翻刻
所期末……
嘉暦二年夏六月十五日
浄光寺二十一世住持沙門 義純謹書
本尊(ほんそん)縁起(えんきに)曰(いはく)延暦年間(えんりやくねんかん)伝教大師(てんけうたいし)東国化益(とうこくけやく)の為(ため)叡山(えいさん)に於(おい)て
薬師仏(やくしふつ)を彫刻(てうこく)す漸(やうやく)半(なかは)なる頃(ころ)一夜(いちや)此尊像(このそんさう)大師(たいし)の夢(ゆめ)に告(つけ)て曰(のたまは)く
汝(なんち)か念(おも)ふ所(ところ)の如(こと)く我(われ)東国(とうこく)の衆生(しゆしやう)を利益(りやく)せんとす明旦(めいたん)便(たより)あり
我(われ)正(まさ)に行(ゆく)へしと大師(たいし)驚(おとろ)き夢覚(ゆめさめ)ぬ然(しかる)に明旦(めいたん)下野国(しもつけのくに)大慈寺(たいしし)の広智(くわうち)
其頃(そのころ)叡山(えいさん)にありしか此日(このひ)帰(かへ)らんとし先(まつ)大師(たいし)に別(わかれ)を告(つけ)んと来(きた)
り謁(えつ)すこゝに於(おい)て大師(たいし)仏意(ふつい)を悟(さと)り霊夢(れいむ)の瑞(すゐ)を語(かた)り竟(つひ)に其(その)
像腰(さうえう)を彫刻(てうこく)せすして錦繍(kんしう)をもて是(これ)を纏(まと)ひ広智(くわうち)に付属(ふそく)す 《割書:此故(このゆゑ)|に今(いま)》
《割書:仏体(ふつたい)僅(わつか)に半(なかは)より|上(うへ)を拝(はい)するのみ》 広智(くわうち)諾(たく)して仏像(ふつさう)を背負(せおひ)奉(たてまつ)り東(あつま)に還(かへ)り武州(ふしう)に
到(いた)る 《割書:今(いま)の木下川(きけかは)の|地(ち)これなり》 時(とき)に偶然(くうせん)として一(ひとり)の老翁(らうをう)に逢(あ)へり 《割書:其名(そのな)を唱翁(しやうをう)と呼(よ)ふ|姓氏(せいし)詳(つまひらか)ならす今(いま)白髭(しらひけ)》
《割書:明神(みやうしん)|とす》 翁(おきな)欣然(きんせん)として云(いは)く我(わか)霊像(れいさう)の到(いた)るを待事(まつこと)久(ひさ)しよろしく我(わか)草庵(さうあん)
に安(あん)すへしと《割書:云| 云》 智(ち)喜(よろこ)んで彼像(かのさう)を翁(おきな)に付(ふ)し又 此地(このち)に伽藍(からん)を建(たて)む事(こと)
を告(つく)翁(おきな)云(いはく)時縁(しえん)いまた熟(しくゆ)せす汝(なんち)且(かつ)還(かへ)り去(さ)れ依(よつ)て広智(くわうち)も此事(このこと)を
思(おも)ひ止(とゝま)り郷里(きやうり)に帰(かへ)る爾後(そのゝち)翁(おきな)村民(そんみん)に語(つけ)て云(いは)く後(のち)善知識(せんちしき)ありて必(かならす)
こゝに来(きた)り練若(れんにや)を営(いとなま)ん我(われ)今(いま)西州(さいしう)に行事(ゆくこと)あり若(もし)帰(かへ)り来(きた)る事 遅(おそ)
からんには此語(このこ)を伝(つたへ)よと云畢(いひをは)り空(くう)を凌(しのき)て西(にし)に去(さ)れり村里(そんり)の道俗(とうそく)
天際(てんさい)を見送(みおく)り共(とも)に深信(しん〳〵)稽首(けいしゆ)す其後(そのゝち)慈覚大師(しかくたいし)東国化導(とうこくけたう)の時(とき)
武州(ふしう)に到(いた)り暫(しはらく)浅草寺(あさくさてら)の観音堂(かんのんたう)に留(とゝま)り給ふ一日 白髪(はくはつ)の翁(おきな)来(きたり)て