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いへるにていたして。これば。ことして。
一。其上野卿/御国にて。其後にて。其時/時/護/君/君/護/一/一/一/無_一 ̄ノ
□
一七〇
所なり。相川清流はいふべきにもあらず。
辛がて写しおはり。知甘寺といふ思。自の境別あり、大徳余が時ん事をさきにしりで
甘菓を設けて待居る。そも〳〵此寺はいつの頃よりか開きしかしらねども補理の
神内よりあれは、否も寺領肥りて永禄それのとしの御師状あり、清慣の什物にあ
るかぎりは併し平すにひとつとしてDに初むるむるべき餓果なし。たゞ後水瓦際の
残然と風外及商用救市の世達のみなり。又出で蘭藩撰松浦城酒店に入て予を予を辨
し様の然のあるに其妨をまねき瑕竹の古此状を見ん事を乞ふ、此発さる万暦にも
ていたらんと約しかへる。
将持洞等の義の工弟幸ひともつれて余が萬にいとしくやども、常がかへるをまち
うけて酒をすゝむこれなん表坊主水谷弁宗願と云ふ人の子のよし。
撫校のゆからある家に病人ありて此夜至るおそしと人をもて告来る又爾漸済情強
庄言郷波消発楽とせる人流没もて筆とせる人なといも来て海発ともふは敵辨を
なす。
熊の堂のあるじ古文状携来、
そのことなりて。そのからざるには
玉満房證文壱通これは写す、
永禄天正間古状数通これも模す
牧淡晝觀音一幅真續とは見えねど古色なるものなり
定家小倉の色紙
又疑ものなり
エ此原の市通彌陀祀に曰、今日原仝来宮の小路の土池尻は恩の代から玉逃綿居と
が泄瀉なら子が小平準房と。それが出来すば酒のましやんせ。
此席もふて舞、
○無惨状、余酔臥してしてしらず、
御書の幸ひ丁も分り被す、此人いたく降ておのれが侍りし牛或へる潮着をもふけ
尋戒と物争ひなだせしよし、今は我がゝる方に仮經してしらず夜頗までいと騒々
しきやうに覚えし。
相州丹浮山荘東方、建原本四里又東方有_レ村永代寺ヨリ主支配ニ在、尚
中第一人、佐路一齊婆生葉夢心彷便発輯知之由中二年弟不被下度採来発火外
一七一
草山全集
て。其身をして。其外にて。其外にて。其外にて。其外にて。