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コレクション: コレクション2

BnF. Département des manuscrits. Japonais 4670 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 4670 - ページ 50

ページ: 50

翻刻

ことを慮(おもんはか)り。晁蓋(てうがい)㑪(ら)と一齊(もろとも)に水泊(すゐはく)の陣(ぢん)に退入(ひきいる)とき。宦将(ぐわんしやう)何濤(がとう)を勾引(ひきよせ)て。 小五(せうご)が水(みづ)に拏投(ひきづりこめ)ば。小七(せうしち)虚(すか)さず犇捕(ひつとら)ふ。軍功(ぐんこう)これを剏(はじめ)として。江軍(こうぐん)湖(こ) 戦(せん)に臨(のぞん)では。一塲(ひとつ)も缺(かき)たる所(ところ)なし。就中(なかに)名盈(なたゝ)る攁(はたらき)は小七(せうしち)水子(かこ)の長(をさ)と なつて。陳大尉(ちんたいゐ)を迎(むかへ)る晌(とき)。舩(ふね)を倒(たほ)して天中(てんちゆう)の御酒(ぎよしゆ)を膁奪(すかしうば)ふ。遂(つい)には 梁山(りやうざん)の蒼浪(さうらう)に纓(えひ)【左に(カムリノヒモ)】を洗(あら)ふて。大 宋(さう)の朝臣(けらい)となり三個(みたり)諸共(もろとも)。偏将(へんしやう) 軍(ぐん)の職(しよく)を握(にぎつ)て。威恰(ゐきほひあたか)も洹河(ごうが)に跳(おど)る鰐鮫(わにざめ)の像(ごと)く。方臘(ほうらう)攻(ぜめ)に馳向(はせむか)へば。 舩兵(せんへい)の頭領(かしら)として。江陰(こういん)の軍(いくさ)には嚴勇(がんゆう)を打損(うちたふ)し。太倉城(たいそうぜう)の戦(たゝかひ)には。李(り) 玉(ぎよく)を殺(ころ)してその圖(づ)に乗(ぜう)じ。常熟(ぢやうじゆく)の城(しろ)を伐落(きりおと)す。此三傑(このさんにん)の猛兄弟(もうきやうだい)が南(なん) 國攻(こくぜめ)の功労(こうらう)は。筆紙(ひつし)にもつて竭(つく)し難(がた)く言語(げんぎよ)にもつて舒(のべ)がたし

現代語訳

このことを考慮して、晁蓋らと一緒に水泊の陣地に退入したとき、官将何濤を誘い出して、小五が水中に引きずり込めば、小七は見逃さずに捕らえる。軍功はこれを始まりとして、江軍や湖戦に臨んでは、一度も欠けることがなかった。中でも名高い働きは小七が水子(船頭)の長となって、陳大尉を迎える時、船を転覆させて朝廷の御酒を騙し取ったことである。ついには梁山の清流で冠の紐を洗い清めて、大宋の朝臣となり、三人ともに偏将軍の職を握って、威勢はあたかも黄河に跳ねる鰐鮫のようであった。方臘攻めに駆け向かえば、船兵の頭領として、江陰の戦いでは厳勇を打ち倒し、太倉城の戦いでは李玉を殺してその機に乗じ、常熟の城を攻め落とした。この三傑の猛き兄弟が南国攻めでの功労は、筆と紙をもってしても尽くし難く、言葉をもってしても述べ尽くし難い。