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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - ページ 47

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【右ページ上段】 られたる電燈線(でんたうせん)さへ落居れば多分電気に触れて死したるものな んといへど確かならざれば、死体は高知病院に托して解剖に附 したりと。 ▲紙幣飛び銀貨残る 雁切住(がんぎりぢう)平尾藤五郎は大風夜家は潰され箪 笥諸道具まで、風に持ち行かれ又貯ひ金(きん)の内紙幣(うちしへい)四十余円はビ ラ〳〵と吹飛されけるが銀貨十二円丈けは残しありたりと。 ▲西孕の圧死 潮江村西孕の国久利喜馬の妻繁は長男一 (《割書:三| つ》)次 男繁喜 (《割書:一| つ》)の二人の子あり其の夜繁は繁喜を中(なか)にし長男の一と 共に寝て居たる処(とこと)へ、柱(はしら)と壁(かべ)とか仆(たほ)れかゝりて、母及ひ長男の 首を打ちしが、中に寝たる繁喜は身体の小さき為め打たれす泣 き居けるを堀り出せしに、些しの傷をも受け居ざりしが、夫れ に引きかへ両人は早や死し居りしとなん。 ▲宗匠屋根に伏せらる 南与力町住茶道宗匠高橋氏一家は家倒 れ家根落ちて其下に伏せられ声を限りに助けを呼べども誰とて 来るものなく、一時間余も悩苦(くのう)して、漸(やうや)く天井(てんぜう)を壊し屋根を 破(やぶ)り一 同其処(どうそこ)より這い出たるが宗匠の長男悦作氏は腰部を打 てれて大負傷をなし直ちに病院に入院せしと。 ▲仏(ほとけ)の功徳(くどく)か 潮江村善法寺(うしをえむらぜんはうじ)の住職某は、兼てより中風症にか ゝり居(お)り、大風(たいふう)の夜(よ)も心(こゝろ)は急(は)やれど足腰立たねば、逃ぐる事も 叶(かな)はず、矢張(やは)り寝居たる処に凄ましき音して屋根落(やねお)ちたるが、 幸にも其梁(そのはり)は庭(には)に置きある大石に支へられて中途にて止まり 夫れが為め某も打たれず木材の下に埋もれ居たるを、翌朝堀(よくてうほ)り 出せしに額(ひたい)に微傷(びしやう)ありしのみにて、別条なかりしとそ。仏の功 徳ともいふへきか。 ▲長岡郡の被害は左の如し △介良村全倒家屋十八内納屋一△五台山村全倒家屋二十一内納 屋灰巳屋ニ倒屋一△稲生村全倒家屋二十七半倒八△高須村全倒 【右ページ下段】 家屋二十四外村役場全倒一学校の一部分堤防決潰五ヶ所延長四 十七間橋梁破損二ケ所家屋倒潰の為め圧死女一人負傷男女各一 人△大津村全倒家屋三十九納屋廿五堤防決潰一ケ所延長九間橋 梁流失三ヶ所△国府村全倒家屋八半倒一△瓶岩村全倒家屋九半 倒六負傷女一人△久礼田村全倒家屋七半倒三△新改村全倒家屋 八△岡豊村全倒家屋六十半倒家屋納屋等二百△長岡村全倒家屋 六十八半倒十四圧死女一人負傷男一人△改田村全倒家屋十一△ 大篠村全倒家屋八十なり。 ▲後免町 に於て家屋倒壊の為め圧死女四人乗船の際溺死二人 負傷男十四人女四人。堤防の決潰十一ケ所全倒家屋四百七十七 棟其他建造物全倒五百四十一戸流失家屋二戸半倒二百六十七棟 なりと。 ▲弘田町の危難 本県学務属弘田正哉氏は過日来御用の為め安 芸郡に出張(しゆつてう)し居りしが暴風(ぼうふう)の日用務を終へて帰高の途中 葛島(かつらしま)の 堤(つゝみ)へ来る時適彼の烈風に出遭ひ、巳を得ず連れたる人足と共に 石灰小屋(いしばいこや)に逃込たり折(おり)から十三四ばかりの娘連れの田舎人(いなかびと)も駆 込み来り共に茲にて風の凪ぐを待ちけるに、小屋(こや)は灯提燈(てうちん)の如く 揺られて今にも倒(たほ)れんとする有様(ありさま)なりければ父娘(おやこ)の者家へ逃行 かんとして打ち来る大浪(おほなみ)に引(ひき)こかされしを漸(やうや)くにして助け上げ しに激浪(げきらう)は早や堤(つゝみ)を破(やぶ)りて数十間の決潰(けつかい)の出来しとも知らず、 四人とも〴〵逃行く途(みち)にて、人足が之れに陥(おちゐ)るなど、進退殆 んど谷(きは)まりけるを、村人に助けられて、四人とも其人の内に 夜を明かし、翌日(よくじつ)漸(やうや)く帰高(きかう)したりといふ。 ▲子供(こども)二 人(にん)溺死(できし)す 長岡郡吸江村住島崎萬太郎 (《割書:二十|七八》)は、汽船の 艀乗(はしけの)りを業とせるものなるが、彼の大風(たいふう)に家を吹き倒されける より、所持の屋形船(やかたぶね)へ女房と子供二人を乗せ自分は用達に行た 間に、船(ふね)は吹(ふ)き流(なが)されて転覆(てんぷく)し女房は助かりしも、子供二人は 【左ページ上段】 無惨(むざん)の最期を遂げたれば見舞ひとして、汽船会社より金三円、 共運組(けううんぐみ)より、金二円を右(みぎ)萬太郎へ贈与(ぞうよ)したりと云ふ。 ▲堤防決潰 長岡郡高須村字左衛門の丸は高潮の為め堤防決潰(ていぼうけつかい) する事四ケ所(しよ)其の延長(えんちやう)四十五間に及ぶ又た同村油屋の丸にても 堤防(ていぼう)に一ケ所四五間の損所(そんしよ)を生じたり、又た同村の村役所及び 小学校内唱歌室裁縫室(せうがくかうないしやうかしつさいほうしつ)とも転覆(てんぷく)したりとの事なり。 アサダチ山林の被害 東孕字(ひがしはらみあざ)アサダチと称する山林は山内家の 扣(ひか)へにて杉桧(すぎひのき)の大木隙間(たいぼくすきま)なく生ひ立ち、其数々万本昼尚ほ暗ら く同家財産中屈指の者なるが、同所は風の道に当りたるものか 其被害(そのひがい)一方ならず、杉桧(すぎひのき)は大概倒(たいがいたほ)れ或は幹の中央より折れ会ま 〳〵 倒(たほ)れざるものあるも、枝は千切(ちぎ)れ皮(かわ)は剥げ遠くより見れば 只処々に柳(やなぎ)の白箸(しらはし)を立てたる如くにて、総(すべ)て青(あお)みを留めず其損 害実に夥たしきものならんと云ふ。 ▲幡多郡 における被害も決して他郡に譲らざるべし、同郡中 島町被害の詳報を得たれば左に記すべし。 ▲中村町 二十八日は朝来天候甚(てうらいてんこうはなは)だ険悪(けんあく)にして、大雨傾注(たいうけいちう)する かと思へば、俄(にはか)に日光輝々(につくわきゝ)として市街を射り、午後三時頃に至 り北(きた)の風さへ吹添(ふきそ)ひ、五 時過(じす)ぎに至(いた)りて全(まつた)く暴風雨(ばうふうゝ)となり、六 時三十分乃至七時三十分の頃(ころ)には、風(かぜ)は一 層吹(そうふ)き荒み、雨は一 層降(そうふ)り頻(し)きり、殊(こと)に時々赤色(とき〳〵あかいろ)の火光天の一方より飛散し来り、 其物凄きこと云はん方なく家は倒れ屋根は落ち女児は皆逃げ迷 ひ泣き叫(さけ)び助(たす)けを呼ひけれは警察官吏郡役所員(けいさつかんりぐんやくしよゐん)は、署長代理郡 長を首めとし、孰(いづ)れも必死(ひつし)となり、徹夜其(てつやそ)の救助保護(きうじよほご)に力を尽 し、一時警察署に集(あつま)り来(きた)りしもの三十 余名(よめい)の多(おほ)きに及びし程な りしも、其(そ)の保護(ほご)の行届(ゆきとゞ)きたる為め、幸ひ人畜(じんちく)には死傷なかり し。 偖(さて)て午後(ごゞ)十 時頃(じごろ)に至(いた)り、漸(やうや)く風息(かぜや)み雨収(あめおさ)まりしも、其の被害は 【左ページ下段】 実(じつ)に非常(ひじやう)にして、新町の如きは倒(たふ)れ家半倒(やはんたふ)れ算を乱して狼藉た り。今富町の被害(ひがい)を概言(がいげん)せは、新地及ひ下町の一部を除くの外 軒(のき)の傾(かたむ)き瓦の飛び屋根の落(お)ちさる家(いへ)は殆(ほと)んと一軒もなし。 ▲官衙及ひ学校 裁判所(さいばんしよ)は人民控所及ひ倉庫を全倒せられ、監(かん) 獄(ごく)は工場(こうでう)二ケ 所(しよ)と門(もん)を全倒(ぜんたう)し、炊事場は大被害を受け、囚徒は 午前十時に至り漸(ようや)く朝餐(てうさん)を終(おは)りたる有様なり。高等小学校は新 築の部分(ぶゞん)のみ全倒(ぜんたう)し、一 昨年建築(さくねんけんちく)せし尋常小学校は全部を全倒 せり、郡役所(ぐんやくしよ)は西北部(さいほくぶ)に当(あた)る家根及ひ壁を剥かれ、一時は雨泥 にて、恰(あたか)も洪水(こうずゐ)に浸(ひた)されたる家屋の如くなれり。 ▲倒家の半倒 当町概数九百戸の内建物の全倒百四十八軒の多 きに及び、半倒(はんたふ)は無数(むすう)にして未た精確なる調査(てうさ)は遂けさるも蓋 し四百 余軒(よけん)には下(くだ)らさるべし。 ▲郡長の巡視 弘田郡長は、風力の少しく弱りし際より、吉村 片山の両郡書記(れうぐんしよき)を随(したが)へ、全町残(ぜんてうのこ)る隈なく巡視し、被害の酷しき 所(ところ)は戸(こ)〻に就(つい)て慰問(ゐもん)せり、片山郡書記は、郡衙の被害非常にし て、壁(かべ)は落(お)ち雨(あめ)は入り、書類其の他備品(たそなへひん)の汚損せんを恐れ、下 方郡書記 使丁(してい)を指揮(しき)して取片付(とりかたつ)け中硝子の片板飛び来り、面部 其の他(た)に数ケ所の微傷(びせう)を受けたり。 ▲救助米の炊出 翌廿九日の朝に至り、炊くにも釜(かま)もなく米(こめ)なく 飢餓(きが)に迫(せま)りし二百 余名(よめい)の細民郡衙(さいみんぐんが)に来りて救助を乞ひければ、 日野 郡書記(ぐんしよき)は所員及(しよいんおよ)ひ人夫を督して救助米の炊出を為し、一々 之(これ)に配与(はいよ)し、此の場(ば)を終(おは)る迄尚ほ救助(きふじよ)を受けん為め、郡衙に来 るもの続々として引きも切らず。 ▲瓦の騰貴と払底 如何(いか)に被害(ひがい)の少(すく)なき家と雖も瓦の二三百板 を損(そん)せざる所(ところ)はなく、左(さ)れば朝来瓦(てうらいかわら)を買はんとて、瓦屋の門前 に来(きた)るもの、市(いち)を為(な)せる有様(ありさま)にして、平日一銭五六厘の瓦は俄 に四銭五厘に飛(と)ひ上(あが)りしも、瞬(またゝ)く内(うち)に払底(ふつてい)を告け今は一円を出