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―第四章 市政の沿革 三〇
第四章 市政の沿革
一、自治制実施前
明治新政の初頭にあたり、三職八局の制定められ、内国事務局の下に各地に裁判所の設置せらるや、慶応四年四月当
地に三河国裁判所を設置せられたるが、僅か二ヶ月にして廃止せられ、仝年六月更に三河県を置かれ、明治二年六月之を
廃し、信州伊奈県に合せられ、四年七月廃藩置県の事行はれたる結果、同年十一月従来の
諸県を廃し、更に新制に依り三河国一円並に尾張国知多郡を合せ支配する為め額田県を岡
崎に置かれ渥美郡長に小野道平氏、仝副郡長に広中六太夫氏就任せり。翌五年九月県下を
六大区とし、更に之を小区に分ちたりしが、渥美郡は第五大区となり、大区長に上田疇氏
任せられ、豊橋を第一区と称し、能勢一也氏区長にに任せられたり、五年十一月額田県を
愛知県に合し管内を十五大区に分ち、各区に会所を設け区長、副区長を置き各小区に戸長、
副戸長、用係、組頭を置きしが渥美郡は第十五大区と称し豊橋に会所を置き富田若水氏大
区長小野道平氏仝副長となる。額田県の当時支庁を豊橋に置き札木町旧本陣を庁舎に充て
島義之氏支庁長に任せられたるが、六年一月愛知県支庁となり。設楽、宝飯、渥美、八名の四郡を管轄することとなり、仝
【図の説明】三河国裁判所を置かれた悟真寺総門
一庁舎を襲用し依然島義之氏支庁長たりしが間もなく清水敏氏之れに代れり。仝九年八月従来の大小区を廃し更に十八区
を置き、渥美郡は第十七区と称するに至りしが、区会所は勿論豊橋に設けられ富田若水氏引続き区長たり。
然るに明治十一年七月、郡区町村制の布告あり各町村又は数ヶ町村に区長を置かしめ、仝十一月より区会所を廃し、郡
役所を置き区長に代ふるに郡長を以てするに至れり、中村道太氏最初の郡長となる。
中村氏は在職僅か一ヶ年半に過きざりしが松井譲氏其幾
を襲ひ在職実に二十一年の長きに及び功労顕著なるもの
ありき、明治三十三年九月松井氏の退官と共に山田正氏
其後を受け、仝三十六年市川信順氏之れに代はる。仝氏の
時代に於て本市は市制を施き渥美郡の管轄を脱したり。
戸長は従来官選なりしが郡区町村制実施の時より町村
の公選となりたり、又新制実施に当り各郡に亘り町村の
分合を行ひ町村名の改称を行へるもの尠からざりき、本
市関係の区域に属するものを挙ぐれば左の如し。
分合 旧町村名 新町村名 分合 旧町村名 新町村名
合併 餌指町、旭町、東新町、西新町、談 豊橋村 分合 手間町、世古町 手間町
合宮町、中瀬古町、中柴町、新銭町 分合 元鍜治町、世古町 吉屋町
飽海町、仁連木分地 合併 札木町、利町 札木町
合併 八町一丁目、二丁目、三丁目、南仲町 八町 仝 本町、御輿休町 本町
【図の説明】大区長 富田若水氏
【図の説明】郡長 松井譲氏
【図の説明】渥美郡役所
―第四章 市政の沿革 三一