翻刻
【左側上段】
まじきこと。譬(たと)ふるに物なく。軈(やが)て風位は南に変(かは)り。益々|烈(はげ)
しく荒れに荒れて吹捲(ふきま)くる中(うち)。電光(でんくわう)は墨を流(なが)すか如き大空(をほそら)に
響(ひゞ)き渡(わた)り。天地の晦瞑(くわいめい)を色取(いろど)り。今にも家屋は悉皆(しつかい)木葉(このは)と散
りぬべくぞ思はれける。三時頃より風位(ふうゐ)西に転(てん)じて。稍々|威(い)
力(りょく)を収め四時過きに至りて。沈静(ちんせい)に帰(き)したれは。人々茲に始
めて蘇生(そせい)の心地(こゝち)したり。扨(さ)て明くるを待ちて暴風後の光景(くわうけい)如
何(か)にと看るに。傾(かたむ)きたる家|倒(たほ)れし家|陸続(りくぞく)として算(さん)なく。彼所(かしこ)
にも圧死(あつし)者あり。此所(こゝ)にも変死人ありとさへ伝(つた)へられ。満目(まんもく)
荒涼(くわうりやう)悲惨(ひさん)の状(じやう)。実に窮(きは)まりなかりし。
また余の知友同地測候所主任鹿角氏の報(ほう)を得たれは左に掲く
十三日は晴雨計|当(とう)期節(きせつ)に稀(まれ)なる過高にして。南乃至東の和風
吹き。天候|稍々(やゝ)変調(へんちやう)を呈せり。十四日午前二時より気圧次第に
遽降(きょこう)し。始め風向及下雲向は南の疾(しつ)となり。天候|険悪(けんあく)の相(そう)を
示せり。午前九時三十分中央気象台より海陸の警報至る。曰
く「低気圧の位置は琉球(りうきう)北部(ほくぶ)にありて。七百四十五粍を示し
最低気圧所在地近傍晴雨計大に降る。中心(ちうしん)は北東に進む」と
当所(とうしょ)の晴雨計は。七百五十八|粍(ミリメートル)を示し。其差十三粍なりし。
午後二時該中心は。九州西南部の沖(をき)に移動(ゐどう)して。七百五十六
粍を示せり。而して気圧(きあつ)は毎時|約(やく)一|粍宛(ミリメートル)累降し。風力次第
に募(つの)り。午後八時より烈風(れつふう)となり。天候益々険悪を示し。同
十一時二十分颶風に達し。爾後(じご)晴雨計は一時間に十粍前後急
降し。風勢愈々猛烈を極(きわ)め。翌十五日午前一時乃至二時に至
りては平均(へいきん)風速度七十|米(メートル)九を示し。気圧は同一時四十分に
七百二十三粍九の最低を示せり。蓋(けだ)し暴風(ぼうふう)の中心は当時最近
の場所を通過せしなり。風向(ふうかう)は該中心の経過するに随ひ。順
転しつゝ風力亦次第に減少(げんせう)し同五時より烈風。七時より強風(きやうふう)。
午後一時疾風となり遂(つゐ)に沈静(ちんせい)せり。是れぞ本初気象観測開始
【左側下段】
以来|稀有(けう)の現象(げんせう)にして。風勢の猖獗(せうけつ)なりしは。客年石垣島に
於て観測せし外。他に其の類(るゐ)を見さる処とす。
(備考) 風速度七十|米(メートル)九の一間平方面積に対する気圧力
は五百三十三貫二百目なり
尚ほ鹿児島測候所臨時観測の結果(けつくわ)を記せは左の如し。
気圧 風向 風速度 天気 風力
八月十四日正午 七五六、九 南東 八、二 曇 疾風
同 午後一時 七五六、四 同 一一、一 同 強風
同 二時 七五六、〇 同 一三、一 同 同
同 三時 七五五、〇 同 一一、四 同 同
同 四時 七五四、九 同 一五、五 同 同
同 五時 七五四、四 同 一三、七 同 同
同 六時 七五三、四 同 一一、二 同 同
同 七時 七五二、八 東南東 一三、〇 雨 同
同 八時 七五二、〇 同 一八、一 曇 同
同 九時 七五〇、六 同 一八、〇 同 烈風
同 十時 七四九、三 同 一九、六 雨 同
同 十一時 七四六、四 同 二六、三 同 同
同 十一時二十分 七四四、七 同 ━ 同 颶風
同 十一時四十分 七四二、六 同 ━ 同 同
同 夜半 七四〇、八 同 四六、二 同 同
十五日午前〇時二十分 七三七、四 同 四七、四 同 同
同 一時 七二八、七 同 五二、八 同 同
同 一時二十分 七二五、〇 南 ━ 同 同
同 一時四十分 七二三、九【右側に線】 南南西 ━ 同 同
同 二時 七二五、三 南西 七〇、九 同 同
同 三時 七三五、四 同 五七、九【右側に線】 同 同
同 四時 七四五、五 西南西 ━ 同 同
同 五時 七四九、四 西 ━ 同 烈風
同 六時 七五〇、九 西南西 一六、六 同 同
同 七時 七五二、五 西 一四、四 同 同