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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七號 明治三十二年八月諸國災害圖會 - ページ 6

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火し。見る〳〵足曳町、久方町より伊勢佐木町通り賑町へ延焼 し。賑座(にぎはひざ)に移りて。直に向側(むかうがは)の両国座(りやうごくざ)を焼き。夫より福富町燃 え抜け伊勢佐木町の両側と福富町と相並(あひなら)んで漸次北東へ延焼 し。一方は。更に火元より足曳町を貫き松ヶ枝町若葉町より羽 衣町に移(うつ)りて。羽衣座(はごろもざ)を焼き。何(いづ)れも南西の方向より追ひ手の 烈風を受けて。一 斉(ぜい)に吉田橋の方向に前進し。吉田町に達した る頃は火先き扇形(あふぎがた)に拡(ひろ)がりて。一 方(ばう)は吉田川の騎士に沿ひ。真正(ましやう) 面(めん)に大岡川へ向けて燃え抜け。河岸一面の火となりて。遂に伊 勢佐木町警察署をも焼(や)き払(はら)ひたり。吉田町より柳町に掛け。延 焼の際は。風力尤も甚(はなは)だしかりしより。風下となり居りし。大 岡川を隔てたる。港町五、六丁目より四、五丁目及び尾上町、真 砂町、常盤町、住吉町、相生町、太田町皆三、四、五、六丁目等は 熛火雨の如くにして。屋上に燃(も)え移りたるも。漸く消し止めた る内。屋上(をのへ)町五丁目なる指路教会(しろけうくわい)の硝子窓に燃付き。又同町四 丁目 天金(てんきん)の屋上に移(うつ)りて。双方とも。今や全く火となり。関内(くわんない) 一 面(めん)焦土(せうど)と化し去らんずる模様なりしより。蒸気(じやうき)喞筒(ぽんぷ)を首(はじ)め永 楽町の消防具(せうぼうぐ)も同所に集まり。必死に防禦せし為め。幸に大事 に至らずして消止めたりし。又一方の尻火(しりび)は。福富町を焼払ひ。 大岡川を越えて宮川町に燃(も)え移るらん模様(もやう)りたれど幸に火口を 止めたるも余焔(よえん)は。長者町九丁目に及び。此処(こゝ)にて翌十三日午 前二時頃鎮火せしが如何せん前日来一滴の降雨(かうう)もなく。乾燥を 極(きは)めしのみならす。風力の殊(こと)に甚だしかりしより。延焼の疾き こと実に驚くばかりにて。火勢益々猛烈なるも生憎横浜水道の 断水(だんすゐ)の場合(ばあひ)とて。野毛山貯水池の栓口(せんぐち)を抜き排水せしも市中に 敷設しある鉛管が全部空乏となり居りたるより。出火(しゅつくわ)方面(はうめん)に排(はい) 水(すゐ)する迄には殆んど一時間余りを要せし為め。消防喞筒の掛(かゝ)りし 頃には火は已に八 方(ぱう)に岐(わか)れ復た如何(いかん)ともすること能はさりしな り。    ●出火場の状況 出火の初めは。初夜(よひ)の頃なれば。左なきだに往来繁き伊勢佐木 町通りは。昼間(ひるま)炎暑(えんしょ)の疲れを療さんが為めに。市内(しない)の此処(こゝ)彼処(かしこ) より集(つど)ひ来るもの万を以て数ふる程の有様(ありさま)なるに。忽ち出火の 報を聞くより。其の近傍(きんぼう)は俄に騒擾を醸(かも)し。水もなければ。 消防夫も来らず。何れの家々も烈風を衝て群衆(ぐんしゅう)を排しつゝ。家 具の運搬(うんぱん)のみをなし。消防尽力するが如きは思ひもよらず。 南西の風上は勿論。火元より北星に当る。野毛町(のげまち)の方向即ち。都 橋。宮川橋。柳橋辺の橋の上より河岸一面殊に。停車場付近及 び公園等は諸方より擔(かつ)ぎ出せし荷物を以(もつ)て。殆んど通行の遮断 し。又狼狽の余り風下吉田町河岸へ持出したる荷物の如きは。 忽ちにして。焼き払はれ。老若男女(らうじゃくなんにょ)逃ぐるに途なくして。焼死 したるもあり。又 裸体(らたい)とありて。大岡川を泳ぎ越し辛うして一 命を拾ひたる者も少からさりき。又風下の河を隔(へだ)てたる関内真 砂町、尾上町、常盤町、住吉町、相生町等は。火の消防に尽力した れども。風力益々鋭く。火勢愈々 猛烈(まうれつ)となり。盆大の熛火近き は。散じて関内各所の屋上に落ち。遠きは海面に向け流星の如 くに飛散(ひさん)し。其火の為に焼れんとせいもの数ふるに遑あらず。 左れば。横浜各警察署は警官総出にて。諸方の熛火に注意し 傍ら老人婦女子等の保護に尽力せり。伊勢佐木町警察署の手に て焼失前に助け上げたる者のみにても。二十二名に達し。迷ひ 兒の如きも甚た多く。其の惨憺の状実にいふべからさる程なり き。      ●焼失町名及び戸数 焼失町名及び戸数の細別を挙くれは左の如し  吉田町一丁目   百二戸  同二丁目     九十戸  柳町一丁目    十八戸  福富町一丁目  二百四戸  福富町二丁目  二百五戸  同三丁目    二百九戸  松ヶ枝町    九十九戸  若竹町     六十三戸  伊勢佐木一丁目 九十八戸  同二丁目    五十九戸  梅ヶ枝町   百七十二戸  浪花町     三十四戸  羽衣町一丁目 百八十八戸  同二丁目   百七十二戸  姿見町一丁目  七十一戸  同二丁目    三十四戸  蓬莱町一丁目  八十七戸  同二丁目    四十五戸  同  三丁目  六十五戸  同四丁目    五十一戸  雲井町一丁目 百三十九戸  足曳町     百八十戸  久方町一丁目  九十九戸  賑町一丁目   七十一戸  若葉町一丁目  三十九戸  長者町五丁目 百四十九戸  長者町六丁目  八十二戸  同七丁目     四十戸  同  八丁目 三百十八戸    総計 三千百七十三戸      ●重なる焼失建物    官   署    二棟  伊勢佐木町警察署、福富郵便電信支局    祠   宇    一棟  厳島神社    寺   院    二棟  本願寺出張所、浄清寺    銀   行    二棟  横浜貯蓄銀行、武蔵商業銀行支店    学   校    三棟  吉田小学校(幼稚園共)、福富小学校、三省小学校    劇   場    五棟  蔦座、羽衣座、勇座、賑座、両国座    寄   席    八棟  新丸竹亭、新富亭、新盛館、両国亭、稲荷亭、石田亭、福井  亭、外一席    興 行 場    三棟  第一喜久廼家、第二同上、第三同上    勧 工 場    四棟  日の出館、東陽館、伊勢佐木館、東洋館(空室)      ●松阪屋の焼死人 伊勢佐木町二丁目十九番地。洋酒食料品松阪屋事岡田長次郎 方にては。居宅裏手(きょたくうらて)なる石造土蔵内の荷物を取片付むとて。主 人長次郎〈四十二〉を首め。親戚(しんせき)なる北仲通四丁目五十九番地地天 野松蔵長男確太郎〈二十三〉。同人方同居中西千代之助〈二十三〉 並に福富牒三丁目百八番地左官職井上源次郎方の職人横山長吉 〈二十〉の四人打連れて。土蔵の内に入たるに。斯(かく)とも知らず。 馳付(かけつけ)たる手伝(てつだひ)どもは。土蔵に火の廻(まわ)りもやするかと。堅(かた)く 表(おもて)より戸を閉(とざ)し。厳重(げんじう)に目塗りを為したるより。土蔵内の四人 は阿鼻(あび)焦熱(せうねつ)七転八倒の苦みをなして。悉く蒸焼(むしやき)に焼死したる を。鎮火後(ちんくわご)に至り家人は四人の見えざるに驚きて。若しやと土蔵 を開(ひら)きしに。入口に方ちて等(ひと)しく枕を並べて死し居たるが。何 れも煩悶(はんもん)の余(あま)り現場に在りたる壜詰の麦酒洋酒等を打砕(うちくだ)きて 飲み。または浴(あ)び抔せしものにや。其の辺(あた)りに毀(こわ)れたる空壜の 横(よこたわ)れる等。最も酸鼻(さんび)を極めたるが。横山長吉の如きは。主人の 肩を擁(よう)して死せる状(さま)。臨場(りんぢやう)の警官も坐(そぞ)えお涙だに咽(むせ)びしとは惨(さん) 又惨(またさん)       (挿画参看)     ●生(いき)ながら黒焦(くろこげ)となる 長者町六丁目五十九番地薬種問屋広瀬実之吉〈三十七〉は。火先