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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 35

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【右側上段】 〇清和天皇貞観十一年 (千〇二十六年前)陸奥国地大に震(ふる)ふ海嘯 あり溺死(できし)千人許りと三代実録に見えたり 〇後水尾天皇慶長十六年 (二百八十四年前)八月ニ十一日奥羽会 津辺地大に震(ふる)ひ其後九月陸羽地大に震ひ浜海 水溢(みづあふ)れたりと云ふ 〇東山天皇宝永元年 (百九十一年前)羽後秋田地大に震ふ 〇後桜町天皇明和三年 (百二十九年前)正月二十八日陸奥 津軽(つがる)地 大に震ふ 〇光格天皇文化元年 (九十三年前)秋田鳥海の峰 忽然(こつぜん)噴火す其一 角を陥落(かんらく)し併せて象潟の霊地(れいち)を一瞬に埋却し地裂け泥水湧出し 亀ケ崎城 傾(かたむ)き廊下台所向震ひ潰れ侍屋町屋等百姓家の潰れた るもの三千三百計り其他 破損(はそん)多し 〇文化七年庚午八月ニ十七日秋田男鹿大地震あり左の如く御留 守居を以て御挨拶(ごあいさつ)の由 (以下略) 私領分出羽国秋田郡男鹿村に八月二十七日昼 未下刻(ひつじさがり)大地震に付 潰家並に人馬(じんば)怪我人御届書覚  一潰 家 九百三十三  一潰板小屋    一  一半潰板小屋    一        内焼失六  一半 潰 三百八十五  一潰小屋    十八  一破損小屋   二十七  一大 破 三百八十一  一死人   五十八人  一怪我人  百二十二人  一土蔵潰   二十六  一潰板倉     五  一斃馬     十四頭  一仝半潰    十九  一仝半潰     一  一仝怪我     三頭  一仝破損   四十五  一破損仝     一    以上      山本郡部  一潰家 五十一  一半潰 五十五  一大破 三十七  一大破寺 十一 右同社   五  一修験 十 右之通りに御座候に付御届致上候   十 月                  (以下略) 正保元年甲申九月十八日 (今より二百五十三年前)秋田郡大地震地 裂け水湧く 【右側下段】 仝十月九日又 地震(ぢしん)あり 元禄七甲戌五月二十七日 辰刻(たつのこく)秋田郡能代大地震民屋千四百七十 三軒崩同八百五十九軒 焼失(しやうしゆつ)同四百四十七軒破損 右は能代 始(はじ)め森岡檜山駒形飛根村其外近在処々都合二千七百七 十九軒土蔵百九十五棟震崩焼失破損とも右同断死亡男女三百九 十四人 怪我人(けがにん)男女百九十八人死馬三疋米穀一万八千三百二十石 余なり     ●地震実見談  坪井辰雄   本記事(ほんきじ)は地震調査の為め派遣(はけん)を命せられし余か知友(ちゆう)某氏の   実地探究せられたる談話(だんわ)二三を記し併せて仝氏か撮影せる   写真(しやしん)を乞ひ請け掲載(けいさい)することゝ為せり 〇震動 今回の地震(ぢしん)に就き嘗て前例(ぜんれい)なかりしは劇震前数回(げきしんぜんすうくわい)の強 震ありしなり即ち断層線附近にては八月廿三日頃より微弱震(びじやくしん)絶 へず仝三十一日午前九時頃 果然強震(かぜんきようしん)あり次て大烈震前十五分稍 々 最強(さいきよう)なる震動を以て家屋(かをく)を簸弄したれば何れも狼狽(らうばい)して跣足(はだし) の儘 屋外(をくゝわい)に転(まろ)び出で尚ほ震動の再襲(さいしう)を恐れ屋内に入らざりしに 果して猛激(もうげき)なる震動は物凄き響(ひゝき)と共に最大上下動を以て襲来(しうらい)し 柱梁は折(くじ)け門戸は破れ非常(ひじよう)の惨況を極めたりされとも家中に ありしもの稀(まれ)なりしを以て意外に死傷者(しゝようしや)の少なかりしは不幸(ふこう)中 の幸と謂ふべし爾後(じご)断層線内(だんそうせんない)の如きは絶へず地中に遠雷(ゑんらい)の如き 鳴響(めいけう)を聞き上下動は終日間断なく来れり某氏(ぼうし)も亦川舟地方に滞 在中一時間に二十三回の動揺(どうやう)を感したりと云ふ此は九月四日の 事(こと)なれば劇震当時(げきしんたうし)の余震は如何に多かりしか推(おし)して知るべきな り 〇最大動(さいだいどう) 地震の為め断層(だんそう)を生じたる連嶺(れんれい)は有名なる駒(こま)ヶ嶽(だけ)の 山脈にして朝日嶽貝沢岳和賀嶽阿弥陀嶽白山真木山等の両側(りやうそく)に 尤(もつ)とも判明(はんめい)なる断層線を生し其高(そのたか)さ七八尺長さ数里に渉り川舟 【左側上段】 辺を通ずる東方は断落(だんらく)し千屋地方より生保内地方(くぼないちほう)に生せしは 西方(せいほう)に断落せり而して其二条の断層線附近は概ね上下動強くし て線(せん)を離(はな)れし場所(ばしよ)は殆んど東西(とうざい)なる水平動 劇(はげ)しかりしものゝ如 しと今一例を挙くれは 〇鐘楼 岩手県西和賀郡太田を数町 距(へた)たる処に壁上寺(へきじようぢ)と云ふあ り即ち断層線辺(だんそうせんへん)にして寺内に一 大(だい)鐘楼(しようらう)あり楼柱の四脚は四方に 拡け造りしものなれど楼(らう)は梵鐘(ぼんしよう)を釣したるまゝ土中を抜出(ぬきだ)し路 傍に顚倒(てんとう)したるを見るに楼脚(らうきやく)及ひ埋没したる地面(ちめん)に少しも損所 なきは全く上下動の強(つよ)かりしを証明するに足るものとす之れに 反して秋田県下六郷に寺院(ぢいん)あり台蓮寺(だいれんぢ)と云ひ境内に百六十貫を 有する梵鐘(ぼんしよう)あり一見するに東西に瀕する鐘楼(しようらう)の梁は破壊(はくわい)し鐘は 掛金を外(はず)れ東より二十度南に転落(てんらく)せしを見れば当時此梵鐘を百 八十度以上 東西(とうざい)に動揺せしものと思はるゝなり 〇建物(たてもの) 秋田地方は降雪多量(かうせつたりよう)なるが為め家屋の堅牢(けんろう)なることは 能く世人(せじん)の知るところなれど就中(なかんづく)殷富なる豪農に至りては数十 坪一棟なるあり六 郷附近(ごうふきん)に草葺屋根の切口宏大(きりくちこうだい)なる農家あり試 に之れを測(はか)りしに実に一丈五尺ありし(此は年々草を葺重ぬる も決して前年のものを取除かざる故なりと)其重量(そのじうりよう)の強きと水 平動 急激(きうげき)なりしとを以て柱梁は東西に飛散(ひさん)し屋根は其侭損所も 少なく墜落(ついらく)せり此の類のもの市中に夥しく特に気(き)の毒(どく)なりしは 翌日来 霖雨(りんう)歇(や)む暇もなく降り来りしを以て路傍(ろぼう)の仮小屋に住す ること能はず図中(づちう)に示す如く大屋根(おほやね)の一部分を破り屋根裏に居 住する様憐(さまあは)れと云ふも愚なり亦建物中 奇(き)なりしは六脚なる鳥居(とりゐ) にして何れを見るも台石(だいいし)を離れ数間(すうけん)先きに歩み行きしものゝ如 く転覆(てんぷく)することなく其侭峙立せるなり茲に図(づ)するは其一つにし て六郷熊野神社前の大鳥居なり 〇温泉 岩手県稗貫郡湯口村 鉛(なまり)温泉濃流舘へ一泊せしに浴客一 【左側下段】 人もあらざれば其故(そのゆえ)を問ふに主人の答ふる様 地震(ぢしん)の当時迄三百 人余の宿泊者(しゆくはくしや)ありしも非常なる烈震の為め近傍(きんぼう)の山岳は崩壊し 幸ひに此辺は損害少なきも鉱泉(くわうせん)の湧出 停(とゞ)まり近郷の者は今にも 危害の迫(せま)り来(きた)らんことを恐れ取るものも取敢(とりあえ)ず夜を徹して駆け 去り偶々遠国の者あるも湯出でざる為め入浴の目的(もくてき)はなく総て 去館されしと其他(そのた)岩手県にては志戸平湯大沢湯西鉛湯雫石温泉 台の湯 繋(つなぎ)の湯 国見(くにみ)湯 鶯宿(あうしゆく)湯等秋田県にては生保内(くぼない)湯田沢湯鳩の 湯等皆三四日前より湯口に異状を呈(てい)し俄然地震の際より湧出(ゆうしゆつ)な かりしと而(しかう)して其後聞くところに拠れば九月六七日の頃より湧(わき) 始(はじ)め其量従前より多くなりしと云ふ 〇山川 岩手より秋田(あきた)に通ずる山路(さんろ)に黒森峠と云ふあり山嶺墜 落し峻険(しゆんけん)にして到底登山すること難く加ふるに時々刻々 鳴動(めいどう)あ るが為め人夫(にんふ)は恐れて山を越ることを欲せず然れども氏は如何 にしても山上を実見して秋田に赴(おもむ)かんと漸くにして人夫両人を 励(はげま)し一人は先きに立ち通路(つうろ)を開き数時間を費し此 危険(きけん)なる峠を 越えたるに途中(とちう)処々に亀裂あり其幅四五尺より数間(すうけん)に渉り困難 甚たしかりしと又大杉沢より源(みなもと)を発(はつ)する豊沢川と云ふあり本流 は泥土を以て濁水(だくすゐ)となり全く閉塞せられたる個所(かしよ)もありしと亦 鬼廻沢鉢間なる数十尺の渓間(けいかん)の如きは土塊崩壊或は樹木挫折し て悉皆填充せしと云へり