翻刻
等ハ何れも焼失之由遠国之物ハ別而難渋ニおよひ候
様子御座候如来堂并山門のミ相残其外市中一同
焼失致し候由ニ承り申候死人之儀は中々以難相分
噂ニは 善光寺町料ニ而即死二三万も有之へく由
同町人別之者も廿五日朝漸或弐三万人ならてハ 無之
趣噂御座候へとも是迚も逃退候者も可有之儀ニ而凡
ニも人数ハ相分兼候得共いつれ大変なる儀ニ御座候
塩崎村ゟ西之方隣宿上田領稲荷山宿之儀も
震潰レ候上出火ニ而不残焼失致し旅人其外即死人
夥敷趣ニ御座候得共是以人数相知不申死人二三千人
ト申事ニ御座候其外とても焼失いたし候宿村ハ
自ラ死人多有之候義と奉存候
一信州佐井川之之義廿日夜大地震之節より流水溜り
廿六日昼頃私共彼地出立迄ハ一切通行無之是ハ丹波嶋
宿辺川上え七八里行美濃路橋とて刎橋有之御座候右
前後之辺山崩れいたし候哉難斗同川附ハ勿論低場
の者共ハ追々逃退申候右ニ付往還えは上田松代等より
役人出張いたし 善光寺の方へハ往平ハ差留り申候噂ニは
佐井川の湛水信州松本辺湖のことく相成桔梗ケ原と
申所へ水押開夫ゟ諏訪の湖え入天竜川え流れ可出なと
申居とり〳〵噂仕候へとも多くハ山崩の場所十分ニ水
堪候ハヽ押切一時之大出水可致哉と奉存候義に御座候何レ
も佐井川の為ニ又々流家切込所夥敷義は奉存候
一私共義地震後廿六日昼頃彼地出立途中地割場所漸通行
仕飛騨守殿用人も引続出立いたし候所塩崎村山手之方ゟ