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【右側上段】
の渡船場抔(わたしばなど)は何れも先を争ひ婦女子は容易(ようい)に渡るを得(え)ざる有様
にてそれに引連れ言問団子(ことゝひだんご)は爪も立ぬ程の来客(らいきやく)なり
●弁松と毛抜鮨 紳士(しんし)紳商の水害 見舞(みまひ)の為めに魚(うを)がしの弁松(べんまつ)の
煮染(にしめ)と竃河岸の毛抜(けぬき)ずしは目(め)の廻る程 忙(いそが)しく他の客を断る始末
とは世(よ)は様々(さま〴〵)の幸不幸あり
●渡船賃三十銭 向島 牛(うし)の御前(ごぜん)の近傍に住む小室 信夫(のぶを)氏は実業
界に名(な)のある人(ひと)とて今回の水害(すゐがい)に見舞ふ者多きを早(はや)くも斯くと
知りし者(もの)は小船を雇(やと)ひ来て同家(どうけ)へ見舞ふ者を渡し一人前三十銭
と云う無法(ふはう)な賃銭を貪(むさぼ)りし者ありと
●船頭の銭儲け 向島 渡舟場(わたしば)の船頭は今回の水害(すゐがい)に付て見物人
又は見舞人(みまいにん)等の多く出し為め一日十 円(ゑん)以上の賃銭(ちんせん)を得たりと云
ふ
●六あみだ 亀戸村(かめどむら)の西帰山 浄光寺(じやうくわうじ)は六阿弥陀六 番目(ばんめ)なれば彼
岸中は善男善女(ぜんなんぜんによ)の参詣する者 多(おほ)くお賽銭の百五十六円も落(お)ちる
のに今年(ことし)は出水にて阿弥陀様(あみださま)も水浸りとなりて坊(ぼう)さんは泣阿弥
陀
●水量の増減 須崎(すさき)町二十二番地に住(ぢう)せる田邊 實明氏(さねあきし)は自家の
庭中(ていちう)に水量標を設(まう)け一時間 毎(ごと)に之を験測(けんそく)したるに十七日午前ニ
時に床上に達(たつ)し正午には地盤(ちばん)より高(たか)きこと三尺六寸に及(およ)び正午
より午後五 時頃(じころ)までは一時間に一 寸(すん)二三分づゝ増(ま)し午後八時に
至ては四 尺(しやく)一寸ニ分となりたるが 是(こ)れが浸水(しんすゐ)の最高度にして夫
より一 時間毎(じかんごと)にニ分或は一 分(ぶ)位づゝ 減水(げんすゐ)したりと云ふ
●立石梅若間の通船 向島 梅若(うめわか)及び小梅(こうめ)より立石に至る通船(かよひせん)あ
【右側下段】
りて同地方 通行者(つうかうしや)の便を図り居たり賃銀(ちんぎん)は一人ニ十銭 位(ぐらゐ)なれど
一人にて雇(やと)はゞ四 円(ゑん)五十 銭位(せんぐらゐ)貪らるゝ事ありしと
●隅田丸の繁昌 大川筋(おほかはすじ)の一銭汽船隅田丸は過日(くわじつ)の出水に就
き四五日間 休業(きうげふ)し持主等も大こぼしなりしに見物の人出(ひとで)にて忽
ち休業の損失(そんしつ)を埋(う)め合せ尚ほ余程(よほど)の収益ありたりと此等は洪水(こうずゐ)
の余徳(よとく)とも称すべきか
●渡船四十銭 玉川筋(たまがはすぢ)二子の渡船場(とせんば)にては平日(へいじつ)一銭の渡銭なる
を一時四十 銭宛(せんづゝ)となし又十銭を減(げん)して三十銭となしたるよし
●水難救助隊を組織す 日本橋区 浜町(はまちやう)春田吉治氏は夙に水練(すゐれん)の
技に長し毎年 夏期(かき)には大川端(おほかはばた)に水練場を設(まう)けて子弟に水練(すゐれん)を教
ふる人なるが府下 郡部(ぐんぶ)の出水夥しきを聞(き)き同じく水練場を設け
て子弟(してい)に教授する者の内 有志(いうし)を語(かたら)ひ大巾の白木綿(しろもめん)に水難救助、
勇義隊など思ひ〳〵に書流(かきなが)したる旗(はた)十余旒を押立て各門弟を抜(ばつ)
擢(てき)して百 有余名(いうよめう)一隊をなし墨堤に押掛(おしか)け之れより夫れ〳〵手配
をなし隅田村 附近(ふきん)の水難救助に尽力(じんりよく)したりと
●堤防の工事 奥戸村 字(あざ)奥戸新田の破堤(はてい)修築工事は廿三日午後
六時五分を以て全(まつた)く中川筋の濁流(だくりう)を堰(せ)き止むるを得、尚ほ引続(ひきつゞ)
き堤防(ていぼう)を高めつゝあり又南足立郡花畑村 大字(おゝあざ)六ツ木の締切工事(しめきりこうじ)
はニ十三日までに破壊口(はくわいぐち)四十余間中 締切(しめきり)準備の為め杭木を打(う)ち
建(た)てたるもの三十六間、土俵(どへう)を以て堰き止めたるもの十八間、
沈床(ちんしやう)一層のみを沈下(ちんか)せしもの二十五間にして尚ほ府庁より現場(げんぢやう)
へ送り付けたる材料(ざいたう)は粗朶(そだ)一万ニ千束 栗石(くりいし)五十 坪(つぼ)、杭木四百本、
空俵一万一千俵にして遂(つひ)に其奏功を見(み)るに至(いた)れり府庁吏員の其
【左側上段】
職務(しよくむ)に励精(れいせい)なる遂に陸軍工兵隊の援助(えんぢよ)を仰ぐに至らずして止み
たるは吾曹の最も感謝(かんしや)する所にして亦た府民一同の徳(とく)とする所
なり
●防水材料運搬の困難 当初(たうしよ)に於ては材料水夫(ざいれうすゐふ)共に乏しくして
工事捗々(こうじはか〳〵)しからず搗(か)てゝ加(くわ)へて中川の水運は逆井橋外三橋別し
ては総武線鉄橋(そうぶせんてつけう)の為めに防げられ且つ小汽船 行進(かうしん)の際には其波
動を両岸(りやうがん)に及ぼし堤防の脆弱(ぜいじやく)なる為め危険愈々 加(くわ)はる有様なり
しかば已(や)むを得ず荷車(にぐるま)又たは人肩もて総(すべ)ての材料を運搬(うんぱん)し来り
しが此頃(このごろ)本流の水量稍々 退(しりぞ)き危険の度漸く減(げん)じたる為め廿日初
夜過ぎよりは小汽船を通行することとなり又同時(またどうじ)に江戸川堤防金
町村地先 切開(きりひら)きの場所よりも小伝馬船(こでんまふね)を通ずることを得(ゑ)たれば材
料運搬の一 事(じ)は大(おほひ)に其困難を減(げん)じたりと云ふ
●被害地視察雑記
我が東京府下の洪水は実(じつ)に弘化三年以降 宛(あだか)も五十一年目の大洪
水にして市民(しみん)の恐怖一方ならず殊に向島の如きは都下八勝の第
一位を占(し)めて春夏秋冬 曾(かつ)て花あらざるはなく中にも桜霞堤上に
靉(たなび)く此(ころ)は都下の老若男女、貴賤貧富 誰(だ)れ彼(か)れの区別(くべつ)なく来り遊
ぶの名区なれば紳士豪商の別邸(べつてい)、風流隠士の家屋 参差(さんさ)として聳
江料理屋、掛茶屋 軒(のき)を並べて連(つら)なるのみならず白粉臭(おしろひくさ)き姐(ねえ)さん
の棲家(すみか)、紅閨春深き権君の巣窟(さうくつ)又真性無垢の三囲神社の阿狐さ
んの棲穴(すみあな)など土手下一面に押し並びたる場所柄(ばしよから)のこととて其周章
狼狽の態も一層甚しく水出の頃には紅裙(こうくん)を搴(から)げて逃げ出すもの
化粧道具を抱(いだ)きて避難するもの此処の土堤にも彼処(かしこ)の樹下にも
【左側下段】
夥しく人をして交々苦笑又た酸鼻(さんび)せしめたり新聞に噂さに之を
聞きたる人々その向島に親類(しんるゐ)縁家ある人々は酒筒提(さゝつぼさ)げ殽(さかな)携へて
見舞(みまひ)に赴くもあり例の弥次馬連は面白(おもしろ)半分隅田堤へ駈け付くる
もあり家具を満載(まんさい)して堤を南下する避難者もあれば荷車に小舟
を積み載せて北行する徒(やから)もあり土俵を搬(はこ)ぶ水防夫の懸け声勇ま
しく混雑(こんざつ)を制する警察官の叱咤 巌(いが)めしく水店、小売酒屋、酢屋、
駄菓子屋、餅屋、豆屋は俄かに店を堤上に開きて水見の客を迎へ
遭難者、手伝ひ人、水防夫は樹下(じゆか)に握飯を食(くら)ひて飢を凌ぎ竹屋の
渡守(わたしもり)は漕ぎ草臥(くたび)れて乗客の多きに苦(くる)しみ堤上の掛茶屋は我が家
を避難所に当(あ)てられて商売(しやうばい)の術なきを歎じ十人十色百人百種の
人物幾万とも数へきれざる程に堤上に麕集(きんしふ)し其雑沓花時にも増
して夥し唯々花時の佳殽(かこう)は沢庵漬よりも旨さうにして春来の泥
酔連中は今乃(いまぞ)一人だもなきを異なりとするのみ潦水(ろうすい)の深さは処
によりて差等あり土手際を距(さ)る遠(とほ)き場所に於ては深サ丈余に達
すべく濁流(だくりう)は甍(いらか)と其高サを等(ひと)しくして人家は宛然湖中の小島の
如く松林樹叢も深く其幹を水中に没(ぼつ)して一瞥すれば殆んど芦葦(ろゐ)
の如く全景(ぜんけい)を見渡したる処は霞浦湖上に潮来(いたこ)の十六島を遠望し
たる景色と相似たり土手下の家屋(かをく)はさまで深く水中に没せざれ
ども三囲神社は恰も図画中(づぐわちう)の安芸の宮島を望むが如く玉籬(たまがき)の頂
一尺許りを抜き居る丈けにて他は翠松(すゐしやう)の空しく水面を摩するあ
るのみされは民家(みんか)の建仁寺垣又は籬笆(いけがき)などの九分まで水中に没
して平屋(ひらや)の軒の影(かげ)さへ見えぬも別に訝(いぶ)かしからず唯々堤下近く
の二階家若くは三階家は竹梯(たけばしご)、火事梯など用ゐて俄(には)かに窓より