翻刻
【左側上段】
無事なるを得ざりけるか。舟子は流石に海を我家とせるものな
れは遂(つゐ)に九死を逃(の)がれたり。又夏井に寄せし漁舸(ぎよか)の中三艘は非
常に海水を浴び。其上一人の怪我人をさへ生ぜしが。自余のも
のは孰(いづれ)も無事にて一命を拾(ひろ)ひたり。而して更(さら)に又其日の午後三
時|過(す)ぐる頃(ころ)なりけん一|隻(せき)の通船(つうせん) (志布志日高伊早吹持船)あり。
既(すで)に内之浦港を出帆(しゆつぱん)して。志布志の港近(みなとちか)く漕き寄せるあり。朝来
の椿事に胆落(きもお)ち目眩(めくら)めるあり、件の船の今や港(みなと)に入らんとする
を認るや、沖合に漂へる舟を目掛つゝ皆声々に危難を避くべ
き種々の注意(ちうい)を与(あた)へ抔(など)して。頻にアレヨ〳〵と打叫(うちさけ)ぶ。折しも
あれ件の船は芦(あし)の葉のごとく。二三回くる〳〵|回転(くわいてん)しながら。覆(ふく)
没(ぼつ)し。都合六人の乗組(のりくみ)は一斉に海中(かいちう)に投(とう)し。力を限りに泳き着
かんとすれど。何分(なにぶん)浪は高し潮(しほ)は急なり。特に同船の船頭株日
高伊吉 (《割書:二十|四 》)を首め楫取鮫島新太郎 (《割書:二十|九 》)柁子何某 (《割書:二十|三 》)乗客三人に
至る迄。到底物(とうていもの)の役に立つべきものならねば。岸上(がんじやう)の人々足を
藻掻(もが)きて気遣(きつか)へども。さは言へ助(たす)けん手術(てだて)はなくて。誰罵り騒
ぐばかりなりしが。運好くも少年の船頭柁子及び二人の老客は
救ひ上げられ。楫取及び一人の船客は遂に魚腹の人となり果て
ぬ。中にも溺死(できし)を遂げし客(かく)は姶良郡国分村小村百八十五番平民
醤油製造商(せうゆせいぞうせう)藤崎常助 (《割書:二十|九 》)と呼び。従来家業の醤油を当地方に売
込み年々相当の利潤を収むる身(み)とて今年も例の如く。新(あらた)に得意(とくい)
先(さき)の注文(ちうもん)を引受け。此(この)十日前志布志を仕舞(しまひ)ひつゝ。内之浦へ渡
り。已に彼処(かしこ)の用務(ようむ)を果たし恰も落命(らくめゐ)の当日。前記(ぜんき)の通船より
再び志布志(しぶし)へ押戻(おしもど)れるところなりけり。而して同人(どうにん)は極めて。
水泳(すいえい)の心得ありけるものと見(み)へ。凡そ半時間も。逆捲(さかま)く浪を斫
抜け〳〵幾回か岸辺に泳き寄りけるが。元来着衣のまゝにて。
財布やら大福帳やら。尚も手より放さで。常に片手もて泳ぎ居
たるため。遂に前記の始末に及べりとは。あはれ命ありての物種
【左側下段】
穢土の財宝の何時迄か其身に添はんや。無惨(むざん)と言ふも愚(おろか)なりけ
り。
●県下の災害
▲姶良郡加治木の暴風 加治木は非常の大暴風(だいばうふう)にて。家は将棋
の駒を倒(たふ)せる如くに倒れ。其他|軒傾(のきかたむ)き屋根飛び。瓦平木の吹剥
がれしもの等|比々(ひゝ)として並び。電柱樹木屋壁などは。一も災害
を被むらざるものはなく、荒涼悲惨(こうりやうひざん)の状目も当てられぬ景況な
り。今其筋(いまそのすぢ)の調査に拠れば加治木村(かぢきむら)の町と麓にて住宅全倒二百
十二戸半倒七十二戸、物置(ものおき)小屋馬小屋全倒五十五なりと。又
圧死者もありたり。当村役場は取敢(とりあ)へす松田吉左衛門方に救災
炊事所を設け。応急手段(おうきうしゆだん)を取りしか。今一日だけにて焚出米を
受けたる人員無應(じんゐんむりよ)【慮の誤りか】八百名に及べり。中学校の建増に係る授産学(じゆさんがく)
校(こう)第二分教場も倒(たふ)れたり。負傷者は六名にて、馬一頭は圧死
す。西本願寺の石塀も過半壊れたり。 (挿画参看)
▲同郡横川村の暴風 横川村にては二十四日午後十時過より東(とう)
風(ふう)徐々と吹き渡りて漸く強く。翌日午前一時|前後(ぜんご)には。風向一
転して東南風となり。最(い)と猛烈(もうれつ)を極め、雨も亦強く。樹折れ屋
倒れ。瓦飛び平木舞ひ。老幼|叫(さけ)び合(あ)ふて助(たすけ)を乞ふの声は風と相
和して。其の勢|凄(すさ)ましかりき。二時三十分ごろより。正南風と
変(へん)じ。一時は猛烈(もうれつ)なりしも。三時四十分|軟風(なんふう)となりて次第に和(やわ)
らぎ。五時頃には全然沈静(ぜん〴〵ちんせい)に帰せり。家屋の破壊は全倒六十
二戸、半倒十六戸、厩及び作小屋等の潰倒するもの一百戸に及
へり。
▲同郡国分村の風害 十四日午後十一時頃より暴風(ぼうふう)の模様を来(きた)
せしが。十五日午前二時三時ころに至りては、非常(ひじやう)の強風(けうふう)に
て。同四時頃に至(いた)り全く歇みたり。国分村内|家屋(かをく)倒数二百四十
二戸。半倒八十戸、厩(うまや)百三十戸、右倒家の内にて惨状を極めし