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翻刻
安政二年乙卯十月二日夜亥ノ刻過ゟ大地震にて出火遠方えしらせのため
口此色印は出火場所 ▲地震小ゆり度々今に
〇【赤い〇】此色印崩れそんじ しづまり不申候
江戸大地震大火方角附
頃は十月二日の夜の事なりしが本丁辺に有徳(うとく)の商人なりしが
家内上下とも睦間敷(むつまじく)其身は常々観音を信(しん)じ夜毎(よごと)に浅草
寺え参詣(さんけい)いたしけるが今夜も早く参詣いたさんと思ひけるが
宵(よひ)の口はからず用向あつて亥の刻頃に参詣いたし観音に礼拝(らいはい)
し有がたきのあまり思はずまどろみしが夢(ゆめ)ともなくうつゝともなく
忽然(こつぜん)と白髪(はくはつ)の貴僧(きそう)壱人あらはれ曰(のたまは)く汝(なんじ)常々 神慮(しんりよ)に叫ひ仏(ぶつ)
意(ゐ)にそむかず故に今 異変(ゐへん)有といへども汝此なんをさけ得さすべし
悲(かなしiい)哉 濁世(ちやくせ)の人間此難のがるゝもの稀(まれ)なり見よ〳〵今にと曰ふ
うちに忽(たちまち)天地 震動(しんどう)し轟(とゝろ)く音すさまじく既に此御堂もゆり
崩(くづれる)かと思ひければ彼(か)もの御僧の袂(たもと)にすがり三 衣(ゑ)の袖のすきまより
四方のありさまを見渡すに我が手のひらを見るがごとし目前に市
中五六部通りは将棋(しやうき)倒(たふ)しにこと〳〵く震崩(ゆりくづ)せば是がために押(をし)に打れ
即死(そくし)或は半死半生のもの幾(いく)万人の其数しれずかくするうち諸
方の崩れし家々烟たち火もへ出忽出火となり△新吉原不残土手下
五十けん馬道通りさる若町不残聖天町山の宿不残東橋通り迄凡五十丁
程焼失浅草観音寺内本願寺御堂無事駒形堂辺ゟ黒松丁迄南側
不残夫より下谷御成海道中程ゟ上長者町広小路迄東側不残池のはた
かや丁ゟ根津迄不残湯しま天神下御屋敷小石川にてはりうけいばし
近辺御屋敷方町家とも焼すべて此辺大あれ深川六けん堀川西ニ丁ほど
夫より熊井戸より一の鳥居迄不残いせ崎町冬木丁京はしかじ町一丁
目一丁目五郎兵衛町畳町北紺屋町壱ニ丁目大伝馬竹町南伝馬町二三丁
目具足町柳町鈴木丁いなば丁松川丁本材木町七八丁目八丁堀水谷丁辺
より鉄砲洲辺焼ル築地御堂残り芝にてはしばい丁焼其外所々焼失場所数多
有之といへともあけて数得るゝいとまあらす△凡火口三十八ケ所に及是が為に苦しむ様
さたも斯やと斗りあられにも又 恐(おそろ)しともいはん方なし其余家居大半ゆがみ或は
菱になり土蔵抔はこと〳〵く土瓦ゆり落し鳥 籠(かご)のことくに成もあり或は崩
古今めづらしき大変前代 未聞(みもん)といひつべしかく有所に已前御僧の
曰く汝今ことなすべし此上は程々仁義五常を守り家業大切に信心怠(しん〳〵おこたる)べからす汝が
家居は家内 一統(いつとう)無事成べしと曰ひけるあら有がたや南無観世音是全御仏の妙助
なりあらはるゝや南無阿弥陀仏〳〵と唱(との)つる声に忽夢は覚にけり
時に安政二年卯十月二日夜亥ノ刻ゟ大地震出火は紀日申ノ刻に火 鎮(しづま)り申候
世直り細見
御屋敷方あらまし小川町辺松平駿河守様松平豊前守様榊原式部様堀田備中守様
内藤駿河守様戸田竹治郎様伊藤若狭守様御火消家敷其外御はた本方百軒也
西御丸下会津様松平下総様内藤紀伊守様松平玄蕃様御本丸下酒井雅樂頭
様森川出羽守様大名小路園州様遠藤但馬守様本多中務様永遠江守
様林大学頭様八代洲岸御火消屋敷迄外桜田大毛利様大鋿様朽木近江守様
小笠原佐渡守様大南部様有馬備後守様亀井様伊藤様柳沢様薩州様御
装束屋敷此外御大名屋敷数有之といへどもあげてかそへがたし
右此度之異変相済候へば向ふ両国 回向院(ゑかういん)において地震大火に付召死人くやうの為大せがき死人凡壱万五千三百余人と云