翻刻
大破同所半丁斗やける江戸川筋
潰家多し
但シ江戸四里四方丁数三千七百余丁
之内土蔵五十三万五千七百八十余潰
又は焼家数潰焼其数算がたし
潰焼之死人凡八万五千九百人余猶
けが人は其かづしれず東海道は川崎
加奈川損じ人多く死す先ははこね
迄ゆれいたむ東は葛西ゟ舟堀ほりへ
行徳舟橋辺分けて潰死人も多し
佐倉成田木下深《?:和》わけテつよし上総
房州は少々いたみ日光道中はさつて
辺迄下総は所々大ひにそんじ尤大小
所により不同仲仙道熊谷辺迄但シ
熊谷堤われどろする砂利を吹出ス
水戸海道とりで辺別してつよく筑波
山之辺こと〳〵く潰常陸はゆれ潰れ
甚つよし此外国々迄はいつれ共筆紙
にのへがたし
御上様より 御慈非之御仁恵を
被下置難義之者共へ御救飯又は
御救小屋御立被下 町人之家持より
金残米等を施し万民ゆふやくに
安心して太平をよろこぶ