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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - ページ 48

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【右ページ上段】 しても一枚の瓦なきに至れりと。 ▲高岡郡 廿八日午後八時過頃より東南の風吹き始め、忽ちに して劇風(げきふう)となり、其凄(そのすさ)ましきこと例ふるにものなく樹木を折り 瓦(かわら)を飛(と)ばし人家(じんか)を倒し、九時過に至り風は西南風となり数分に して漸(やうや)く歇(や)みたり。翌日其被害(よくじつそのひがい)を見れば、実に非常なるものに して殆んど完全なる家屋なく半潰若しくは、全潰となりて為め に家畜(かちく)などの死傷(しゝやう)するもの多(おほ)し樹木は仆れて道路を塞き山は宛 然麦稈を折り敷けるか如く、古老(こらう)の言(げん)によれば、近古未曾有の 大暴風なりし。 ▲高岡町 高岡町辻梅原重太郎方本家及納屋全倒の為めに出火 したり、家屋(かおく)の全倒(ぜんたふ)四十二軒半倒三軒死者男一人重傷男一人女 三人軽傷男六人女三人なり。 ▲高岡村 全村(ぜんそん)に於(おい)て全倒家屋(ぜんとうかおく)三百二十四棟圧死男一人女二人 建造物の全倒三百九十棟なり。 ▲宇佐村 圧死(あつし)男一人女一人負傷男三人女三人 全倒家屋(ぜんたうかおく)百二十 ニ棟 其他建造物全倒(そのたけんざうぶつぜんたう)四十九棟なり。 ▲須崎町  午後八時過ぎ高潮俄然侵入し来り人民は大に狼狽 し、山上或は其他(そのた)の高所(かうしよ)に避難(ひなん)したるもの多く、堤防外海浜 に 建設したる家屋は、流失(りうしつ)したるもの多(おほ)く之れが為め、溺死した るもの三名 家屋倒壊(かおくたうかい)の為(た)め圧死(あつし)するもの四名死屍の海岸に漂着 したるもの四名に及びたり。全倒家屋百十五戸其他建造物の全 倒百五十一棟半倒七十棟流失家屋は六戸なり。 ▲佐川村 佐川警察分署(さがはけいさつぶんしよ)よりの報に依れば同署所在地全倒家六 戸圧死女三名にして加茂村は倒壊家屋五十五棟其他建造物十七 棟同家屋半倒十四棟負傷男一人女三人あり。 ▲越知村 は町分に於て家屋全倒十二戸家屋全倒の為め圧死女 一人なり。 【右ページ下段】 ▲久礼村 全村通して倒家(たふれや)百戸に近く、其他 波浪(はらう)の為め家屋を 奪(うば)はれたるもの、半倒れのもの等は殆(ほとん)ど算なく、殊に浜手の方 最も甚たしく、加(くは)ふるに、連日不漁(れんじつふれう)の上なりければ、惨状実に 目も当(あ)てられざる許(ばか)りにて、或は倒れし家屋に取付(とりつき)て悲泣する あり、或は忽(たちま)ち食糧に尽きて、老幼飢(らうよううえ)を叫ぶあり、衣類亦泥土 に埋められて、身(み)に着(つ)くべきものなく、路上(ろじやう)には倒れし家屋又 は建具箪笥長持蒲団(たてぐたんすながもちふとん)など算を乱して堆積し、農家も亦漸く実り 初めたる許りの禾穀(かこく)悉く害を蒙れり。八幡宮の如きは境内(けいだい)の周 囲一 丈(てう)に余(あま)れる大木数十株を縦横(じうわう)に捻倒し、社務所舞殿等の棟 を破壊し、近傍(きんぼう)の小社は殆んど皆倒れて其形を存(そん)せず、而して 斯かる非常(ひじやう)の災害なりしも、存外人畜(ぞんぐわいじんちく)の死傷なかりしは、不幸 中の幸なりし。 ▲吾川郡 同郡南部の惨状(さんじやう)に就て報道し来れるものは左の如 し。 ▲八田村 圧死(あつし)男一人、倒壊家屋十三棟、其他建築物(そのたけんちくぶつ)十九棟。 ▲弘岡上ノ村 全倒家屋(ぜんたうかをく)三十棟、其他建築物五十三棟。▲弘岡 中ノ村 倒壊家屋八十棟、其他 建築物(けんちくぶつ)百四十棟。〇弘岡下ノ村    全倒 家屋(かをく)二十九棟圧死するもの一名負傷者亦一名なり、弘岡(ひろをか) 高等小学校(かうとうせうがくこう)三棟中一棟亦倒れたり。▲森山村 新川町(しんかはまち)に二十余 森山に廿余の全倒 家屋(かをく)あり。▲仁西村 仁ノ海辺の潮風驀然に 起り一大 旋風(せんふう)となり、見る〳〵中に瓦焼(かわらやき)職工家屋等はメリ〳〵 と音して蟇伏(ほふく)し、庫棟或は家根等は肋骨を現はし、全倒の家屋 は六十四棟、負傷(ふしやう)するもの二名。▲秋山村 南面山を抱(いだ)き風勢 を阻隔(そかく)する恰好の地勢を占め居りたれ共、尚(な)ほ明治以前に建築 せられたる茅家は、大となく小となく倒(たふ)るゝもあれは傾けるも あり、一 目惨愴(もくさんさう)と極めたり、全倒家五十九棟。▲西分村 同地 吉良神社の有名なる大杉(おほすぎ)は、根基より方三丈余の大地(だいち)を覆へし 【左ページ上段】 て倒れ、馬場(ばゞ)先き一面を埋め、盛藍会社の一 軒(けん)も全く地に伏し たり。同近傍の川流(せんりう)に繋泊(けいはく)したる十石積の船数艘は、五六町の 隔たりたる所に微塵(みぢん)となりて砕けたるが、本村に於ける倒れ家 屋四十棟。▲諸木村 に於ては全倒百二十二戸、同半倒百八十 六戸、家屋倒壊の為め圧死男一人、納屋全倒百八十六、神社全 倒八棟なり。▲長濱村 本村の被害は最も甚しく、先づ二個の 伝染病院(てんせんびようゐん)(原、浦戸長濱合併)を倒したるが、是れより先村長中 山敬之氏は、駐在巡査と共に衛生事務(ゑいせいじむ)を帯びて、原病院に同行 中、兼(か)ねてよりの脚気病(かつけびやう)にて歩行大に難み、遂に駐在巡査をし て、臨機の処置(しよち)を以て病院収容の患者(かんじや)数十名を出たせし為め、 患者は無難(ぶなん)に其身を全ふするを得たり、又 長濱尋常高等小学(ながはまじんじやうかうとうせうがく)、 横浜尋常小学のニ棟は全く倒れたり、又同地全倒家屋百八十八 戸、同半倒五十三戸納屋全倒三十六棟にして、圧死者男一人女 一人ありたり。▲仁淀川 の出水は去る九日の大洪水に比し、 暴風雨(ぼうふうう)の割には甚しからず、先づ〳〵の災(さい)は免かれたる が、農作物(のうさくぶつ)の被害は実に甚しく、既に前日来(ぜんじつらい)の風雨に早稲の被 害少なからざりしに、目下晩稲(もつかおくて)の出穂最中にて劇烈(げきれつ)なる風雨は 容赦(ようしや)なく揉みに揉み、其被害の場所(ばしよ)に因りては収穫皆無なり、 亦之れが被害(ひがい)の少なかりし所といへども、四割より五割の減額 にて、詰まり半額(はんがく)の収穫すら覚束(おぼつか)なき状況なりまた里芋或は其 他の疏菜類或は果物(くわぶつ)等は、殆んど見(み)る影(かげ)だもなし。 ▲吾川郡別報 吾川郡南部の状況(じやうけう)は、別項にも見ゆる如くなる か、尚ほ其の報告を得たれば左に掲く。 ▲神谷村 全倒家屋三十戸、其他建造物全倒百三十四棟、流失 船十二艘。▲芳原村 全倒家三十一棟、▲御畳瀬村 家屋全倒 四戸、同半倒十二戸其他建造物の全倒二十三軒なり。▲浦戸 村 に於ては、家屋全倒四十軒同半倒十一軒其他建造物二十軒 【左ページ下段】 なり。 ▲浦戸村及び港内の被害 吾川郡浦戸村字桂浜は。東南(とうなん)に斗出(としゆつ) して限りなき海(うみ)に面(めん)し、風を受くる処なれば、被害(ひがい)著るしく、 燈台(とうだい)は吹き倒され、同事務所の如きは、飛んで遠く海浜(かいひん)の眞砂(まさご) の中に埋(うづも)りたり、左れど事務員に怪我(けが)のなかりしこそ幸といふ べし、其他 同部(どうぶ)に潰れ家十軒、浦戸部に同十軒他は尽く半倒(はんたふ)れ となりしとぞ。また港内に碇泊(ていはく)せる船舶の被害は、一 層(そう)甚しく、 浦戸(うらと)に大帆船一艘、種崎に同三艘、舷の砕けて水船(みづふね)となり、帆 柱ばかり突立ちたり。此外種崎(このほかたねざき)の浜に吹き上げられたる帆船四 艘あり、猿島(さるしま)の岩上に突進して、深く船底(せんてい)を破りたるは、入交 氏所有の第一寿宝丸なり。孕の渡合ひの転覆船(てんぷくせん)は、帆船五艘、 小船二十、破帆(はそん)船十五、小船五十、汽船巡邏船金比羅丸も亦要 部に損傷(そんしやう)を生じたり。入交の第七寿宝丸は、西孕なる小松セメ ント製造所前に打上(うつあ)げられ、種崎住森岡某の所有船(しよいうせん)盛通丸は、 瀬戸物(せともの)醤油等を積み下り来りて、孕に碇泊中錨(ていはくちういかり)を引きて西の方 に流れ、陶器は割れ醤油は流れて、目(め)も当(あて)られぬ惨状を呈し、 小笠原某持船愛宕丸は転覆(てんぷく)して孕沖に浮び、同所避病院の前(まへ)に は船舶(せんぱく)多く打ち上げられ居り、旧板垣邸(きういたがきてい)の前面にも帆船一艘微 塵に砕(くだ)けて横たはり、南海丸(なんかいまる)といふ帆船は、種崎沖に停泊中吹 きすさむ風の烈(はげ)しきまゝ、錨を引きつゝ 瞬(またゝ)く内に東孕に吹き付 けられ、山根(やまね)の岩石に突当(つきあた)りて、艪の方をしたゝかに破(やぶ)りた り、又 巣山附近(すやまふきん)には、一面に大材木の浮み居るは、転覆したる 帆船より流(なが)れ出(い)でたるものならんといふ。 ▲浚渫船と平舵屋形 孕以南(はらみいなん)の景況は、別項に記るしたり、夫 れより以北(いほく)即ち新地前より、堀川筋の有様(ありさま)を見るに、屋形船は 使者屋橋の東方(とうはう)人家下に集り居たるが、瓦飛び塀倒れ、悉く船(ふね) の上に落ちかゝりて、破損(はそん)せしも多かりしと。又彼の港内(かうない)の浚