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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之19 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之19 - ページ 2

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翻刻

三囲稲荷(みめくりいなり)社 小梅村(こむめむら)田(た)の中(なか)にあり 《割書:故(ゆへ)に田中|稲荷(いなり)とも云》 別当(へつたう)は天台宗延命寺(てんたいしうえんめいし)と  号(かう)す神像(しんさう)は弘法大師(こうほふたいし)の作(さく)にして同大師(おなしたいし)の勧請(くわんしやう)なりといへり文和(ふんわ)  年間 三井寺(みゐてら)の源慶僧都(けんけいそうつ)再興(さいこう)す慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は今(いま)の地(ち)より南(みなみ)の方(かた)に  ありしを後(のち)此地(このところ)に移(うつ)せり当社(たうしや)の内陣(ないちん)に英一蝶(はなふさいつてう)の書(ゑか)ける牛若丸(うしわかまる)と  弁慶(へんけい)か半身(はんしん)の図(つ)を掲(かけ)たり  《割書:五元集 牛島(うししま)みめくりの神前(しんせん)にて雨乞(あまこひ)する|    ものにかはりて》    夕立や田をみめくりの神ならは 《割書:宝晋斎|  其角》  《割書:社僧(しやそう)云 元禄(けんろく)六年の夏(なつ)大(おほい)に旱魃(ひてり)すしかるに同し六月の二十八日 村民(そんみん)あつまりて神前(しんせん)にむかひ請雨(あまこひ)の|祈願(きくはん)す其日 其角(きかく)も当社(たうしや)に参詣(さんけい)せしに伴(ともな)ひし人の中に白雲(はくうん)といへるありて其角(きかく)に請雨(あまこひ)の発句(ほつく)をすへき》  《割書:よしすゝめけれは農民(のうみん)にかはりて一句を連(つら)ねて当社の神前(しんせん)にたてまつりしに感応(かむをう)やありけんその日 膏雨(かうう)|たちまちに注(そゝ)きけるとなり其 草(さう)は》  《割書:今も当社(たうしや)に伝(つた)へてあり| 》 牛御前王子権現(うしのこせんわうしこんけん)社 同所 北(きた)の方(かた)にあり別当(へつたう)は最勝寺(さいしようし)と号(かう)す牛島(うししま)の  総鎮守(そうちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)九月十三日 北本所石原新町(きたほんしよいしはらしんまち)の旅所(たひしよ)へ神(しん)  幸(かう)ありて同十五日に帰輿(きよ)す祭神(さいしん)素盞烏尊(そさのをのみこと) 《割書:牛御前(うしのこせん)|と称(しよう)す》 清和天皇(せいわてんわう)第七

現代語訳

三囲稲荷(みめぐりいなり)社 小梅村の田の中にある(そのため田中稲荷とも呼ばれる)。別当は天台宗延命寺と号する。神像は弘法大師の作で、同大師の勧請であるという。文和年間に三井寺の源慶僧都が再興した。慶長の頃までは現在の場所より南の方にあったが、後にこの地に移された。当社の内陣には英一蝶が描いた牛若丸と弁慶の半身の図が掛けられている。 『五元集』より「牛島みめぐりの神前にて雨乞いするものに代わって」  夕立や田をみめぐりの神ならば 宝晋斎其角 社僧が語るところによると、元禄六年の夏に大いに干ばつがあった。その年の六月二十八日、村民が集まって神前に向かい雨乞いの祈願をした。その日、其角も当社に参詣していたが、同行していた人の中に白雲という者がいて、其角に雨乞いの発句を詠むよう勧めた。そこで農民に代わって一句を詠んで当社の神前に奉納したところ、感応があったのか、その日たちまち慈雨が降り注いだという。その草稿は今も当社に伝えられている。 牛御前王子権現社 同所の北の方にある。別当は最勝寺と号する。牛島の総鎮守で、祭礼は隔年九月十三日に北本所石原新町の旅所へ神幸があり、同十五日に帰輿する。祭神は素戔嗚尊(牛御前と称する)。清和天皇第七皇子...

英語訳

Mimeguri Inari Shrine: Located in the rice fields of Koume Village (hence also called Tanaka Inari). The bettō (temple administrator) is called Enmei-ji of the Tendai sect. The divine statue is said to be carved by Kōbō Daishi and established through his spiritual invitation. During the Bunna period, the priest Genkei Sōzu of Mii-dera temple restored it. Until around the Keichō era, it was located south of the current site, but was later moved to this location. In the inner sanctuary of this shrine hangs a half-length painting of Ushiwakamaru and Benkei by Hanabusa Itchō. From "Gogen-shū": "On behalf of those praying for rain at the Ushijima Mimeguri shrine"  Evening shower— if you are the god who watches over the rice fields by Hōshin-sai Kikaku According to the shrine priest, in the summer of Genroku 6 there was a great drought. On the 28th day of the 6th month that year, villagers gathered to pray for rain before the shrine. That day, Kikaku was also visiting the shrine, and among his companions was one called Hakuun, who urged Kikaku to compose a hokku for rain prayer. So on behalf of the farmers, he composed a verse and offered it before the shrine's altar, and perhaps due to divine response, beneficial rain immediately poured down that very day. That manuscript is still preserved at this shrine today. Ushinokoshi Ōji Gongen Shrine: Located to the north of the same area. The bettō is called Saishō-ji. This is the main protective shrine of Ushijima, with festivals held every other year on September 13th, when the divine procession goes to the temporary shrine at Kita-Honjo Ishihara-shinmachi, returning on the 15th. The enshrined deity is Susanoo-no-Mikoto (called Ushinokoshi). The seventh prince of Emperor Seiwa...