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―第八章 教育 一四八
第八章 教育
一、本市の教育
吉田藩主松平信復聡明にして、広く古今の学に通じ賢を求め材を挙げ夙に興学の志あり、宝暦二年藩黌を創設して之に
時習館と命名し、老臣北原忠光に命じて時習館の文字を扁額に書せしめたり。次いで信明に至り大に文武を奨励し、藩学
の興隆に勉め藩校の規模を拡張し規律を改め、西岡善助を儒官とし教授職に任じ一藩の子弟を教養せしめ、其の晩年には
太田錦城を招致して教授とせり。
爾来中山弥助、西岡介蔵、山本忠佐、小野湖山、児島閑窓等相次ぎて教導の任に当り三百余の子弟はこゝに文武両道を
兼修して明治維新に及べり。
又一般平民は多く寺子屋家塾等に入りて学習せり。当時此等私学校は何人と雖も相当学力あるものは教導の任に当るこ
とを得、僧侶又は手習師匠等専ら之が教授の任に当れり。斯くて廃藩置県に際し一時藩学を廃止せるが故に、時の額田県
大参事木村成章は児島閑窓に嘱して成章義塾を創設せしめ、和漢洋及び一般普通学科を教授せしめたり。
明治五年学制頒布さるゝに及び学区を分ちて小学校を設け漸次其の数を増して八町学校、三町学校、関屋学校、吉屋学
校、魚町学校、旭学校等を数へしが、明治十四年上等小学豊橋学校の創立以来、屡々改廃ありて明治三十二年には高等
小学豊橋学校及東部西部の二尋常小学校となり、仝三十四年南部尋常小学校の創立により四ヶ校となりたり、中等教育
の為めには明治二十六年町立尋常中学時習館の創立を見、仝三十三年県立第四中学校となり、仝三十五年町立高等女学校
の開校を見、又仝三十九年に至り私立豊橋商業学校の設立あり、男女中等教育の機関漸く実現するに至れり、然るに市制
の実施に依り地域の拡大するあり、時運の推移に伴ふ市勢の発展又著しく小学校は漸次増加して九校となり、大正十二年
市立実業補習学校を設置し翌十三年市立商業学校の創立を見、実業教育の機関漸く備はるに至れり、裁縫技芸を修めんと
する女子の為めには明治三十五年私立豊橋裁縫女学校の設立あり、次いで松操裁縫女学校設立せられ最近又実践女学校の
実現を見、其他幼稚園、盲唖学校あり私立に属すれども設備略備はる、社会教育の方面にありては市立図書館、安藤動物
園を数ふべく、青年訓練所、青年団は各小学校の通学区域毎にこれを設け、其成績概ね良好なり、其他教育開係の団体尠
からず何れも事業の成績を挙げつゝあり。
本市の教育施設が最近二十年間に於て如何に変遷発達せしかは左表により教育費の漸増累加の状況を見て之を知るを得
べし。
◇教育費(経常部)一覧
年度 商業学校 高等女学校 小学校 補習学校 青年訓練所 図書館 学事諸費 計
明治四十年 ― 五、六八五 二五、〇二五 ― ― ― ― 三〇、七一〇
仝四十一年 ― 八、八二三 三二、〇九八 ― ― ― ― 四〇、九二三
仝四十二年 ― 八、一三九 三五、一三二 ― ― ― ― 四三、二七一
仝四十三年 ― 八、七二四 三九、二七五 ― ― ― ― 四七、九九九
仝四十四年 ― 九、一九二 四五、六七八 ― ― 三、〇九六 ― 五七、九六四
大正元年 ― 八、九八四 四七、三一九 ― ― 一、二三五 ― 五七、五三七
仝 二年 ― 八、七二四 四六、七五八 ― ― 一、二六九 ― 五六、七五一
―第八章 教育 一四九