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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 14

ページ: 14

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【右側上段】 僅少(きんしやう)にして避難所も多ければ救助(きうじよ)を受くる者も多からず 遭難村民の竹槍席【蓆の誤りか】旗 中川筋(なかがはすぢ)氾濫の為め浸水せし各町村(かくちやうそん)の人民 等は何(いづ)れも皆疏水口(みなみづはけぐち)を開きて瀦水(ちよすゐ)を下方へ切落さんとし下方の 村民等はそれ切(き)られては我(わ)が村内(そんない)一円の大迷惑なり是非(ぜひ)とも切 落すとならば腕力(わんりよく)に訴へても工事を妨(さまた)げくれんと甲乙互に一堤 を争ふて果(は)ては竹槍蓆旗(ちくそうせきゝ)の大騒ぎとなりたるもの五 件(けん)あり其一 は南足立郡久右衛門新田の村民(そんみん)が花畑村字内匠新田の流山(ながれやま)堤防 を切開(きりひら)かんとしたるを綾瀬村(あやせむら)以西の人民等に見付(みつけ)られ其三名を 取押(とりお)さへられたるより双方(そうほう)の喧嘩となり今(いま)にも珍事を惹起(ひきおこ)さん としたるが警官(けいくわん)の警戒厳重なりしため遂(つゐ)に蓆旗(むしろはた)を翻へすに至ら さりしは先(ま)づ以(もつ)て僥倖(しあはせ)なり其ニは押上(おしあげ)、柳島等浸水地の人民等 が総武鉄道会社(そうぶてつどうくわいしや)の線路を切開きて水疏(みづは)け口を設(まう)けんとしたるを 予て斯(か)かる挙動(きよどう)もあらんかと同会社(どうくわいしや)にては多くの工夫(こうふ)を寄せ集 めて待(ま)ち設(まう)けたるより工夫(こうふ)と村民(そんみん)との大争闘を起(おこ)し双方負けず 劣らず挑(いど)み合(あ)ひしが是も警官(けいくわん)の注意 周到(しうたう)なりし為め腥風血雨(せいふうけつう)の 大惨状を演(えん)ずるに至(いた)らずして双方 交綏(かうすゐ)したるは何(なに)よりの事なり 其三は南葛飾郡鹿本村字 松本(まつもと)の中田堀は東小松川(ひがしこまつがは)の水が平押に 来ては一 大事(だいじ)と松江、船堀(ふなほり)外六ケ村の農民(のうみん)は予てより松本の菅 原橋詰中田堀締切を警戒(けいかい)し川端へは土俵(どへう)を積上(つみあ)げ防ぎ居たる所 へ十九日の午後(ごご)二時頃 小松川警察署(こまつがはけいさつしよ)は巡査を同所へ派出(はしゆつ)させ排 水の為め中田堀締切(なかだほりしめきり)を切開せよと伝(つた)へさしに村民等(そんみんら)は勿々(なか〳〵)承 知せず当所(たうしよ)を開かれては他村(たそん)の都合は至極好(しごくよ)かろうが我々の難 儀となる次第(しだい)なれば骨が腐(くさ)つても御下命(ごかめい)に応(おう)ずる事はでき申さ 【右側下段】 ずと手強(てごわ)き云ひ状(じやう)に小松川署に於(おい)ては縦(よし)それならばと直ちに数 十名の巡査(じゆんさ)を船にて再(ふたゝ)び同所へ派出させ百 方説諭(ほうせつゆ)を加へたれど 村民等は一 向承引(かうしよういん)の景色なく却(かへつ)て土俵の上に仰向(あふむけ)となりて締切 を切開(きりひら)くなら先づ我々(われ〳〵)を殺してかゝてなぞと至(いたつ)て不穏の兆をあ らはしたれは巡査(じゆんさ)は直に首謀者(しゆばうしや)とも覚しき四五名を引致(いんち)し松江 村八藏橋まで引揚(ひきあ)げたり然(しか)るに村民等は是(こ)れが為(た)めいよ〳〵激 昂し竹法螺早鐘(たけほらはやがね)にて数百名の壮丁(わかもの)を募集し各自鍬竹槍(おの〳〵くわたけやり)等を提げ 八藏橋へ押寄(おしよ)せて茲に巡査(じゆんさ)と村民は遂(つひ)に大衝突を来し喚き叫ん で闘(たゝか)ひしが烏合の村民(そんみん)とは云へ一 心凝(しこつ)ては巡査の抜釼(ばつけん)等も何の 甲斐なく遂(つひ)に首謀者(しゆばうしや)を取返されしが小松川署(こまつがはしよ)にては此の急報に 接し再度(また〳〵)数十名の応援(おうえん)巡査を操出(くりだ)して漸(やうや)くこれを取鎮め猶ほ暴 行者の内(うち)三名を引致し肝腎(かんじん)の締切切開も一時 其侭(そのまゝ)となりたる由 其四は廿日 午後(ごご)三時頃に於(お)ける亀井戸(かめゐど)村民の同士打喧嘩にして 其 端緒(たんしよ)は天神川東岸の水防工事(すゐばうこうじ)の巧拙如何の言(い)ひ争ひたるまで なれども双方共(さうはうとも)に必死となりて働(はたら)き居る時のことなれば忽(たちま)ち躍起(やくき) となりて争論(そうろん)を始め遂には鍬飛(くはと)び鳶口舞ひ竹槍(たけやり)の間には時々仕 込杖の閃(ひら)めくをも見受(みう)けたりされど水防 工事(こうじ)は案外に其効を奏 して亀井戸一円は何(なん)の損害(そんがい)をも受けず究竟(つまり)無益の同士打たるに 過ぎざれば警官及(けいくわんおよ)び土地の有力者の仲裁(ちうさい)を機として双方 共(とも)に亀 井戸天神の境内(きやうない)に集まりて仲直りの酒宴(しゆえん)を開き互の怒気は酒樽 の菰(こも)と共に打解(うちと)けて後は酔語の喃々喋々(なん〳〵てふ〳〵)一喧嘩の花の咲かざり しは水防工事の奏効(そうこう)と共に愛でたし愛(め)でたし其五は同(おな)じく廿日 午後九時 頃(ころ)の出来事にして亀井戸村(かめゐどむら)とは天神川一条を隔(へだ)てたる 【左側上段】 錦糸堀の大争闘(だいそうたう)なり事の起(おこ)りは押上、柳島ニ村の人民が溜(たま)れる 濁水(だくすゐ)を横川筋へ切り落落(きりおと)さんとて総武鉄道会社の曾(かつ)て築設(ちくせつ)せる錦糸 堀際の堤防(てうばう)を決壊せんとせしをかくと聞(き)きたる太平町、向柳原 の人民等は大(おほひ)に激昂しこは我々町内(われ〳〵ちやうない)を水難に陥らしむるの挙動(きよどう) なり切(き)らば切(き)れ眼(め)に物見(ものみ)せんと各々 得物(えもの)々々を携へて同処へ集 まりたり押上、柳島(やなぎしま)の連中等も何(な)に切らさぬとならば腕力に訴 へても切(き)ツて見(み)せんと竹槍蓆旗水を乱(みだ)して押し寄せたり見物人 か之(これ)を見てソラこそ喧嘩(かんくわ)と濁流中を匍(ほ)ふ如くに逃(に)げ廻るもあり 倉皇狼狽の其中(そのなか)に先手の争闘は始(はじ)まりぬ研(と)ぎ澄(すま)したる鋤鍬(すきくわ)は半 ば欠けたる月の光に閃(ひらめ)き細く長き仕込杖は数万千の弓張(ゆみはり)提灯に 照されて霜置(しもお)く秋野の薄(すゝき)に似たり之をも恐(おそ)れずして村民等の一 群は源兵 宇治川(うじがは)を乱るの勢を以て進(すゝ)み市民等は呉軍長江を挟む で防(ふせ)ぐの備(そなへ)をなし勝敗 何時果(いつは)つべしとも見(み)えざりしが是も警官 の仲裁(ちうさい)に依り傷者三名を出(いだ)すに過(すぎ)ぎずして夜色と共(とも)に静まりぬ 彼れと云ひ是れと云ひ警官(けいくわん)の心労 謝(しや)するに余りあり ●飲用水の争ひ 本所 太平(たいへい)町辺にては濁流(だくりう)の井中に入(い)りてより 飲用水(いんようすゐ)なきに苦み居りしが亀戸天神(かめゐどてんじん)の境内にある井水(せいすゐ)は清凉(せいりやう)な るより太平町に住(ぢう)せる某(ばう)なるものが此井水を汲(く)まんとせしに同 所を警戒(けいかい)せし内の一人が某の面部(めんぶ)を殴打せしかば町内(ちやうない)のものは 大(おほい)に怒り之れより同所(どうしよ)へ押掛け復讐せんものと集合(しふかふ)したる其数 は百 余名(よめい)とが註せられける斯(か)くて百余の同勢(どうせい)は冷酒(ひやざけ)十樽に勇気 を鼓(こ)し今や押寄せんとせし処(ところ)に本所警察署より警部(けいぶ)一名 巡査(じゆんさ)ニ 十名出張して説諭(せつゆ)を加へ大争闘を為(な)すに及(およぼ)ずして鎮静(ちうせい)に帰しぬ 【左側下段】 ●罹災者惨状の一班 小梅引舟川(こむめひきふねがわ)より源森川へ排水(はいすゐ)の為め切り 開(ひら)きたる樋(ひ)の口(くち)に濁流逆捲き来りて物凄(ものすご)き水勢なるを以て同所(どうしよ) 往還は漸く水量二尺 位(ぐらゐ)なるも通行人(つうかうにん)の危険少らぬ故 此排水附近(このはいすゐふきん) を越(こ)ゆる為め業平橋の方より大なる綱(つな)を引張り通行人は此の綱 に頼て渡(わた)り越すの趣向(しゆかう)を設けたるも此急流(このきうりう)に両足を捉(と)られ逆捲 く源森川に逆落(さかお)ちして生死(せいし)も知れずなりたる弥次馬見物(やじむまけんぶつ)二名あ りしと特(とく)に最も危険(きけん)なりしは四ツ木辺(ぎへん)より逃(に)げ来る小舟は乳呑(ちのみ) 児(ご)を抱えし婦人(ふじん)とも五名 乗込(のりこ)み引舟通りを漕寄せ来(きた)りしが激流 の為め舟(ふね)を途中に停止(ていし)するの遑なく見る間に小舟(こぶね)は入樋(いりひ)の切開 らき口より真逆様(まつさかさま)に源森川に落る途端(とたん)に舟首を突込こむや否舟 尾を煽(あふ)られ小舟は艫(とも)の方より逆(さか)トンボを打て源森川(げんもりがわ)に墜(おち)たるに 居合たる人々手に汗握(あせにぎ)りアハヤと叫ぶ間に激流(げきりう)の為に五名は向(むかふ) 河岸(がし)即ち一銭蒸気船社主古川幸七 氏(し)の裏手(うらて)に突掛けられたる処 を引揚(ひきあ)げたれば幸に無事(ぶじ)に助かりしは僥倖(ぎやうかう)といふべし ●向島一円救助の現況 本所区役所(ほんじようくやくしよ)は同警察署に交渉(かうせう)し大に救 助を力めたるが特(こと)に惨状(さんじよう)を極めたるは小梅請地吾嬬村 附近(ふきん)にし て人家(じんか)は大概 鴨居(かもゐ)を浸したるも尚ほ増水(ぞうすゐ)の模様(もやう)なるに逃げ後れ の人々は床上(しやうじやう)に台(だい)を築きて襖畳類(ふすまたゝみるい)を積み重ね其上に凌(しの)ぎ居 たれど遂(つひ)には天井裡に迄這ひ上る始末(しまつ)となり是に於て天井裏(てんじやうゝら)よ り茅葺屋根を鑿(うが)ち首を伸して救助(きうじよ)を叫ぶもの其処彼処にあるを 以て直(たゞ)ちに救助船(きうじよせん)を漕ぎ寄せ押上堤、橋本楼前(はしもとらうまへ)に送りたるもの 凡(およそ)二百 余名(よめい)なるが之より先き同所妙見堂(どうしよめうけんどう)に逃来りしもの数(すう)十 名(めい) 境内一円の浸水(しんすゐ)にて本堂に凌(しの)ぎ居もの亦救助を訴(うつた)へて止まざれ