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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 17

ページ: 17

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【右側上段】 土手へ向け仮橋(かりばし)を架(が)し僅かに来往をなし居れり此の如きは殊に 芸者屋に多く大姐小姐が軽羅(けいら)を翻(ひるが)へして橋上を走り居れる態は 宛然(さながら)織女が鵲の渡せる橋を伝ふて他の牽牛をして空しく悩殺せ しむるものゝ如く幾多(いくた)の風流連は頤に涎の洪水を漲(みなぎ)らしつゝ呆(ぼう) 然(ぜん)たるもあり此橋下の大道(だいだう)も今は一面の水浸しにて深さ幾尺(いくしやく)な るを知らず田舟、釣舟、盥舟、木葉 筏(いかだ)は断えず此橋下を漕ぎ行 き漕ぎ戻りて箪笥(たんす)、葛籠(つゝら)を搬(はこ)びつゝあり殊に可笑(おか)しきは泣き疲 れて呆然(ぼうぜん)たる遭難者多きが中にも憂きを憂きとし思はざる河童(かつぱ) 子供(こども)の赤裸(はだか)となりて濁流(だくりう)を泅浮(およぎ)を試み居れる一事なり其他 洋服(やうふく) 着用の見物人、見舞人等が丸濡(まるぬれ)若くは泥塗(どろまみ)れとなりて堤上に攀 ぢ登り二八の美人(びにん)が尻引ツ褰(から)げて車を輓き居れるなど随分気の 毒にも又 可笑(をか)しき事ども多し新小梅町水戸 (徳川 侯爵(こうしやく))邸も濁水 の侵入を蒙りたり同邸(どうてい)に於ては予てより其準備に怠(おこた)りなく従来 の堤防(ていばう)を今一層加工などして用意周到なりしもヨモヤ床上二三 尺まで達する程の洪水あらんとは予期(よき)し居らざりしとか然るに 濁流は遠慮 会釈(えしやく)もなく滔々(たう〳〵)として邸内に注(そゝ)ぎ込みさしもに広き 四万余坪の邸内も見る〳〵 湖海(こかい)と化し去りぬ幸にして邸内には 怪我人(けがにん)等一人もなく各々二階に昇りて水難(すゐなん)を避け三食及び薪水 は数隻(すうせき)の小艇之を運びて需要(じゆえう)を充たしつゝありされど濁水の減 退最と緩慢にして何時 旧態(きうたい)に復すべきかを知らず之が為め同邸(どうてい) に於ては御舟入水閘(をふないれすいあふ)一部分を切開(きりひら)きて濁水を枕橋下に切り落し たり之と同時に同邸の南側(なんそく)即ち引船通りも自然と決壊(けつくわい)したれば 濁流は源森橋際を併(あは)せて都合三箇所より鼕々 瀧(たき)をなして源森川 【右側下段】 に落ち込み其 影響(えいきやう)は忽ち隅田、吾嬬の諸村(しよそん)に及ぼして各所一時 に其水量の幾部分(いくぶん)を減退せりと云ふ榎本子爵の私邸(してい)は浸水最も 甚しく深さ丈余に達し到底(たうてい)舟行ならでは来往し難し同子爵は出 水の報に接(せつ)すると間もなく軽装(けいさう)して堤上に駈け付け軈て舟子を 指揮して海を乗り渡(わた)り自邸を指して赴かれたるを見受けたり尚 ほ此他にも依田学海、小室信夫、彫刻師宮亀年、宗匠永機諸氏の 邸宅も皆濁水中に陥没(かんぼつ)したるも一々 僂指(るし)するに遑あらず之を要 するに隅田堤内は牛御前(うしのごぜん)及び長命寺の一部 僅(わず)かに浸水を免れて 避難所若くは患者(くわんじや)施療場となり居るの外一も満足(まんぞく)なる家屋ある ことなし之に反して堤外(ていぐわい)なる植半及び大倉別邸等の処は毫も異 状なく目下(もつか)何れも避難所となり居れりと云ふ ●紡績会社々員諸君 の今回水害 救助(きうじよ)に尽力せる功は実に感謝 に堪へたる者にして各其 家族(かぞく)は他に避難せしめ自宅(じたく)は浸水夥し きにも係(かゝは)らず荷物(にもつ)運搬等は一切抛擲し一意救助に汲々(きう〳〵)たりし ●戸板の筏と田舟 の往来(わうらい)する様十里の長堤到る所然らざるは なし青々たる昨日の千町田(ちまちだ)今日は亦其 面影(おもかげ)を止べくもあらず桑 田変じて滄海(そうかい)となる実に浮世は定なき者と無情(むじやう)の感を惹(ひく)こと多し ●八百松門内(やおまつもんない) 車夫伴待所(しやふともまちじょよ)に本所区役所吏員出張し専(もつぱ)ら救助の 方策に汲々(きう〳〵)たり幾多の腕車(わんしや)に本所区々役所と記(しり)したる小旗を目 印として吏員(りゐん)の奔走出入夥し ●牛島神社内 は少(すこ)しく小高(こだか)き所とて水は石壇(いしだん)を半ば以上 没(ぼつ)し たるのみにて社畔(しやはん)は其患なければ拝殿(はいでん)に集ひたる須崎町中の郷 小梅寺島 等(とう)の避難人(ひなんじん)目下其数三百余名なり弁当(べんたう)は初めは千 住町(じゅゆまち)