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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之11 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之11 - ページ 11

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【右丁】  《割書:かたかりけれとも其徳(そのとく)の至(いた)れるにや竟(つひ)に免許(めんきよ)ありしかは江戸(えと)の中(うち)八箇( か)の庵室(あんしつ)と唱(となへ)しもの|悉(こと〳〵)く一寺(いちし)となる青山(あをやま)の海蔵寺(かいさうし)深川(ふかかは)の萬祥寺(まんしやうし)等(とう)いつれも其中なりといへり》  一木薬師如来(ひとつきやくしによらい)《割書:同 境内(けいたい)に安置(あんち)す旧(いにしへ)は赤坂(あかさか)一木の地に立(たゝ)せ給ひ行基菩薩(きやうきほさつ)創建(さうこん)|ありし一寺の本尊(ほんそん)たりしとなり今(いま)は人継(ひとつき)と書(かけ)り》 大窪天満宮(おほくほてんまんくう) 大窪(おほくほ)にあり此地(このところ)の鎮守(ちんしゆ)とす祭礼(さいれい)は六月廿五日なり別(へつ)  当(とう)は梅松山(はいしようさん)大聖院(たいしやうゐん)と号(かう)して聖護院宮(しやうこゐんのみや)の直末(ちきまつ)本山派(ほんさんは)の江戸役所(えとやくしよ)  にして大先達(たいせんたつ)たり当社(たうしや)を世(よ)に棗(なつめ)の天神(てんしん)或(あるひ)は西向(にしむき)の天神(てんしん)とも称(しよう)せり  《割書:社壇(しやたん)西に向(むか)ふ故(ゆゑ)に云(いふ)なるへし|棗(なつめ)と称(しよう)する来由(らいゆ)しるへからす》相伝(あひつた)ふ安貞年間(あんていねんかん)栂尾明恵上人(とかのをみやうゑ    )の勧請(くわんしやう)にして  明慶(みやうけい)覚運(かくうん)等(とう)是(これ)を奉祀(ほうし)す後(のち)又 太田道灌(おほたたうくわん)神田(しんてん)を寄附(きふ)す然(しか)るに  天正年間(てんしやうねんかん)兵燹(ひやうせん)にかゝり烏有(ういう)となりし頃(ころ)其(その)神体(しんたい)渓間(たにま)の桜(さくら)の枝(えた)に  移(うつ)り止(とゝま)り給ふ)《割書:其木(そのき)を瑞現桜(すゐけんさくら)と号(なつ)く|今(いま)は枯(かれ)たりしといふ》此時(このとき)青山氏(あおやまうち)某(それかし)郷人(さとひと)と共(とも)に謀(はか)りて  祠(ほこら)を経営(けいえい)す聖護院宮(しやうこゐんのみや)道晃法親王(たうくわうほふしんわう)東国下向(とうこくけかう)の時(とき)大僧都元信(たいそうつけんしん)  をして当社(たうしや)の別当(へつたう)たらしむこゝにおいて寝廟(しんひやう)漸(やうやく)備(そな)はり四時(しいし)の祭(さい)  典(てん)綿々(めん〳〵)として怠(おこた)る事なし 七面大明神社(しちめんたいみやうしん  ) 同 東(ひかし)の隣(となり)日蓮宗(にちれんしう)春時山(しゆんしさん)法善寺(ほふせんし)に安置(あんち)す祭礼(さいれい)は 【左丁】  大久保七面宮(おほくほしちめんくう)         法善寺本堂     本社               鐘

現代語訳

【右丁】 (前文続き:困難であったが、その徳が至れるためか、ついに許可があったので、江戸の中の八箇所の庵室と呼ばれたものはすべて一寺となった。青山の海蔵寺、深川の萬祥寺などは、いずれもその中に含まれるという。) 一木薬師如来(境内に安置されている。昔は赤坂一木の地に立っておられ、行基菩薩が創建した一寺の本尊であったという。今は「人継」と書く。) 大窪天満宮 大窪にある。この地の鎮守とする。祭礼は六月二十五日である。別当は梅松山大聖院と号し、聖護院宮の直末で、本山派の江戸役所であり、大先達である。当社を世間では棗の天神、あるいは西向きの天神とも称している。 (社殿が西に向いているため、そう言うのであろう。棗と称する由来は分からない。) 相伝によると、安貞年間に栂尾明恵上人の勧請で、明慶・覚運らがこれを奉祀した。後にまた太田道灌が神田を寄附した。しかし天正年間に兵火にかかり灰燼に帰した頃、その神体が谷間の桜の枝に移り止まった。 (その木を瑞現桜と号する。今は枯れてしまったという。) この時、青山氏某が郷人と共に謀って祠を経営した。聖護院宮道晃法親王が東国下向の時、大僧都元信をして当社の別当とした。ここにおいて社殿が漸く整い、四季の祭典が絶えることなく続けられている。 七面大明神社 同じく東の隣、日蓮宗春時山法善寺に安置する。祭礼は 【左丁】 大久保七面宮         法善寺本堂    本社               鐘

英語訳

【Right Page】 (Continuation from previous text: ...though it was difficult, perhaps due to the perfection of their virtue, permission was finally granted, so all the places called the eight hermitages within Edo became temples. Kaizoji Temple in Aoyama, Manshoji Temple in Fukagawa, and others are all said to be among them.) Hitotsugi Yakushi Nyorai (Enshrined within the shrine grounds. In ancient times, it stood in the Akasaka Hitotsugi area and was the principal image of a temple founded by the Bodhisattva Gyoki. Now it is written as "Hitotsuki.") Ōkubo Tenmangu Shrine: Located in Ōkubo. It serves as the tutelary deity of this area. The festival is held on June 25th. The temple administrator is called Baishozan Taishoin, which is a direct branch temple of Shogoin-no-miya and serves as the Edo office of the Honzan sect, holding the rank of head guide. This shrine is commonly called Natsume no Tenjin (Jujube Tenjin) or Nishimuki no Tenjin (West-facing Tenjin). (It is called so because the shrine building faces west. The origin of the name "jujube" is unknown.) According to tradition, it was established through the solicitation of Myoe Shonin of Toganoo during the Antei era (1227-1229), and was served by Myokei, Kakuun, and others. Later, Ota Dokan also donated rice fields. However, during the Tensho era (1573-1592), it was destroyed by war fires, and at that time the divine spirit moved to and settled on the branch of a cherry tree in a valley. (That tree was called Zuigen-zakura (Auspicious Manifestation Cherry). It is said to have withered now.) At this time, a certain member of the Aoyama clan conspired with the local people to manage a shrine. When Prince Doko Hoshinno of Shogoin-no-miya traveled to the eastern provinces, he appointed Daiseizu Genshin as the temple administrator of this shrine. Thus the shrine buildings were gradually completed, and the seasonal festivals continue without interruption. Shichimen Daimyojin Shrine: Also located to the east next door, enshrined at Hosenji Temple of the Nichiren sect, Shunjisan. The festival is 【Left Page】 Ōkubo Shichimen-gu         Hosenji Main Hall    Main Shrine               Bell