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大師に告て云く此所より東北に霊北に靈地あり薬像を
安すといひ畢て後其行方を失ふ大師東北を望に忽然として
瑞雲起り中に青龍現す依て奇異の思ひをなし渚に寺を出て
其元に至るに果して薬師佛の靈像あり此時村人等集り来り
前の唱翁か言を告大師をして其人なりと称し終に合郡官吏
及ひ冨民等財を傾けて寺院を建立せんとす則弟子慶寛に
此地を附属ありしかは慶寛営構の志を励し貞観二年の春に
至り諸堂落成すこゝに於て慈覚大師を開山と称し徃古の
瑞に因て山を青龍と号す朝廷其瑞應を聞給ひ田園百歌
を賜ひ永寺供に充其後恵心僧都二脇士及ひ十二神将等の
一像を彫刻ありて佛前に安せらる又慶寛十二大願を哀して
十二の衆徒を置十二院を合せて浄光寺と号くるとなり
當寺は草創より已降九百四十有餘年を経たる古刹にして
本尊は光を一天に観し十二衆徒は甍を山中に並へ
り日夜の勤行怠慢なく法燈月を越て赫〻たりしに其後
闘争國々に起り天下大に乱れける頃堂宇は破却し寺領は一
没収せられ又は兵燹に罹りて焦土となり残り止る住僧も
なく唯本尊のみ草堂の中に在せしに天正の末四海昌平に
一帰し奉りし後同十九年住僧良宅愁訴して竟に薬師堂
領の朱章を賜はりぬしかありしより已来国家泰平の祈念
一怠る事なく本尊の霊験いよ〳〵著しとなり
【ここまでOCRのまま、校正後この注釈を消す事】
中川(なかかは) 隅田川(すみたかは)と利根川(とねかは)の間(あひた)に夾(せま)りて流(なか)るゝ故(ゆゑ)に中川(なかかは)の号(かう)あり
といへり荒川(あらかは)の分流(ふんりう)熊谷(くまかや)の辺(へん)よりはしめて遠(とほ)く埼玉(さいたま)と足立(あたち)
との両郡(りやうくん)の合(あひた)を流(なか)れ利根川(とねかは)の分流(ふんりう)も川俣(かはまた)よりはしまり
二水 猿(さる)か俣(また)の辺(へん)にて合(かつ)し飯塚(いひつか)大谷(おほや)亀有(かめあり)新宿(しんしゆく)等(とう)の地(ち)に添(そひ)て青(あを)
戸(と)奥戸(あうと)平井(ひらゐ)木下川(きけかは)及(およ)ひ小村井(をむらゐ)逆井(さかゐ)を経(へ)て海(うみ)に入(いる)《割書:猿(さる)か俣(また)より|末(すゑ)を中川(なかかは)と》