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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 32

ページ: 32

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【右側上段】   生保内方面 那小屋大助 小笹養箟 看護婦二名 飯詰方面 赤星敬   次郎 大越恭英 看護婦二名 長信田方面 深味春三 根田忠薫 看護   婦二名 〇赤十字社救護員の派遣 日本赤十字社本部(にほんせきじゆうしやほんぶ)よりは震災救護と して医員(いゐん)一名看護婦四名に天幕毛布等を携帯(けいたい)出張(しゆつちよう)せしむ又本県 赤十字支部より看護婦五名秋田病院医員一名大曲に向け出張(しゆつちよう)せ り八日又本部より看護婦九名出張せり 〇理科大学教授 震災調査(しんさいてうさ)の為め理科大学より教授(けうじゆ)三名を派遣 せり  震災事務委員を名す    属     細 井 鉄三郎   仝   金 崎 武 司  震災御用に付仙北郡急行出張を命す    仝     蛭 川 金 吾  震災事務委員を命す    仝     安 江 仙 政   仝   野 上 直 記     警  部  色 紙 雄七郎   仝   高 根 為 吉   震災に付仙北平鹿のニ郡の急行出張を命す    属     高 林 知 秀   仝   野 上 直 記      ●震災雑録 〇震災後(しんさいご)仮小屋を設け食器狼藉たる中(うち)二個の位牌を安置せるを 見(み)る就て聞けは草薙末吉なるものにして震災(しんさい)当時其子の十一才 なる小娘二才なる男児を負(を)ひたるまゝ屋後に避難(ひなん)し父の呼ふ声 に応(おう)して其傍に至らんとす一 起(き)一 倒歩(たうあゆ)み寄る際轟然家屋は倒壊 し二人は無惨(むざん)の最後を遂(と)けたるなり愛子二人の惨死を見る父の 心推(こゝろお)し計(はか)られて憫れなり 又坂本三四郎なるもの妻は二人の小児 (一人は六才一人は三才) を両腋に抱(いだ)き難(なん)を避(さ)けんとして土間迄出てたる一刹那 家屋(かおく)倒潰 して哀(あわ)れ身(み)は其下に埋(うづ)もれぬ然(しか)れとも命数尽きざりしか梁木の 【右側下段】 間(あひだ)に空隙あり其間に身を置き不思議(ふしぎ)に一命を助(たす)かりたり六才 の小児(せうに)は母と共に助かり三才の小児(せうに)は空しく黄泉の客となりぬ 又藤屋仁助長男七五郎といふもの避難(ひなん)の際(さい)家の出口に到りしに 家屋の倒壊に遭ひ敷居と柱(はしら)との間に左足(さそく)を挟まれ父は此事を知 らす前(まへ)にありて頻りに其子を呼(よ)ひたるを以て告くるに左足(さそく)を挟(はさ) まれ出つること能はさるを以てせり父(ちゝ)はこれを聞(き)き直に其場 に至(いた)り柱の押へを弛(ゆる)からしめんと焦心(あせ)れとも柱重(はしらおも)くして力及ば す依(よつ)て有合ふ丸木を槓杆として非常なる力を出(いだ)して漸く之を救 ひ出(いだ)せりといふ 〇震災当日黒沢尻の危難 本県本典獄増村氏は上京(じようきやう)の為(た)め一家 七人を携へて八月三十一日平和街道を過(す)き杉名畑駅を経て土 場駅 近(ちか)く至(いた)りし頃(ころ)大震の為め山岳忽ち震動し幾ケ所(しよ)となく巌石 千尋の頂より崩壊(ほうくわい)し其音の凄ましきこと幾多の大砲を一時に発 したる如く土煙(つちけふり)は嵓石に従て起り咫尺さへ弁(べん)すべからさる有様 なれば到底(とうてい)一家七人 車夫(しやふ)と共に深渓に埋(うづ)めらるゝより外なき事 と覚悟(かくご)を極(きは)めし事(こと)なりしか幸(さいは)ひにも一行の立止(たちと)まりし所は嵓石 来(きた)らす僅(わづ)かに危難(きなん)を免(の)【ルビか漏れか】れたるも総て道路 崩壊(ほうくわい)し嵓石の転落須臾 も止(や)まされば一歩も動(うご)くこと叶はす声(こゑ)を発(はつ)して頻(しき)りに救を求む れとも誰(たれ)一人 近寄(ちかよ)る者もなし此夜は餓渇を忍(しのび)て此山崖に露臥し たり而(しか)して翌朝(よくてう)に至り雨宮鉄鉱山の鉱夫(かうふ)等 葛蘿(かつら)を攀ち来て一 行(かう) を此危崖より救ひ出したりと 〇諸官衙の損害 秋田市に於(お)ける諸官衙学校病院等の震災損害 は凡(をよ)そ九百三十一円〇五銭なりと 〇河辺郡の被害 家屋の全潰(ぜんくわい)破損等の損害は凡そ壱万千二百六 十円なりと云(い)ふ 〇六郷町田畑の損害 同地は二百五十町歩此収穫減米の見込は 千六百 石此(こくに)の損害(そんがい)壱万三千六百円なり畑は六十町歩にして九百 【左側上段】 円なりと云ふ 〇真昼山に就て 今回(こんくわい)の震源ならんとの説(せつ)ある真昼山は仙北郡 徳郷町と横沢村との中央(ちうわう)東方三里余にありて岩手県西和賀郡に 接(せつ)し往時は噴火山なり其背(そのうしろ)に六十尺に達する噴火口ありて深さ 何尺なるを知(し)らずこれに石を投ずる時(とき)は須臾にして大なる音響 を発(はつ)すると云ふ 〇平和街道 同所は道路(どうろ)崩壊せる為め通行 殆(ほと)んと絶ゆ県境以東 の破損凡(はそんをよ)そ六ケ所にして岩手県 管轄(くわんかつ)地最も甚しく日々鳴動して 木谺に響く物音凄しく時に行人の魂(たましい)を消(しよう)せしむ震動の際は人力(じんりき) 車(し)数間の外に蹴飛はされしことありと云ふ 〇地震の為め焼失せし家屋 六郷 土蔵(どざう)一棟、金沢家屋二戸、飯 詰同一戸畑屋仝四戸なり 〇男鹿寒風山の隠里崩壊す 隠里は南秋田郡男鹿寒風山にあり 其(その)名の大(だい)なるは穹隆として屋(おく)の如(ごと)く小(せう)なるも牛(うし)の如(ごと)き数十百の 巨石重畳堆積して其下(そのした)に数人を入るへき洞口あり何時頃の地震 にや其洞の壊(やふ)れたるも猶其内(なほそのち)に入(い)るに足(た)れり此洞は二間四 方(はう)位 の広さにして今(いま)に歴然(れきぜん)と存在せしが今回(こんくわい)の震動(しんどう)は余波を蒙り瞬 時の間に空(むな)しく崩壊(ほうくわい)したりと云ふ幾百年の昔(むかし)より其名を知(し)られ たる名勝も其形を失(うしな)ひしは遺憾(いかん)と云(い)ふへし 〇震動漸く止む 八月三十一日の劇震(げきしん)より九月十日頃まては数 百回 微震(びしん)を起(おこ)し人心穏かならざりしか漸く十日 後(ご)より震動止み たり 〇武田氏の義捐 武田忠臣氏は六郷町 被害者救助(ひがいしやきうじよ)として金弐百 円を寄附(きふ)せり 〇拾円以上の義捐 三百円加賀谷長兵衛五百円辻兵吉五十円竹 内常助五十円小西平治野口銀平の諸氏なり 〇断層線を発見す 前(ぜん)に震災(しんさい)予防調査 会員(くわいゝん)として出張せられた 【左側下段】 る理学士(りがくし)山崎直方氏よりの報告(ほうこく)に拠(よ)り秋田県震災断層線に陸中 国西和賀郡ワカサチ(報道のまゝ)川舟 辺(へん)なるべし南北(なんほく)に走(はし)る土 地(ち)の陥落其差三メートルを越へ川の位置変(ゐちへん)す美濃根尾谷の断層 と能(よ)く相似(あいに)たりと今其大略の地図(ちづ)を載せて一覧に供す 震源地略図【上部に横書き】 岩手県 胆沢郡 秋田県 雄勝郡 東黒北尻 西和賀郡 駒ヶ岳 平鹿郡           川尻 和賀郡             金沢西根              金沢    飯詰        仙北郡     六郷   藤木                  炉屋       ⦿  カワクチ 真昼山 チヤ 高梨 大嶋?       川舟          横沢   四ケ原         和常   長信タ  清水                 豊川               豊岡    長野               百巌   神代 雫石 ハシバ  山岩峠   生保内                            郡境                            国境                           ⦿震源                           ●烈震 ●秋田市医会員の救護数        微傷患者   軽傷    重傷     計 金沢方面    二 名   六 名   四 名    十二名 飯詰方面    九 名   四 名   七 名    二十名 横沢方面    二 名   十七名   三 名   二十一名 長信田方面   五 名    〇    五 名    十 名 高梨方面    十三名    〇    五 名    十八名 生保内方面   十六名   十五名   七 名   三十八名  計     百〇五名