翻刻
【右側上段】
より匐ひ上(あが)り人の救助(きうじよ)を得て。車(くるま)も引き上け帰(かへ)りたる由なるが
其際岸磯(そのさいがんぎ)に於て面頭部(めんとうぶ)に数ケ所の傷(きず)を受け。目下山下橋涯の姉
の宅にて治療中(ぢれうちう)なりと。但車の蒲団其他の備品(びひん)は悉皆紛失した
りと。如何に風力(ふうりよく)の烈かりしを察すべし。 (挿画参看)
▲即死十三人 斯(かゝ)る大暴風(だいぼうふう)の事とて、多少の死傷(しせう)は固より免か
れざるべきも、去りとては。又|悲惨(ひさん)の極(きわ)みなり。市内にての死
者は。高麗町二十六番戸伊藤佐太郎 (《割書:五十|五 》)加治屋町百五十二番戸
吉松松太郎長男熊吉 (《割書:五六|ケ月》)同実母キク(《割書:六十|三 》)下荒田町三百八十七番
戸藤山ケサガメ(《割書:七十|三 》)広馬場錦江亭奉公人日置郡串木野村下名四
百四十番戸平スギ(《割書:二 | 十》)同千八百七十六番戸安藤マツ(《割書:二十|一 》)同西市
来村大里平森太郎 (《割書:十 | 七》)右の内スギかマツか何れなりしやは聞き
漏(もら)せしが、内一人は一両日前に同亭に雇(やと)はれしものゝ由なるが
人(ひと)の身(み)の上こそ果(はか)なき者はなし。加治屋町番戸不詳三島三之助
妻チヨ(《割書:四 | 十》)は折節乳呑子を抱きて横に成り居る内。一陣の猛風
我が家の梁(はり)を掠(かす)めて、夫三之助の腰(こし)の上に落ちしと共に。チヨ
も子も同時(どうじ)に圧(あつ)せられて苦しみ居るを。三之助は辛(かろふ)じて抜け出
で。有合の金槌(かなてこ)を以て。今しも圧され居る妻と子を救け出さん
とせしも力に及ばず。僅(わづ)かに子のみを取り出せしも哀(あわ)はれ。妻
は其のまゝ 息絶(いきた)えしとは何等の悲惨ぞ。又郡部にては、吉野村
川上卅五番戸茶屋スエ、伊敷村小山田直百十七番戸井手ノ上太
郎 (《割書:四十|六 》)同下伊敷三百八十五番戸山下長次郎 (《割書:十 | 九》)同酒匂平右衛門
(《割書:四十|九 》)西武田村西別府百八十番戸前田正五郎。
●同じ浪枕(なみまくら)に溺死(できし)三|人(にん) と標(へう)して書き出すも悲惨の談話は有明
湾頭(わんとう)に於て、実に十四日午前三時より午後三時迄の出来事なり
き。扨(さ)て幾多(いくた)の漁人(ぎよじん)は、十三日の晩(ばん)が例(れい)になき。好天気にて
海上少しも不穏(ふおん)の徴候(てうこう)なきより、我先きにと出漁し。十四日の
午前三時|過(す)ぐる頃(ころ)まで。櫓櫂(ろかい)の音は絶えざりけり。風波の奇変
【右側下段】
ありとは神ならぬ身の知る由もなく、例の漁人等は愈よ夢中と
なりて漁(すなど)りの真最中(まつさいちう)怪しき一|陣(ぢん)の風の吹渡るよと見る間もあら
せず。俄然として一道の白波彼我(はくはひが)の船体を掠(かす)むるよと認(みと)むるや
忽ち海(うみ)は巨人(きよじん)の唸(うめ)くが如く鳴り出でゝ。怒涛(どとう)の空(くう)を排して押寄
する様(さま)、譬(たと)ふべくもあらず。現(げん)に今迄は篝(かゞり)火天を焦しつゝ八十
|隻(そう) (内福島、内之浦地方のも含む)の漁舸或は離れ或は合しつ
ゝある程(ほど)もなく。遠近(おちこち)の篝火フツと。消え大海忽ち黒闇々(こくあん〳〵)の魔
境と一変し。今や正に此処彼処の漁船は。処定めす押流され。揺
り上げ揺り下され。殆んど算(さん)を乱せる木の葉に異ならず。中にも
志布志町山下善左衛門の持船(もちぶね) (七人乗)は。咄嗟(とつさ)の間に暗礁に乗
上げ、其侭舟(そのまゝふね)は沈没の難(なん)に罹(かゝ)り。舟子は孰も命から〳〵他船に
泳(およ)ぎ移(うつ)りしに。茲に最と哀れなるは件の舟子にして。孤杉平四
郎 (《割書:二十|一 》)と云へる若者(わかもの)なり。彼は衆(しう)と共(とも)に海中に飛込みしが。遂
に行衛不明となりたること。後にて判明したれど。此船も同し
く苦患の場我が身の始末(しまつ)に忙はしき此時(このとき)夜は未だ全く明け放れ
ず。誰(たれ)や一人 件(くだん)の椿事(ちんじ)を知るものなき、此の時今一人の舟子に
して右(みぎ)の平四郎と同しく他船(たせん)に乗り後(おく)れたる為め。勇を鼓しつ
ゝ遂に岸頭(がんとう)に泳(およ)き付け。僅かに一命を助(たす)かりし何某 (《割書:二十|ニ 》)と呼べ
るは。健気(けなげ)にも終に船主(せんしゆ)の許(もと)に駈付(かけつ)け。当坐の凶変を告げゝれ
ば爰(こゝ)に始(はじ)めて一|家鼎(かかなへ)の如くに沸き立ち。上を下へと騒(さわ)けは此事
忽ち町内の評判(へうばん)となり。漁村の混雑得(こんざつえ)も言はれず。老幼男女残(らうようなんぢよのこ)
らず浜辺(はまべ)に打出でゝ西に東に狂(くる)ひ走(はし)るなんど。修羅(しうら)の巷(ちまた)に異な
らず。既(すで)にして残(のこ)りの漁船も。遂に件の難(なん)に洩れず。或は波を
避(さ)けて夏井を向けて漕(こ)ぎ寄(よ)せんとするあり。中にも健気(けなげ)なる舟
子の多数は。山なす浪を割て船を進め。各畢生の勇を振つて港
に漕(こ)ぎ入(い)らんと努(つと)むれど。波(なみ)は益障碍を極め。風は愈よ暴威(ぼうゐ)を
振(ふる)ひ。見る〳〵五 隻(せき)は美事(みごと)難破の災に罹(かゝ)り、残る漁船(ぎよせん)一として
【左側】
災民救災炊事所に群集するの図【上部に横書き】
救災炊事所