翻刻
【右丁】
《割書:傳(てん)續浦島子傳(そくうらしまこてん)ともに澄江(すみのえ)とす按(あんする)に仙覚律師(せんかくりつし)の萬葉集抄(まんえうしふしやう)に引(ひく)所(ところ)の丹後(たんこ)風(ふう)
|土記(とき)に美頭乃睿能宇良志麻之古(みつのえのうらしまのこ)とありてすてにみつのえとす水(みつ)は澄(すむ)の》
《割書:義(き)ある故(ゆゑ)通(かよは)して云(いふ)なるへし|》
相傳(あひつたふ)往古(わうこ) 雄略天皇(ゆうりやくてんわう)の御宇(きよう)《割書:日本紀(にほんき)雄略記(ゆうりやくき)二十二|年戊午七月とあり》丹後國(たんこのくに)與謝郡(よさのこほり)管川(くたかは)
の人(ひと)に水江(みつのえの)浦島子(うらしまこ)といふあり《割書:寺記(しきに)云(いはく)相州(さうしう)三浦(みうらの)住人(ちゆうにん)水江(みつのえの)浦島太夫(うらしまたいふ)といへるもの|大裡(たいり)の役(やく)に付(つき)てしはし丹波國(たんはのくに)餘佐郡(よさこほり)管川(くたかは)と》
《割書:云(いふ)所(ところ)にうつり住(ちゆう)す其子(そのこ)に浦島太郎(うらしまたらう)といふありと云々/古書(こしよ)浦島子(うらしまこ)に作(つく)る寺記(しき)にのみ太夫(たいふ)|或(あるひ)は太郎(たらう)なとゝせり續浦島子傳(そくうらしまこてん)に浦島子(うらしまこ)何(いつ)れの人なる事をしらす盖(けたし)上古(しやうこ)の仙人(せんにん)》
《割書:なり齢(よはひ)三百/歳(さい)を過(すき)て形容(かたち)童子(とうし)の如(こと)し人となり仙(せん)を好(この)み秘術(ひしゆつ)を学(まな)ふとあり又/丹後(たんこ)|風土記(ふうとき)には《振り仮名:日下部■|くさかへのおうと》【首ヵ】等(ら)か祖(そ)にして箇川(くたかは)【注】の島子(しまこ)と云(いふ)是(これ)乃(すなはち)水江(みつのえの)浦島子(うらしまこ)也云云》
一時(あるとき)七月の事(こと)なるに獨(ひとり)小舟(こふね)に乗(しやう)して海上(かいしやう)に釣(つり)し霊亀(れいき)を得(え)たり
其(その)形勢(ありさま)を見(みる)に尋常(よのつね)にあらさりけれは恠(あやし)み思(おも)ひ且(かつ)《振り仮名:𪫧舊|あはれみ》て是(これ)を
放(はなち)やりつ浹辰(しはらく)ありて彼亀(かのかめ)化(け)して一人の美女(ひちよ)となり前(さき)の恩(おん)を
報(むくは)んとて島子(しまこ)か手(て)を携(たつさ)へて蓬莱山(とこよのくに)海若神(わたつみ)の都(みやこ)に至(いた)りぬ
かくて後(のち)浦島子(うらしまこ)は仙室(せんしつ)の筵(むしろ)に侍(し)し常(つね)に霊薬(れいやく)の味(あちは)ひを嘗(なめ)
目(め)に花麗(くわれい)を視(み)耳(みゝ)に雅楽(かかく)の楽(たのしみ)を聞(きく)観宴(くわんえん)日(ひ)を送(おく)れり《割書:日本後記(にほんこうき)に|浦島子(うらしまこ)蓬(ほう)》
《割書:莱(らい)に至(いた)り居(をる)事(こと)三年とあり又/丹後風土記(たんこふうとき)上に同しく|萬葉集(まんえふしふ)にも家(いへを)出(いて)而(ゝ)三歳(みとせ)之(の)間(ほと)爾(に)檣(かき)毛(も)無(なく)とあり》されと本土(ほんと)を懐(おも)ふ
【左丁】
心(こゝろ)起(おこ)り獨(ひとり)二親(ししん)を戀(こふ)故(ゆゑ)に神女(しんによ)に此事(このこと)を告(つけ)けれは神女(しんによ)は島子(しまこ)か
別(わかれ)を戀慕(こひした)ふといへとも竟(つひ)に止(とゝま)るへき色(いろ)も見(み)えねはかひなく
一箇(いつか)の玉匣(たまてはこ)を與(あた)へて云(いは)く子(し)遂(つひ)に賤妾(せんせふ)を遺(わす)れすして再(ふたゝ)ひ
此(この)神仙境(とこよ)へ来(きた)らんとならは必(かならす)此(この)匣(はこ)の裏(うち)を開(ひら)き見(み)る事なかれと
島子(しまこ)其事(そのこと)を約(やく)しをはり事外(ことなく)喜(よろこ)ひ彼匣(かのはこ)を受傳(うけつた)へつゝ手(て)を
分(わか)ち辞(し)し去(さ)る頓(やかて)蓬嶺(ほうれい)の仙都(せんと)を出(いつ)るかと思(おも)へはいつしか與謝(よさ)の
舊里(きうり)に皈(かへ)り着(つき)ぬ《割書:日本後記(にほんこうきに)云(いはく)浦島子(うらしまこ)天長(てんちやう)二年/郷(さと)に帰(かへ)る今(いま)に至(いた)り三百四十|七年なりと云云/詞林采葉抄(しりんさいえふしやうに)云(いはく)島子(しまこ)蓬莱(ほうらい)に入(いる)の後(のち)帝王(ていわう)》
《割書:三十二代を送(おく)るとあり水鏡(みつかゝみ)に雄略天皇(ゆうりやくてんわう)廿三年と七月に浦島子(うらしまこ)蓬莱(ほうらい)へまかりに|けり云々/同書(とうしよ)淳和天皇(しゆんわてんわう)天長(てんちやう)二年ことし浦島子(うらしまこ)はかへれり中略/雄略天皇(ゆうりやくてんわう)の御世(みよ)に》
《割書:うせてことし三百四十七年といひしにかへりたりしなり云云/因(よつ)て考(かんか)ふるに天長(てんちやう)二年は支干(しかん)|乙巳にあたれり又/雄略天皇(ゆうりやくてんわう)廿三年己未にあたれり日本紀(にほんき)二十二年とし戊午とす然(しか)る》
《割書:ときは三百四十|八年なり》されと物換(ものかは)り星移(ほしうつ)り家園(かゑん)は變(へん)して河濵(かひん)となり山(さん)
岳(かく)は改(あらたまり)て江海(こうかい)となる荒蕪(くわうふ)の閭邑(りよいう)煙(けむ)り絶(た)え舊塘(きうたう)寂寞(しやくまく)として
道路(たうろ)跡(あと)なしましてあたりに知人(しるひと)さへなかりけれはかつ恠(あや)しみ
かつ驚(おとろ)き郷人(さとひと)に旧俗(きうそく)の行方(ゆくへ)を問(と)ふ一人の翁(おきな)答(こた)へて云(いは)く昔(むかし)聞(きく)
【注 「箇川」は「筒川」の誤ヵ。30コマ目30行目に「管川(くたかは)は丹後風土記に筒川(つゝかは)に作る」とあり。】
現代語訳
【右丁】
伝承によると、『続浦島子伝』では浦島の出身地を澄江としている。考察するに、仙覚律師の『万葉集抄』に引用されている『丹後風土記』には「美頭乃睿能宇良志麻之古(みつのえのうらしまのこ)」とあり、すでに「みつのえ」としている。「水(みつ)」は「澄(すむ)」の意味があるため、通じて言うのであろう。
相い伝えるところによると、古く雄略天皇の御代(『日本書紀』雄略記二十二年戊午七月とある)、丹後国与謝郡管川の人に水江の浦島子という者がいた。寺の記録によれば、相模国三浦の住人水江の浦島太夫という者が、大化の改新の役に付いて、しばらく丹波国余佐郡管川という所に移り住んだ。その子に浦島太郎という者がいたという。古書では浦島子と書くが、寺記にのみ太夫、あるいは太郎などとしている。『続浦島子伝』には、浦島子がどこの人であるかは分からないが、おそらく上古の仙人である。年齢三百歳を過ぎても容貌は童子のようで、人となって仙術を好み、秘術を学んだとある。また『丹後風土記』には、日下部首等の祖先で筒川の島子という、これがすなわち水江の浦島子である、とある。
ある時、七月のことであったが、独り小舟に乗って海上で釣りをしていると、霊亀を釣り上げた。その様子を見ると尋常ではなかったので、怪しみ思い、かつ憐れんでこれを放してやった。しばらくして、その亀が化けて一人の美女となり、先の恩を報いようとして島子の手を取って蓬莱山、海神の都に至った。
こうして後、浦島子は仙人の居室で過ごし、常に霊薬の味を嘗め、目には美しい花を見、耳には雅楽の楽しみを聞き、観宴の日々を送った。(『日本後記』には浦島子が蓬莱にいること三年とあり、また『丹後風土記』上にも同じく、『万葉集』にも「家を出でて三歳の間、音信もなく」とある)しかし故郷を思う
【左丁】
心が起こり、独り両親を恋しく思うので、神女にこのことを告げると、神女は島子との別れを恋い慕うといえども、ついに留まるべき様子も見えないので、やむなく一つの玉手箱を与えて言うには、「あなたがついに私を忘れずして再びこの神仙境へ来ようとするならば、必ずこの箱の中を開き見てはならない」と。島子はその約束をして、格別に喜び、その箱を受け取って手を分かち別れ去る。やがて蓬莱の仙都を出るかと思えば、いつの間にか与謝の故郷に帰り着いた。(『日本後記』に言うには、浦島子は天長二年に郷に帰る、今に至り三百四十七年なりという。『詞林采葉抄』に言うには、島子が蓬莱に入った後、帝王三十二代を送るとある。『水鏡』には雄略天皇二十三年七月に浦島子が蓬莱へ参ったとあり、同書では淳和天皇天長二年、この年浦島子は帰ったとある。雄略天皇の御世に失せて、この年三百四十七年と言ったが帰ったのであった。よって考えるに、天長二年は干支で乙巳に当たり、また雄略天皇二十三年は己未に当たる。『日本書紀』では二十二年として戊午とする。そうすると三百四十八年なり)
しかし物事は変わり星は移り、家や庭園は変わって川辺となり、山岳は改まって江海となる。荒れ果てた村里は煙が絶え、古い堤は寂しく、道路の跡もない。まして辺りに知人さえいなかったので、怪しみかつ驚き、郷人に昔の人々の行方を問う。一人の老翁が答えて言うには、「昔聞いた
【注 「箇川」は「筒川」の誤りか。後の箇所に「管川(くたかは)は丹後風土記に筒川(つつかは)に作る」とある。】
英語訳
【Right page】
According to tradition, the "Zoku Urashima-ko Den" (Continuation of the Tale of Urashima) states that Urashima was from Sumie. Upon examination, in the "Man'yōshū-shō" by the monk Senkaku, which quotes from the "Tango Fudoki," it says "Mitsu-no-e-no Urashima-no-ko," already using "Mitsu-no-e." Since "water (mitsu)" has the meaning of "clear (sumu)," they are used interchangeably.
According to tradition, in ancient times during the reign of Emperor Yūryaku (the 22nd year, year of Tsuchinoe-Uma, 7th month, according to the Nihon Shoki's Yūryaku chronicle), there was a person named Mizue-no-Urashima-ko from Kutagawa in Yosa District, Tango Province. According to temple records, a man named Mizue-no-Urashima Dayū from Miura in Sagami Province moved temporarily to a place called Kutagawa in Yosa District, Tanba Province in connection with the Taika Reform. His son was called Urashima Tarō. Ancient books write "Urashima-ko," but only temple records use "Dayū" or "Tarō." The "Zoku Urashima-ko Den" states that it's unknown where Urashima-ko was from, but he was probably an immortal sage from ancient times. Though over 300 years old, his appearance was like that of a child, and as a human he loved immortal arts and studied secret techniques. Also, the "Tango Fudoki" says he was an ancestor of the Kusakabe no Obito and was called Shima-ko of Tsutsu River - this is indeed Mizue-no-Urashima-ko.
One time in the seventh month, while fishing alone in a small boat on the sea, he caught a sacred turtle. Seeing its unusual appearance, he found it strange and, taking pity on it, released it. After a while, the turtle transformed into a beautiful woman who, to repay his earlier kindness, took Urashima-ko by the hand and led him to Hōrai Mountain, the capital of Watatsumi, the sea god.
Thus afterward, Urashima-ko lived in the immortal's chamber, constantly tasting divine medicines, seeing beautiful flowers with his eyes, hearing elegant music with his ears, and spending his days in banquets and entertainment. (The "Nihon Kōki" states that Urashima-ko was at Hōrai for three years; the "Tango Fudoki" says the same, and the "Man'yōshū" also mentions "leaving home for three years without any word.") However, feelings of longing for his homeland arose.
【Left page】
A heart longing arose, and as he missed his parents alone, when he told the divine woman of this matter, though the divine woman yearned for their parting, since there seemed no possibility of him staying, she reluctantly gave him a jeweled box, saying: "If you should not forget me and wish to come again to this divine immortal realm, you must never open and look inside this box." Urashima-ko made this promise and, greatly rejoicing, received the box, parted hands, and took his leave. Soon after leaving the immortal capital of Hōrai, he found himself back in his old village of Yosa. (The "Nihon Kōki" says Urashima-ko returned to his village in the 2nd year of Tenchō, making it 347 years. The "Shirinsa-iyō-shō" says that after Shima-ko entered Hōrai, 32 imperial reigns passed. The "Mizukagami" states that in the 23rd year of Emperor Yūryaku's reign, in the 7th month, Urashima-ko went to Hōrai, and the same book says he returned in the 2nd year of Tenchō under Emperor Junna. Having disappeared during Emperor Yūryaku's reign and returning after 347 years. Considering this, the 2nd year of Tenchō corresponds to Kinoto-Mi in the sexagenary cycle, while the 23rd year of Emperor Yūryaku corresponds to Tsuchinoto-Hitsuji. The Nihon Shoki gives the 22nd year as Tsuchinoe-Uma. This would make it 348 years.)
However, things had changed and the stars had moved; homes and gardens had become riverbeds, and mountains had transformed into seas and rivers. The desolate villages had lost their smoke, old embankments stood lonely, and there were no traces of roads. Moreover, there wasn't even anyone he knew in the area, so both puzzled and startled, he asked the villagers about the whereabouts of the old customs. One old man answered, saying: "I once heard that long ago...
[Note: "Kasegawa" is likely an error for "Tsutsukawa." Later passages state that "Kutagawa is written as Tsutsukawa in the Tango Fudoki."]