翻刻
【上部上段資料】
山城国八郡
高廿三万七千石
加茂川日本第一の
名川
にして
京都北奥
山石屋より
わきい出る
小川二十川
流込下に
いたりてか
つら川落
合淀川え流出る
なり水元より
淀迄里数十三
里なり
【上部下段資料】
頃は嘉永
五子年
七月廿一日未刻頃ゟよく廿ニ日
辰之刻まて大風あめに而京
都北山ゟ伏見南都まての間
大あれ二条五条為流落川
筋へ家等も数多流失伏見継き所
に而壱丈九尺程淀堤四ヶ所八幡堤
三ヶ所切れ落廿五日朝相成通路
難相□之候廿七日朝ゆふ共往来相成
人々あんどの思ひなし
【下部資料】
山城国八郡高廿二万七千石加茂川日本第一の名川
にして京都北奥山石屋よりわきい出る小川廿八流
込下にいたりかつら川落合淀川に流出るなり
水元より淀川まて里数十三里頃は嘉永五子年
七月廿一日未刻ゟ大雨大風増さかんして三條
より四條五條の川筋流欠いたし家々にも数
多流れ六條御門跡様辺にて堀川かつら川
まて満水に而らく中の大水あふかたならす
親をすて子をうしなひあるいて家根に上り
ひさしのほりお□り置家をふせぎ廿一日辰の
刻迄弥さかんにして北山より伏見南都□間
大あれにて家流れ立木なかし□水増さかんして
壱丈五尺程淀川堤四ヶ所八幡堤三ヶ所切落□元
より神宮寺高□社□□□八幡町美豆生
津木津川まて廿五日朝に相成通路難儀や
□廿七日往来も相成平□に而人々あんと思ひ
なしにける