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【最初のほうを少しいじりましたがほぼOCRのままです】
へてかへりけり
【一休母公へ御すゝめの事 付 哥少々】
『九』一休和尚の御 袋(ふくろ)は浄土宗(じやうどしう)にて有しとかや。一休つ
ねにかな法語(ほうご)書てつかはし。又は水 鏡(かゞみ)といふさうしをいた
りて道をしへ給へ共。しか〳〵御さとりもなく。明暮たゞ
念仏のみにて過し給ふ。一休きこし召。一段の御心入也
念仏にても仏にならせ給はんことはうたがひなけれ共此
御所より愚 僧(そう)が庵へ御出あらんに何のうたがひなく御
出あるべし。是よく常々道をしり給ふゆへに。苦(く)もなく
うか〳〵とありき給ひても。庵(いほり)へは御出ある也。又かたへ夷人
が我庵を尋来らんに。いか程道にまよひても我等が庵
ある上は何れたづねあふなり。その尋ぬるまでの心ぐるし
き分が迷ひなりと仰られければ。しからば何にてもしめ
し給へと仰られける。一休さあらば一句申てみんとて
目なしとぢ〳〵こゑについてましませ
皆人の恨とやらむいふことを悟る其ならひはじめ
に父母もなくとつと已前の我身は何なると申すに
いかにしてもしらぬことが申さるべきかと云といふものは
何ものぞといへともといふものをしらずとことがむるものもの意
しらず。しかれば天迦弥陀はよしなのとはずがたりやと
いふものはとはずかたりかといひければ一點しており
ける此心を見たまへと仰られければ御袋のいはく
いへばいへばいはいはねはむねにきはがれて