翻刻
井左衛門尉様森川出羽守様大に崩れ小川町は本
郷丹後守様松平肥後守様榊原式部大輔様板倉
様戸田様此へん残らず焼る又牛込より小石川伝通院
門前のこらずくずればん町ゟ飯田町お茶の水辺大に
ふるふまた一口築地小田原町ゟあさり河岸大橋向ふは
御籏本様方御家人衆御屋敷残なくふるふおよそ
御府内四里四方五千七百余ヶ町の間出火三拾七ヶ所
家数寺院堂社の損亡いち〳〵かぞへあぐるにいとま
あらず又東海道は川崎宿少々神奈川は大にふるひ
大半崩れ程ヶ谷は少々戸塚宿はしよ〳〵ふるふ又藤沢平塚
大磯小田原辺まで格別の事なしといへども諸々ふるひいたむ
仲山道板橋ゟわらび宿浦和上尾大宮までは大ひにふるひ
其先は熊谷宿まで所々ふるふ日光道中は草加宿越ヶ谷より
其先幸手辺まで諸々ふるふ又水戸海道は市川松戸うしく宿
辺下総は行徳船橋辺は分ヶておびたゝしくふるふ奥州街道は宇
津の宮辺までふるひ崩る其外葛西二合半領又甲州街道
八王子駒木根辺までふるふ又青梅海道半能所崎ちゝぶ
大宮辺まてゆりふるにかゝる凶変は古今未曾有にて老若
男女の死亡は明暦火災の砌よりはます〳〵人家建諸国込ゟ入込
住居なすこと広大ならば其死亡はいくらとも量知るべからず誠