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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 20

ページ: 20

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【右側上段】 み〳〵にたまり樹木家屋(じゆもくかをく)などへ着くに其穢(そのきたな)き事臭き事いはん方 なし数寄(すき)を作(な)せし茶屋敷、別荘など皆この汚物(おぶつ)のために磨(ま)すべ からざる痕(あと)を残すなるべしと ●「毎月(まいげつ)十八日 向島(むかうじま)秋葉神社月次祭 当日神楽(たうじつかぐら)にわか商人中」 など記せし貼札(はりふだ)向島以南の村落(そんらく)の諸所(しよ〳〵)に貼り在るが其(その)十八日と いふに寂(さび)しく水に弄(なぶ)られて立てるさまは憐(あは)れにも殊に憐れ深し ●水因(すゐいん)三 昧(まい) といふ額(がく)を掲げたる湯屋小梅町(ゆやこむめちやう)に在りき這は一 昨(さく) 年祝融(ねんしゆくゆう)の怒に触(ふ)れつる家なりしか羹(あつもの)に懲りて終に鱠(なます)のために 舌を損せしも水とは深(ふか)き因縁(いんねん)にや此辺「此処井戸(このところゐど)」など貼札(はりふだ)を なせしもあり「立退(たちのき)」の札は戸々(こゝ)概ね然り ●壮士体(さうしてい)の者(もの)十五人 づゝ紙幡(かみはた)に「涙(なみだ)を揮(ふる)つて同胞(どうばう)に告ぐ」と 押して両国広小路、浅草広小路 辺(へん)を徘徊(はいくわい)するものあり彼等(かれら)は大(たい) 声疾呼(せいしつこ)して都人士が惨害見物(さんよいけんぶつ)の暴状を責め大に罹災人民(りさいじんみん)を救助 すべしと説き尚(な)ほ吉原にて仁和賀(にわか)といふ全盛遊(ぜんせいあそ)びする不都合を 痛罵(つうば)せり其影響にもあるまじけれど吉原(よしはら)にても仁和賀(にわか)の延期を なし一 習慣遠慮(しうかんえんりよ)することゝせりと ●業平橋附近 業平橋(なりひらばし)の傍らなる〆切(しめきり)は水流瀧の如く其口(そのくち)のみ よりは吸尽(すいつく)しかねて〆切の両岸(りやうがん)より落つること又た瀧(たき)に似たり ●小梅(こむめ)瓦町辺 より先きは道路(だうろ)の上にても水の深(ふか)さ大人の乳(ちゝ)の 上を越し其上 石油会社(せきゆぐわいしや)のコールタア及び諸種の油混々と流(なが)れて 通るに堪(た)へず然(さ)れど通らねばならぬ人々(ひと〳〵)は裸体(はだか)になりて行けり ●牛島(うしじま)小学校附近 水極(みづきわ)めて深く小学校などは床(ゆか)の高(たか)さ三尺程 なれど尚(な)ほ浸水(しんすゐ)一尺に及び床の上に腰(こし)かけを並べ器具(きぐ)を置けり 【右側下段】 近辺(きんぺん)の人々こゝに避難(ひなん)せるもあり此辺は亀井吉川(かめゐよしかわ)などいふ財産(ざいさん) 家の別邸(べつてい)多けれど孰れも浸水(しんすゐ)せざるは無く門内(もんない)を船、筏(いかだ)などに て通ひ来訪人(らいはうにん)の名刺を筏の上にて受取(うけと)り居れり ●引舟通(ひきふねとほり)の所々 には屋台囃屋台(やだいはやしやたい)など在りこれは十八日の牛島 神社の祭典(さいてん)のために設けしものなるを今(いま)は却(かへ)りて近所(きんじよ)の人の避(ひ) 難所(なんじよ)となれり此辺(このへん)一 旦新(たんあら)たに床を上げしに尚ほ増水(ぞうすゐ)して畳の水 に浸りしものいと多し ●一葦の舟に棹して 業平橋(なりひらばし)より木下川の方に向へば何処(いづこ)も同 じ水(みづ)の中にて請地裏(うけちうら)には植木屋(うゑきや)多く百円百五十円なといふ松(まつ)の 皆猿猴(みなましら)の如き形して水の月(つき)さへ取りあへぬこそ憐(あは)れなれ菊(きく)の床 も水に浸(ひた)り秋草(しうさう)も溺れたゞ是れのみはと撫子(なてしこ)の苗(なへ)を戸棚(とだな)に乗せ て浮(うか)せしも見ゆ請地(うけち)の白名(しろな)といふ植木屋などは将軍(せうぐん)の御成門(おなりもん)さ へあれとそれも泥水(でいすゐ)の中に在りし昔(むかし)を嘆つのみ松(まつ)も水に浸たし 下枝(したえだ)は大分傷(だいふんいた)むべけれど幸ひに土用中の水(みづ)ならねば損害(そんがい)は少な からんと ●柳島(やなぎしま)の橋本(はしもと) は一尺位の浸水(しんすゐ)なるべけれど其傍の柳島橋(やなぎしまはし)より 天神川へ注ぐ水の物凄(ものすご)さ百雷共に轟(とゝろ)く勢なり橋桁も余程傾(よほどかたむ)きか ゝりたり殊(こと)に番小屋(ばんごや)あり高張の提灯いかめしく非常(ひじよう)に備へ居れ り此地先(このちさき)はモスリン紡績会社の埋立地(うめたてち)なるが此一 帯水(たいみづ) ●亀井戸(かめゐど)天神の後手 即ち亀井村に向つて一 度(ど)に推しかゝらん とするより此水溢(このみづあふ)るゝ時は亀井戸より大島村(おほしまむら)を浸しそれより砂 村に至り東京湾(とうけうわん)へ驀地(まつしぐら)に流れ込むべしとて十五日の朝(あさ)より堤防 の上(うへ)へ土俵を積みわづかに之を喰(く)ひ止めたり幾村(いくそん)かの人々を督 【左側上段】 して此困難(このこんなん)の事業に当(あた)りし大島村長(おほしまそんちよう)鶴岡英文巡査黒川匡之の二 氏(し)の如き殆んど声(こえ)を嗄(から)しぬ幸ひにこゝを喰止め ●臥龍梅は無難 なるを得たれど天神(てんじん)は天神川の横手(よこて)より浸水 したり大島亀戸(おほしまかめど)の斯の如くなるに北隣(ほくりん)なる吾妻村にてはおのが 村内(そんない)の浸水を幾分(いくぶん)か減少せしめんがために自村(じそん)の堤防を决し尚 ほ亀戸(かめど)方面の堤防をもきり去りたり ●モスリン会社の土船 は幾(いく)十 艘(そう)この附近に浮(うか)み居りて推(おし)来る 水を堰止(せきと)めしのみならず運(はこ)び来(きた)りし土を以(もつ)て土俵を作り大利益 を亀戸 村民(そんみん)に与へたり又(また)亀戸村民は自村(じそん)の危急の間(あいだ)に於て能く ●隣村吾妻村のため に救助船(きうじよせん)を出し或は被害(ひがい)の人民を自村(じそん)の 学校に伴い来(きた)りて救助したりと云(いふ)是より東(ひがし)の方に進(すゝ)めば水声雷 の如し是(こ)れ ●亀戸村六軒道の土手决して 浸水(しんすゐ)の幾分中川に下(くだ)るあり此(こゝ)は 平常にても四 尋以上(ひろいじやう)の深さにて中川(なかがは)の水屈曲して堤防(ていばう)にあたり 翻つて総武鉄道(そうぶてつどう)の鉄橋の方へ流(なが)るゝあり此処(こゝ)三十間ばかり决裂 して瀧(たき)の勢ひ小(せう)ナイヤガラともいふべし此辺(このへん)一週間ばかり前に は中川の方水嵩高(はうみずかさたか)く ●其水注入らんとして 土手(どて)は廔崩れんとせしにこゝは無事(ぶじ)な りし代りに上流(じやうりう)をば破られ其処(そこ)より水の入(い)りしため其辺(そのへん)は中川 の方三尺ばかり水嵩低(みづかさひく)し中川の奔流(ほんりう)高水の折(をり)は此辺の土手震動 したりといふ今(いま)も尚(な)ほ潰裂しかけたる痕(あと)あり ●中川の土手向ふ平井辺 も一 帯(たい)の泥海(どろうみ)なり釣師の間に名高(なだか)き 西袋辺の土手(どて)は十四日の晩(ばん)には中川の水幾度(みづいくたび)か其上を越したり 【左側下段】 き梅に有名(いうめい)なる ●木下川及び小向井 共(とも)に水中に在り難を遁(のがれ)しは前に記(しる)せし臥 龍梅のみ臥龍梅(ぐわりうばい)より小向井に渡(わた)る境橋はわづかに姿(すがた)を現はすの み此上手に木下川(きねがは)の方へ渡る橋(はし)はたゞ 欄干(らんかん)を現はせしのみ此辺 ●早稲を苅りて 高(たか)く木(き)に掛(か)けて乾(ほ)し置(お)けるに悉く水(みづ)に浸され たり苅らぬ分(ぶん)は勿論(もちろん)なり畑の作物の中唐瓜(うちとうぐわん)の累々として水に浮 ふあり此辺蚊(このへんか)、蛙、イナゴなど無数木(むすうき)にとまり居(お)れりき ●飲料水の欠乏 は被害者(ひがいしや)の尤も苦む所(ところ)なれば巡査は一 名(めい)づゝ ニタリに附添(つきそ)ひて諸方へ水を頒(わか)ち居(を)れり ●船を輸送す 向島本所附近(むかうじまほんじよふきん)にて船を持てるものは皆徴発(みなちやうはつ)せら れて救助船となれり業平町裏(なりひらちやうゝら)の方は船最も少(すくな)き為め小梅の方(ほう)よ り道路の上(うへ)を引上(ひきあ)げて業平町の水(みづ)ある処へおろしたるもののみ にても幾(いく)十 艘(そう)なるを知らず尚(な)ほ不足(ふそく)を告るため柳島辺より釣船(つりふね) 田船を荷車(にぐるま)にて輸送するものひきも切(き)らす ●綾瀬の土手 の潰裂(くわいれつ)するや水勢 極(きわ)めて鋭く土手(どて)口裂け口より 地を堀ること四五 丈(じやう)一 瀉(しや)して三四十 間(けん)の外に砂を推やり二丈(にじやう)以 上の小山を築(きづ)き出(いだ)せり潰裂の口(くち)は二百間以上ありと松戸(まつど)より避 難の人は語(かた)れり ●松戸製瓦会社の機鏙破裂す こは大釜(おほがま)へ火を焚(たき)つけし時(とき)水推 来りしための大破裂(だいはれつ)なり     ●五十一年前の江戸大洪水 徳川 幕府(ばくふ)の時代には何人(なにびと)も陰陽五行に惑溺(わくでき)せしことなるか其末 世の弘化(かうくわ)三年は恰も丙午(ひのへうま)に当りたる故江戸市中は元日(ぐわいち)より用心