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【欄外】
豊橋市史談 (王政復古と吉田藩) 六百十二
【本文】
之候事 副将
前光
総督
実梁
松平刑部大輔殿
と云(い)う事(こと)を申渡(まうしわた)されたのである御承知(ごしようち)の通(とほ)り遠江(とうとふみ)荒井(あらゐ)の関所(せきしよ)は吉田藩(よしだはん)の管轄(くわんかつ)であつたから此(こ)の通知(つうち)
を受(う)けた訳(わけ)であるが此(かく)の如(ごと)くにして吉田藩(よしだはん)はイヨ〳〵勤王(きんわう)の旗識(きしき)を明(あきらか)にする事(こと)と相成(あひな)つたのである
当時(とうじ)は尚(なほ)徳川氏(とくがはし)に対(たい)しても亦(また)君臣(くんしん)としての情義(ぜうぎ)を失(うしな)はざらむことを欲(ほつ)したのは掩う(お)ふべからざる事実(じゞつ)で
あつた勿論(もちろん)朝廷(てうてい)を尊奉(そんほう)すると云(い)ふ事(こと)は云(い)ふ迄(まで)もない事(こと)であるが倂(しか)し乍(なが)ら又(また)幕府(ばくふ)に対(たい)しても情義(ぜうぎ)は重(おん)
むずべきえあると云ふのが当時(とうじ)吉田藩(よしだはん)の藩論(はんろん)であつたと見(み)るべきである今(いま)此(この)荒井(あらゐ)の関所(せきしよ)に就(つい)て鎮撫総(ちんぶそう)
督(とく)かた達(たつ)しがあつたに対(たい)しても吉田藩(よしだはん)は之(これ)が御請(おんうけ)をすると同時(どうじ)に幕府(ばくふ)に向(むか)つて亦(ま)た左(さ)の書面(しよめん)を差出(さしだ)し
て居(を)るのである之等(これら)も能(よ)く〳〵味(あじは)つて見(み)ると矢張(やはり)吉田藩(よしだはん)に於(お)ける当時(とうじ)の傾向(けいこう)が分(わか)る事(こと)と信(しん)ずる
刑部大輔様於預り遠州今切御関所以来従
朝廷被為立候御関所と相心得候様御沙汰之趣尾張大納言様より御達御座候殊に東海道要衝之■地し
て敵我転倒之処即今令被却改而東兵為防禦築造可相成旨御鎮撫使より御達も御座候右者不容易儀に
付御伺之上御取計可相成処切迫の御場合に至り違
勅にも相成可申と無御搬御受被成候段深恐入候儀思召候依之御差扣御伺之儀如何御心得可被成候哉
【欄外】
発行兼印刷所豊橋市紺屋町四十八番戸参陽印刷合資会社 編輯人中西謙三発行兼印刷人 久野■吉
【左頁】
【欄外】
参陽新報四千七百十九号附録 (大正三年七月十五日発行)
【本文】
此段各様迄御内慮相伺候様刑部大輔様被仰付越候以上
松平刑部大輔様家来
鋤柄孫左衛門
右(みぎ)は江戸(えど)詰(つめ)の家来(けらい)から幕府(ばくふ)の当局(たうきよく)へ出(いだ)したもので見(み)ようによれば随分(ずいぶん)可笑(おか)しくも思(おも)はれるが当時(とうじ)の事(じ)
情(ぜう)を能(よ)く翫味(がんみ)して見(み)れば之(これ)も亦(ま)た決(けつ)して吉田藩(よしだはん)の状況(ぜうけう)を知(し)る上(うへ)に於(おい)て一 材料(ざいれう)たるを失(うしな)はぬと思ふので
ある
《割書:東征大総督|宮任命》 トコロで朝廷(てうてい)に於(お)かせられては二月九日に至(いた)つて遂(つひ)に有栖川熾仁親王(ありすがはたるひとしんのう)を以(もつ)て東征大総督(とうせいだいそうとく)に任(にん)じ橋本(はしもと)実
梁を以(もつ)て東海道(とうかいどう)先鋒(せんぱう)総督(そうとく)兼(けん)鎮撫使(ちんぶし)となし柳原前光(やなぎはらさきみつ)を以(もつ)て其(その)副使(ふくし)に任(にん)じ東山(とうさん)、北陸(ほくりく)二 道(どう)の軍(ぐん)と共(とも)に各部(かくぶ)
署(しよ)を定(さだ)めイヨ〳〵江戸(えど)に向(むか)つて進発(しんぱつ)する事(こと)と相成(あひな)つたのであるトコロで此日(このひ)(《割書:記録には|七日に作る》吉田藩(よしだはん)は京都(きやうと)
に於(おい)て左(s)の如(ごと)く命(めい)ぜられたのである
今般