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悪 ̄ノ之足_二 ̄レル以 ̄テ可_一レ ̄ニ戒 ̄メトス者 ̄ハ其孰 ̄カ明_二 ̄ナランヤ於典籍_一 ̄ヨリ乎哉今 ̄マ子不_レ ̄シテ考_二 ̄ヘ
之 ̄ヲ典-籍_一 ̄ニ而惟 ̄タ図 ̄ノミ是 ̄レ考 ̄ルハ豈図 ̄ノ之所_レ ̄ロハ載 ̄ル勝_二 ̄ランヤ於典籍_一 ̄ニ邪予 ̄カ
曰 ̄ク非_二 ̄ス是 ̄レ之 ̄ノ謂_一 ̄ニ也唐虞三代之時既 ̄ニ有_二 ̄テ典籍_一行_レ ̄ルヽコト世 ̄ニ尚 ̄シ
矣然 ̄トモ当時 ̄ノ聖猶 ̄ヲ謂 ̄ラク牖(─)戸(─)座(─)席(─)几(─)杖(─)盤(─)孟(─)皆可_三 ̄シト以 ̄テ
為_二 ̄シツ警戒_一 ̄ト勒_レ ̄シテ銘 ̄ヲ而備_レ ̄フ観 ̄ニ焉是 ̄ノ図 ̄ノ所_レ ̄ロ載 ̄ル殊-国 ̄ノ風-俗其為_二 ̄ル
警戒_一 ̄ト者 ̄ノ顧 ̄フニ不_レ ̄ン逮_二 ̄ハ於/牖(─)戸(─)座(─)席(─)_一 ̄ニ邪(ヤ)
正徳甲午秋八月 劉善聰聡書
現代語訳
悪が戒めとするに足るものであることは、どれが典籍よりも明らかであろうか。今あなたは典籍でこれを考察せずに、ただ図のみを考察している。どうして図の載せるところが典籍に勝るであろうか。」
私が言うには、「これはそのような謂いではない。唐虞三代の時代には既に典籍があって世に行われていた。それでも当時の聖人は、なお『牖・戸・座・席・几・杖・盤・盂、すべて警戒とすることができる』と言って、銘を勒して観に備えた。この図の載せるところの殊国の風俗で、その警戒となるものは、どうして牖・戸・座・席に及ばないであろうか。」
正徳甲午秋八月 劉善聰書