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コレクション: 地誌・郷土資料

新編武蔵風土記稿 葛飾郡之6〜12 - 翻刻

新編武蔵風土記稿 葛飾郡之6〜12 - ページ 33

ページ: 33

翻刻

【前半まだ】 ○宝蓮寺 ○泉蔵院 ○鏡智院 ○五穀院 御茶屋蹟 褒善者七郎兵衛 【ここまで】 【たぶん誰も手をつけないとは思うのですが、念のために方針を書いておきます。もとが活字の本ですので、もとのまま書き写したのではあまり意味もありませんので、ここでは多少なりとも読みやすくなるように、カタカナを全部ひらがなにします。旧字体は固有名詞であっても容赦なく新字体にしてください。】    飯塚村 飯塚村は小田原役帳に会田中務丞半役九十三貫四百文葛飾飯塚と載たり又村内に 飯塚と云る塚あり四十六南は土人の伝にこれ村名の因て起る所なりと云ふ江戸よりの行程及用 水前に同し民戸四十六南は新宿町北は猿ヶ俣村東は金町上下小合ノ三村西は中川 を隔て足立郡大谷村佐野新田長右衛門新田なり東西六丁南北十八丁御入国以来御 料所にして今も替らす検地は慶安元年伊奈半十郎糺せり後享保十八年新田を開き 筧播磨守検せり  高札場《割書:村の中程|にあり》   小名 上 下  中川《割書:村の西の方を流る幅八十間より九十間に至るこゝに渡場あり|村民等耕作往来の為に設る所にして対岸足立郡大谷村に通す》○島《割書:前に云中|川の中に》  《割書:あり広八段許の寄洲にて此辺御鷹場取立ある時は|こゝも御用地となるにより土人御用萱野と呼へり》  飯塚《割書:村の北の方にて高四五尺鋪七間許|の塚なり是村名の起る所なりと云》  浅間社《割書:村の鎮守な|り安福寺持》○白髭明神社《割書:持前に|同し》○山王社《割書:村民持|下同し》○稲荷社二  安福寺《割書:新義真言宗金町村金蓮院末竜灯山権現院と号す開山竜演元禄元|年十二月十二日寂す此僧より前は草庵なりと云本尊阿弥陀を安す》○観音堂  《割書:夕顔観音と号す三間四方高欄附の堂にて巧を尽せり元禄十五年小池坊住僧正春》  《割書:英岳か記せる縁起あり其略に昔時此地大樹櫛比して中に熊野三社及ひ水神を祀》  《割書:れり寛文中に地主治左衛門及村民喜兵衛二人霊夢を蒙りかの樹根を穿て観音の》  《割書:銅像及仏具等を得たり是道場の跡ならんとて草堂を営み彼像を安置せりと云夕》  《割書:顔観音と号することは其故を詳にせす按に下総国に旧き同名の観音あれは其名》  《割書:を襲しにやされと摹作せる像にもあらさるに名はかりを擬し称することは謂な》  《割書:きに似たり土中出現観音の銅像左の如し 円径五寸三分にして鏡の如しこの銘文》  《割書:に拠は観音とはいへど其実は加原御前何某の墓銘なとにやとにかく古きものとは》  《割書:見えたり同時に得し仏具等も今堂中に置たれと年歴て皆全形のものにあらされ》  《割書:はこゝに図せす土人曰元禄の頃参詣の老若多し今も新宿町渡頭に道程指導の石》  《割書:標あるは当時のものなりといへり此|堂今も治左衛門の子孫隼太郎の持也》 三社権現社 水神社《割書:共に石祠なり観音出|現の所にして古き勧》