翻刻
【右丁】
地(ち)を擇(えら)ひ同六年正月 始(はしめ)て采邑(さいいう)の地(ち)に當社(たうしや)を営建(えいこん)し金王(こんわう)
麿(まろ)迄(まて)代々(よゝ)氏神(うちかみ)と称(しよう)し尊重(そんしう)嚴(おこそか)なりけるとそ別當(へつたう)は天台宗(てんたいしう)
にして渋谷山(しふやさん)東福寺(とうふくし)と号(かう)す六孫王(ろくそんわう)経基(つねもと)の開創(かいさう)に
して昔(むかし)は親王院(しんわうゐん)と呼(よひ)しとなり開山(かいさん)は圓鎭(ゑんちん)僧正(そうしやう)と号(かう)す養和(やうわ)
元年百十一 歳(さい)にして化寂(けしやく)ありしと云々
金王麿(こんわうまろ)影堂(えいたう) 同所 向(むか)ふ叢林(さうりん)の中(うち)にあり八幡宮(はちまんくう)社記(しやき)に云(いは)く
金王麿(こんわうまろ)十七 歳(さい)の時(とき)主君(しゆくん)義朝(よしとも)の命(めい)により鎌倉(かまくら)に赴(おもむ)く頃(ころ)其(その)母(はゝ)
別(わか)れを惜(をし)み悲歎(ひたん)の涙(なんた)に沈(しつ)む依(よつて)金王麿(こんわうまろ)自(みつか)ら姿(すかた)を造(つく)りと母(ほ)
堂(たう)の許(もと)に残(のこ)しとゝめけると云々《割書:其(その)像(さう)は鐡衣(てつひ)二刀(にたう)を|帯(たい)する容形(かたち)なり》
《割書:按(あんする)に金王麿(こんわうまろ)祖先(そせん)は髙望王(たかもちわう)より五代の後裔(こうえい)村岡(むらをか)五郎 良文(よしふん)か曾孫(そうそん)秩父(ちゝふ)別當(へつたう)|武基(たけもと)の子(こ)同十郎 武綱(たけつな)其子(そのこ)を六郎 基家(もといへ)といへり此時(このとき)に至(いた)り始(はしめ)て渋谷(しふや)を以(もつ)て》
《割書:氏(うち)とす同く一子(いつし)重家(しけいへ)河崎(かはさき)平三太夫 後(のち)従五位下(しうこゐけ)に任(にん)し土佐守(とさのかみ)と云(いふ)嗣(つき)なきをうれへ|當社(たうしや)八幡宮(はちまんくう)に祈請(きしやう)し奉(たてまつ)り永治(えいち)元年一子を得(え)たり八月十五日に生(うま)る金剛夜叉(こんこうやしや)明(みやう)》
《割書:王(わう)の化身(けしん)なるよし靈示(れいし)あるを以(もつ)て上下の文字(もし)を借用(かれもち)ひて金王麿(こんわうまろ)とは名(な)つけ|けりとそ一説(いつせつ)に金王麿(こんわうまろ)は庄司(しやうし)重國(しけくに)の子(こ)なりといへとも時代(したひ)違(たか)へるに似(に)たり保元(ほうけん)》
《割書:物語(ものかたり)を以(もつ)て考(かんか)ふるに金王麿(こんわうまろ)は左馬頭(さまのかみ)源義朝(みなもとのよしとも)に仕(つか)へし童(わらは)にして度々(たひ〳〵)手(て)からをあら|はし頗(すこふ)る大功(たいこう)の者(もの)なり義朝(よしとも)平治(へいち)元年に大納言(たいなこん)藤原信頼(ふちはらのふより)にくみしてむほんを》
【左丁 絵図】
金王麿(こんわうまろ)
影堂(えいたう)