翻刻
【右丁】
初(はじ)め寒気(かんき)に負(まけ)たる也すゞしきというは袷(あわせ)単物(ひとへもの)にても心(こゝろ)よしと思(おも)へる
陽気(ようき)なるべし寒 暖(だん)はその家作(かさく)にあるべし幼飼(をさながひ)の頃 寒(さむ)き朝(あさ)障子越(せうじごし)
に朝日の少(すこ)しあたるはよし惣(すべ)て虫の類(るい)は少し温(あたゝか)なる方を好(この)むものにて
暖(だん)気なれば諸虫(しよちう)の生(うま)れ盛(さかん)になりて飛廻(とびまは)る蚕(かいこ)も是に同(おな)じ爰(こゝ)に又(また)
一ッの秘事(ひじ)あり温(うん)気を好(この)むとてむさ〳〵とほめき気の籠(こも)るは
至(いたつ)て悪(わる)し只(たゞ)何(なに)となく長閑(のどか)にて快(こゝろよし)と思(おも)へる程に陽気(ようき)を執(と)ること
肝要(かんよう)なり聖徳太子(せうとくたいし)の教(をしゑ)給ふにも蚕は父母(ちゝはゝ)の赤子(あかご)を養(やしな)ふ
ごとしと養蚕書(ようざんしよ)に見(みえ)たり
蚕(かいこ)獅子(しし)の居起(いおき)手入(ていれ)の事 《割書:此時寒暖六十八度を中と極む|》
蚕 掃立(はきたて)より七八日めの頃(ころ)桑(くわ)を喰止(くいや)み色(いろ)少(すこ)し白(しろ)く頭(かしら)太(ふと)くなる
【左丁】
是(これ)を獅子の居休(いやすみ)という《割書:所により初手(しよて)|ならびという》此 時(とき)早(はや)く居(い)うらを取替(とりかへ)てよし
取替ようは前(まへ)のごとく偖(さて)獅子(しし)の休(やすみ)と見へは桑(くわ)を一日に七八 度(ど)ふり
かけ厳(きびし)く与(やる)べし《割書:是を責桑(せめくわ)とも|ふり桑ともいう》斯のごとくする時 蚕(かいこ)桑の下(した)に眠(ねむ)り居て
桑を喰残(くいのこ)すとも是に搆(かまは)ず桑(くわ)を喰 切(き)らざる内に責(せめ)かけ〳〵ふり掛(か)#1
べし此 責桑(せめくわ)ふ足(そく)なる時(とき)は蚕ふ揃(そろい)になるべし斯(かく)するうちに先(さき)に眠(ねむり)し蚕
は上(うゑ)なる皮(かわ)を脱出(ぬぎいづ)る《割書:是を衣を脱(ぬ)ぐという|又起き上るともいう》既(すで)に衣(きぬ)を脱(ぬ)ぎ桑の上に起上(をきあか)
る《割書:是を|うきという》此 起(おこ)りし蚕 見(み)へば直(すぐ)に桑(くわ)をふり止(やむ)べし此時大 方(かた)遅(おそ)き蚕あり
とて此責桑をふり掛(かく)れば先(さき)に起上(おきあが)りし蚕桑喰う頃(ころ)遅き蚕は漸(やう〳〵)
居眠(いねむり)になるを待(まち)かね桑を止(やめ)る故(ゆゑ)先に起し蚕(かいこ)二三 度(ど)も責桑(せめくわ)を喰
肝心(かんじん)の喰盛(くいさかり)の頃 若(わか)き蚕の為(ため)に食止(しよくどめ)に逢(あ)ふ故大に痛(いた)むべし四度の
【右丁上段】
有なれは冷しきに
増事なし北に山を
脊負たる家には
違作多し南に山
有り西に木立有る
風入の能家は上作す
山入の日向 谷(やと)の家には
寒暖計を見合せ
只冷敷する事を
工風すべし
【左丁上段】
初(はじめ)の責桑(せめくわ)は新(あらた)に
細末(こまか)に刻(きざ)み一分四方
の目にて度々ふり
かけべし後々の責くわ
は別にきざまづとも
蚕に遅速(をそはや)段々の
次第出来るに付ふる
い分(わけ)たる下(し)たを用
ゆること後にくわし
く記し置く