翻刻
【左側上段】
より取寄(とりよ)せたれど後には鍛化(たんくわ)にて数個の竃(かまど)を造りたれば焚出し
自由なるべしと云ふ警官(けいくわん)二三名 田舟(たぶね)に乗じ四斗樽数個に清水(せいすゐ)を
盛り運搬(うんぱん)するを見る是れは秋葉神社(あきはじんじや)に猶三十名の避難者(ひなんしや)あり其
他ニ 階住居(かいずまい)の避難者へ給水の為めなりとか同神社(どうじんじや)にては十六日
夜十時より太鼓(たいこ)を絶えず打鳴(うちな)らし水害を警報し尚氏子総代区会(なほうじこそうだいくゝわい)
議員戸崎萬次郎氏の如きは戸々(こゝ)に諭(さと)して速かに退去せしめんと
しゝに住民(じゆうみん)の多くは之を嘲笑(てうせう)する者さへありて平気(へいき)なりしに俄(が)
然押寄(ぜんおしよ)せたる洪水に狼狽して荷物さへ取出(とりいだ)さずして命辛々逃げ
出したるも多しとかや華族(くわぞく)にては池田侯永井子【爵漏れか】等は疾(はや)く其難(そのなん)を
避(さ)けられたれど松平家にては十七日の午前(ごぜん)六 時頃僅(じごろわづ)かに二三の
小荷物(こにもつ)のみを携へて小石川(こいしかわ)の本邸に避難(ひなん)せられしと云ふ、尚(な)ほ
同神社の病人(びようにん)十一名あり医師(いし)小泉恭平 氏(し)も避難中なれば同氏の
診察(しんさつ)を乞ひて療養(れうやう)せしめたり又同岩崎周作氏梨本勇氏及び氏子
総代中田伊三郎氏 等(とう)は共に奮(ふるつ)て救助に尽力(じんりよく)せられたり、井水(せいすゐ)は
社内(しやない)に一ヶ所と堤外(ていぐわい)に一ヶ所とあるのみなれば頗(すこぶ)る不便を極め
たり尚進(なほすゝん)で大倉邸より白髭附近(しらひげふきん)も浸水 三囲附近(みめぐりふきん)と同一にして稍(やゝ)
水量の多きを認めたり
●寺島村(てらじまむら)なる隅田家 も寺島村救済所(てらじまむらきうざいしよ)となり永井子爵立退所と
なれり此 附近(ふきん)の住民は水難(すゐなん)を前知したれば市内(しない)の親戚等(しんせきとう)に避難
したる向多ければ目下 同所(どうしよ)には救助人九十三名と病人二三名あ
り鐘(かね)ケ淵紡績会社(ふちぼうせきくわいしや)より弁当三百人 三井組(みつゐぐみ)より四百 人前寄付(にんまへきふ)せら
れたる旨掲示せらる進んで、小松島(こまつじま)に至るに道傍(みちばた)の桜に常夜燈
の結付(ゆいゆけ)あり何かと中を覗(のぞ)けば鼬(いたち)のズブ濡れになり震戦(ふるへ)ゐたり
【左側下段】
鼬の河流(かわなが)れも折柄 悲(かな)しき中にもおかし
●隅田村立小学校 に至(いたれ)ば村役場(むらやくば)の吏員(りゐん)と教員酒井愛知矢野正
弘諸氏 専(もつぱ)ら弁当配布(べんたうはいふ)に斡旋したり小村(こむら)の事なり不意(ふい)の事とて用(よう)
意(い)更になく鐘ケ淵紡績会社三井物産会社 等(とう)の厚意(こうい)に因(より)て十六十
七 両日(りやうじ)に千五百の弁当(べんたう)を発し目下(もくか)三百名の避難者(ひなんしや)を救助したり
●鐘ケ淵紡績会社手前 なる堤防(ていばう)三間計 切開(きりひら)きたれば土手以東(どていとう)
の溜(たま)り水は矢を射る如く大川(おほかわ)に向て排泄しつゝあれど如何せん
目に余(あま)る程の大水(たいすゐ)なれば容易に減水(げんすゐ)すへくも見えす去て紡績会(ばうせきくわい)
社(しや)を訪へば支配人(しはいにん)和田豊治 氏洋服(しやうふく)に草鞋穿にて面談(めんだん)あり因て其
救助の詳細(しようさい)を知ることを得たり同会社は去十六日 午後(ごゝ)より休業(きうげう)し
重役始め技師社員(ぎししやゐん)六十名の外助員(ほかじよゐん)数十名 総出(そうで)にて避難者救助に
余力(よりよく)を剰さず渡船(とせん)十 隻(せき)を借入れ隅田村付近(すみだむらふきん)の被害者に弁当(べんたう)を給
与し其他は寺島隅田両村々役場(てらじますみだりやうそん〳〵やくば)に依頼し配布せしめたる弁当の
数二千八百に達せり右は同会社と三井物産(みつゐぶつさん)、同銀行(どうぎんかう)、同鉱山同(どうくわうざんどう)
工業部(こうげふぶ)の厚意(こうい)に出でたるものなりと尚(なほ)同会社の見込にて堤防開
通の策を府庁(ふてう)に申請(しんせい)せしに其排水(そのはいすゐ)の汎濫を防ぐ材料無(ざいれうな)しとの回(くわい)
答(たふ)に同会社は土俵材木等(どへうざいもくとう)も一々寄附し遂に落成せしめたり(右
開鑿に就ては府庁第二課池上属非常の尽力(じんりよく)ありしと云ふ)目下
同会社に避難(ひなん)する人員は四百人にして糸倉荷造場女工喫飯所タ
ンク台等に充満せり
●小梅引舟通(こむめひきふねとほ)りの石油会社(せきゆうわいしや) に浸水(しんすゐ)して油流れ一 函(はこ)八百 円位(ゑんぐらゐ)の
もの十 函流失(はこりうしつ)せしといへば其損害(そのそんがい)は石油会社のみにても一万円
以上なるべしとの説(せつ)あり又たこの油下流(あぶらかりう)に流れて引舟通(ひきふねとほ)りの淀