翻刻
【右側上段】
には都合(つがう)四戸の丸潰れあり。青柳楼の西洋館(せいやうくわん)は二分通りも東の
方へ傾(かたむ)き。北西南の三方は。壁(かべ)を尽く落して。昨日まで宏壮(こうそう)な
りし同楼も見る影もなき哀(あは)れの状を呈し居れり。又|稲荷座(いなりざ)は丸
潰れとなり。其の他三四の潰家(つぶれや)あり。各料理屋も所か所とて相
応の破損(はそん)をうけたり。
▲松、新、大町 夫れより松原町。新町。大黒町は。貧民(ひんみん)の多
きところにて壊倒(くわいたう)の戸数も多く。中にも松原神社前の機屋(おりや)の如
き。目下盛りに絹物(きぬもの)の織り立中なるに。憫(あは)れむべし丸潰れと成
りて。今しも半ば織り立てし羽二重斜子(はぶたへなゝこ)の如き。煤だらけにな
り。梁(はり)などに押(おさ)へられてあるぞ気の毒なる。
▲高麗町 高麗橋より本通りに。五六の倒家(たをれいへ)あり。夫れより上
之園町へ至るまてに。又四五軒の倒家あり。其の他も非常(ひじやう)に破
損せる上に。同所(どうしよ)は一面の出水にて。往来とも云はす庭(には)とも云
はす。恰かも川の如(ごと)くにて。上よりは家根(やね)を吹き去られて。漏
る雨に防(ふせ)ぐ側(かたはら)には。床を越す水をも防(ふせ)かねばならす。前狼後
虎見るも気の毒なり。
▲塩屋村 土地(とち)は低し貧民の巣窟(そうくつ)と云はるゝ所丈ありて。一般
|被害(ひがい)も実に甚たしく。恰も将棋倒しとも云ふへき程(ほど)なる上に汚
水は川と成(な)りて床を浸(ひた)し。高麗町に比すれば一層に甚たしきを
感(かん)せり。
▲宿屋の倒家 天文館通(てんもんくわんとほ)り旧伊勢殿屋敷内なる元(もと)丸井旅店は。
暴風に倒潰(たうくわい)し。十七人の旅客中(りよかくちう)五六人は為めに負傷せし由。尚
ほ其近所に同しく旅宿を営(いとな)み居る松下袈裟太郎方も。右と共に
倒潰せり。
▲堀の面付近 生陽館(せいやうくわん)の三階は何処(いづこ)に吹き飛はされしにや。更
に跡方(あとかた)もなし。又浄土宗の鐘楼(せうろう)は見事風の為めに破壊(はくわい)せられ。
鐘は楼鈎(ろうこう)に懸(かゝ)りつゝ石垣を破りて濠中(ほりのなか)に墜落せり。尚ほ浄土宗
【右側下段】
の川越(かはごし)に一軒の倒家ある外。半潰は此辺数(このへんかず)を知らす。又蚕糸講
習所の板塀(いたべい)は凡て吹き倒されたり。
▲小川町付近 少し海岸(かいがん)に寄るの故にや。小川町|近辺(きんぺん)には。殊
更倒家多きが如し。一寸歩(ちよつとある)く間にも千々岩某、八代某、前田某、
川添某、新保某、三雲某等八九軒の倒家(たをれいへ)あるを見る。尚ほ進ん
て行屋橋に至れは。其袂(そのたもと)に一軒の倒家を見し。新道(しんみち)に出て永安
橋迄に。更に十余戸の倒家を数ふるそ哀れなる。
▲東風除岸磯 小川町下の東風除岸磯(こちよけがんぎ)は其両端余程破壊され。
且つ其水涯(そのみづぎわ)に和船ニ三|艘(そう)破壊され居るを見たり。
▲帆前船五隻 小川町|下海岸(したかいがん)に五隻の帆前船(ほまへせん)一束になって沈没
せるを見しが。乗組員中の或る小供(こども)にその船名(せんめい)及ひ生死如何を
問へとも分(わか)らす。只其の言葉(ことば)の本県にあらさりより推(お)せは。船(ふね)
は或は他県(たけん)のものならむか。
▲新照院方面 平之町は上中(うへなか)共に概(がい)して破損(はそん)少なく。新照院町
に至り新上橋以北|倒家(たをれや)の頗る多きを見たり。中にも同橋涯(どうはしきわ)には
五六軒|将棋倒(せうぎだをれ)に潰れ居れり。又新上橋の手摺南の中央六間程西
田橋も手摺三間程|飛(と)ばされたり。
▲西田方面 鷹師薬師両町にも倒潰(たうくわい)家屋多く。猛雨の為一時は
全町水に浸(ひた)りしが。午後には水退(みづひ)きて無事なりき。西田町より後
馬場に掛(か)けても。諸所(しよ〳〵)に倒家あり。田圃(たんぼ)は出穂前(しゆつすいまへ)にて左程の害
なきも。早稲(わせ)の方は多少の損害を免れまじ。
▲遊郭内の倒家 浜町向江町即ち遊郭内(ゆうくわくない)に於ける倒家は殊に夥
しく。其付近の人々の語(かた)るを聞くに。殆んど五六十|軒(けん)にも近か
るべし。但|遊女屋(ゆうじよや)としては。朝日楼(あさひろう)と三島楼が大破損(だいはそん)を被むり
朝日の新二階の如き。飛んで門柱(もんはしら)の辺にあり。また駆黴院(くばいゐん)は。
僅かに建増(たてまし)を了へたる許りなれど。屋根(やね)は平木葺なれば。平
木は風に取られて。入院中(にふゐんちう)の娼妓などはヅブ濡れになり居るを
【左側上下二段に絵】
【上段、右から左に横書き】
田の浦風景楼破損の図
【下段、絵の中に】
暴風雨の後
市民
畳蒲団
衣類等を
乾すの図