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【欄外】
豊橋市史談 (王政復古と吉田藩) 六百六
【本文】
天子を遵奉して務て殺尾之秘略を用らる大猷公に至て既復古郡県之意召も被為起御事と承存候大
艦築城を禁し要害所々に関所を設け父子妻孥を合して膝下に質す抔漸々に右等之秘略を以て天下
を籠絡し給ふ以来数百年外患来らさるの故を以て内憂起らす况乎当時外患専務之折柄既に大鑑質
妻則弛変候ヘハ要害関所之設も益なく一旦外夷之凌侮を受て其屈辱を伸るに不暇之上ハ質妻之令
殺尾之略共に関東にて所詮難施の勢と存候此上ハ徹底天子を擁して懐玉光を外ニ持玉主殺人と相
応の価物知行を相与て惣て此輩を手に附け玉を神とし神を将軍身の守とし神社を指して質妻之令
上地之沙汰を諸藩え下し天下三分一を以神領とし二を列藩に分与し改て○庶堅實之神域を深曠要
害之地え建立し将軍永大別当となり御譜代初を祢宜社家とし御三藩初大藩を諸州触頭とし然る時
は大綱如斯小条御主とし然之地皇国之全体相具尾相適して前文等自然を可得之理勢矢と存候惣て内
を治るは内に居計にてハ内の摸樣難分外ニ出て後に内の治め外何か宜きこと相分昔藤原家経争相
せめき詰り武家の世と成る今薩長と雖松平家と相成処松平家互に相争詰りハ夷狄の世と相成へし
譬へハ一身手足頭腹の脈絡貫通を得る如く始て皇国全土へ全力を及し一身之運用を得るへし於是
罪問之軍懲膺之師唯意之所向一揮不従庶畿内憂外患熄得へく歟
曰抑皇国ハ朝野国歟幕之国歟諸藩ハ朝之臣歟幕之臣歟今幕地初藩之所領一旦献朝諸藩王臣之御沙汰
も可出哉と申候如何曰皇国ハ朝之国にして諸藩ハ幕之臣にて候上地王臣之御沙汰も候ハヽ則前文国
基起立之道ニ可有之一旦献朝すとも復改て可賜之理に候王臣となる雖も幕意を遵奉君臣之情義を不
失候○苦ケ間敷哉
竊按開闢以来太平数千年一旦朝廷此の世の乱雑を被為厭次第雲上ハ御閑居被遊藤原家初大臣歴々之
【欄外】
豊橋市長大口喜六氏は其該博なる智識と不尽の精力傾け豊橋市史編纂に従ふこと一年有余、今や其稿略ぼ成るに際
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【左頁】
【欄外】
此の豊橋市史談は毎周一回(火曜日)に発行し参陽新報読者諸君に進呈す
【本文】
面も摂政等の職名を背負て同様に蟄居被成候折柄此世の御留守居ハ武家と相成郎党臣僕等をして
天下之政治を取扱ハしむる以来治乱散逸して当時徳川之世と相成其初足利氏尾大不棹弱之肉強之
食大藩割拠紛争不止徳川の一藩一旦関八州より起て藩々を呑滅し争乱を蕩除す就中莫大之大藩と
相成藩地之内従来之臣僕其他随従之面々を分封す僅に討洩之諸藩次第に欽手下知を待つに至て皇国
一匡す雲上叡威不斜猶又海外用心役を命せらる因て天下制配所を関東に被設即幕府にて候左候へ
ハ皇国は元来朝廷之御国にして武家は此世の御留守居幕府ハ天下之制配所に候幕地則徳川一氏之
藩地藩地中之諸藩ハ却て徳川氏之藩臣にて可有之(注入関八州も亦豊臣氏之藩地此儀大に論す)但
前文討洩之数藩是迄幕府に於て君臣之礼儀を執と雖も元来欽手下知を待而巳にして藩中に不陥此
等僅に朝臣とも可申哉勿論に候普天下之下王土に非るなく率土之浜王臣に非るなし任其直譜否等
ハ元来不明分の儀有之暫置て論へからす扨又宇内の形勢一発皇国一新すへきの折柄前文制配所之
綱紀往々緩急を失ひ用心役儀之一旦不被為届候よりして雲上の朝廷歴々之面々共一旦下遷し給ひ
再解紐之王綱を可被膝之御内志因て打洩之数大藩共一巳勤王討幕之謀計を遑せんとす畢竟王土を
盗領し王人を私使する者ハ徳川一氏に限るへからす討洩の数藩等惣て同様之儀に有之候是迄朝廷
之御賄政府之入途徳川一藩にて持来候得共元来雲上御閑居中御弁当御呑湯位之御事故政府之入途
と雖も実ハ家政を推及する同様之儀に付兎に角引足候へ共外国交際盛に相成よりしては個より不