模なる玉糸製糸に着手せしが、爾来次第に発展して、今や工場建坪千三百余坪、釜
数三百八十釜、一年生産額千五百五十梱を算するに至れり。現工場主は小松徳三郎にして大正元年より良心会を組織
し、工男女に対し、精神教育を施しつゝあり。
柴田製糸場 花田町字大塚にあり。明治二十八年の創立にして、当時僅に五釜に過ぎざりしが、爾来次第に拡
張し、大正五年花田町字手棒に分工場を設け、現今本店工場釜数二百、分工場百五十釜を有し、敷地合計四千八百坪あり。
一ヶ年の生産額約千百三十九梱に達すといふ。
【写真】
丸中清水製糸場
東産社製糸場 花田町字大塚にあり。大正九年元国製糸場を
買収経営せるものにして、敷地坪数約千八百坪、釜数二百五、一ヶ年
生産額約千九十三梱ありといふ。
山忠製糸場 花田町字長丁にあり。明治二十二年二川町に於て
創設経営したりが、同十二年現位置なる今田製糸場を買収移転した
るものなり。現今敷地坪数約二千坪、釜数約二百四十八にして、一ヶ年
生産高約千二百九十四梱なりと云ふ。
金子製糸場 東新町にあり。明治二十一年九月の創設にして当
時僅に五釜にすぎざりしが、二十九年機関を設置して蒸汽取三十二釜に
増設し、同四十年九月五十釜の規模を以て現位置に移転せり。斯くて事
業次第に発展し、現敷地約千五百坪、釜数二百
丸中清水製糸場 松山町にあり。明治三十年渥美郡神戸村にて共同
経営せしが、三十八年個人経営となり、大正三年松山に移転し、漸次発
達せり。現時釜数一百二十、分工場釜数二百二十にして、敷地千五百坪生産額一年約八百十二梱なりといふ。
△醸造業