Code4Lib JAPAN ✕ みんなで翻刻

コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

三河国古跡考 - 翻刻

三河国古跡考 - ページ 19

ページ: 19

翻刻

【右丁】 【行頭と一部文中の〇は朱書き】  されど仁治道之記の。豊川宿の条(クダリ)に。此道は昔よりよくる方なかりしかば。  近き頃俄にわたふづ《割書:渡津ノ|コトナルべシ》の今道といふかたに。旅人多くかゝるあひだ。  今は其 ̄ノ宿の人の家居をさへ。外にうつすなどぞいふなる云々。とあるは。其 ̄ノ  比より今の街道の方を。往かふ人多くなりて。つひに豊川は古宿(フルジユク)の名のみ  残れるなるへし。《割書:〇統叢考ニハ豊川ニカヽルヲ【「リ」は誤記と思われる】上ノ道トイヒ志賀須香ノ渡ニカヽルヲ下ノ道トイフ|其二道ニ分ルヽ処ヲ二見 ̄ノ道トイフト云リ》 〇されど。今の街道の道も。いと古くより有し事にて。まづ 〇延喜 ̄ノ兵部式《割書:廿八ノ|廿一丁》諸国駅馬 ̄ノ条に。渡津(ワタムツ)十疋とあり。 〇東鑑《割書:四十二ノ|五丁》建長四年三月。宗尊親王関東御下向 ̄ノ条に。廿三日丁未  昼 ̄ノ鳴海。夜 ̄ハ矢作。廿四日戊申昼 ̄ハ渡津《割書:渡草書ヨリ誤リ|ニテ渡津ナルベシ》夜 ̄ハ橋本とあり。  当抄宝飫郡条に。度津《割書:ワタ|ムツ》郷あり。扶桑略記《割書:二十九ノ|二十四丁》渡津郷と見え。  兵部式に駅馬をのせ。将軍宗尊親王昼 休(ヤスミ)し玉ひし地なれは。駅な  る事しるし。按 ̄フ に今の宿(シユク)村すなはち古 ̄ヘ の度津 ̄ノ駅にて。今の小坂井 ̄ノ辺か 【左丁】  けて其 ̄ノ地なるべし。さるは小坂井に坐(マ)す兎足(ウタリ) ̄ノ神社の。応安三年の古鐘 ̄ノ  銘に。宝飫郡渡津郷とあればなり。 〇増基法師ら遠江 ̄ノ道 ̄ノ記の趣(サマ)も。こふに泊り。しかすか【「ら」に見えるが「か」とあるところ】の渡をわたして。たか  し山をこえて。浜名の橋にいたるとあり。  阿仏尼の。いさよひの日記にも。二むら山をこえて八橋に泊り。宮ぢ山を  へて。わたら津に泊り。たかし山浜名の橋を経て。ひくまの宿に泊りし趣(サマ)也。 〇尭孝法師が。永享【「享」の右横に「亨」と傍記】四年冨士紀行の趣も。やはぎ宿泊《割書:おり【或は「か」?】より|十二里》う治川  の里《割書:藤川ナ|ルヘシ》山中の宿昼休。関口 今八幡を経て。今ばしに泊《割書:やはきより|八里》大いは  山をへて橋本《割書:今橋より|五里》とあり。〇《割書:此比 ̄ハ シカスカノ渡モ次々新田トナリテ今イフ吉田川|ヲ舟渡セシノミナルベシサレド吉田川ニ始テ土橋ヲカ》  《割書:ケシト云元亀元年ヨリハ百三十余年ノ昔ナレバ|川ハヾモ今ヨリイト〳〵弘カリケンコト思ヒヤルベシ。》 〇同時藤原雅世卿紀行。帰路の条にも。橋下に泊り。いま橋を経て。矢  はぎに泊りし趣なり。 【左丁 頭注】 〇山本氏綜録 ̄ニ ハ古 ̄ノ日下 部ヨリ又一流 ̄ノ大川有テ 豊川里 ̄ノ岸 ̄ヲ流シ故ニ 豊川 ̄ノ名アリ明応六 年(ネン) 八月十日 ̄ノ洪水 ̄ニ渕瀬カ ハリテ此川筋絶タリ 今モ其川筋ハ深田 ̄ニ テ 耕業 ̄ニ苦ムト云リ 【ここより朱書き】 佐野氏 ̄ノ三川国聞書云明応 七戊午年六月十一日天下同時 地震廿五日辰刻大地震 豊川之《割書:吉田|川》瀬替《割書:今之古|川ヲ》 同八己未年六月十日大地震 大山崩而成_レ湖在_二遠州_一名_二新居_一