翻刻
【右丁 絵図】
金王麿(こんわうまろ)
産湯水(うふゆのみづ)
【左丁】
《割書:起(おこ)し待賢門(たいけんもん)の軍(いくさ)に打負(うちまけ)尾張國(をはりのくに)野間(のま)の内海(うつみ)にありし御家人(こけにん)長田(をさた)庄司(しやうし)忠宗(たゝむね)か|もとに落伸(おちのひ)たまひしを長田(をさた)心(こゝろ)かはりして浴室(よくしつ)に義朝(よしとも)を弑(しいし)奉(たてまつ)る金王麿(こんわうまろ)くち》
《割書:をしく思(おも)ひ走(はし)り廻(まは)りむかふ者共(ものとも)をきりふせて其後(そのゝち)都(みやこ)に登(のほ)り義朝(よしとも)の妾(せう)常盤(ときは)か|もとに参(まゐ)り其(その)ありさまをかたりて後(のち)義朝(よしとも)の跡(あと)をとふらひまゐらせんか為(ため)出家(しゆつけ)して》
《割書:諸國(しよこく)を修行(しゆきやう)し其終(そのおは)る所(ところ)をしらすとなり金王丸(こんわうまろ)より渋谷(しふや)と唱(とな)ふる歟 縁起(えんき)には|重家(しけいへ)寛治(くわんち)六年渋谷(しふや)の姓(せい)を給はると見(み)ゆれとも違(たか)へり系図(けいつ)を見(み)るに重家(しけいへ)の》
《割書:子(こ)重國(しけくに)其子(そのこ)髙重(たかしけ)其子(そのこ)金王丸(こんわうまろ)とあり社記(しやき)には重家(しけいへ)一子(いつし)なきをうれへ八幡宮(はちまんくう)へ|祈(いの)り授(さつか)る所(ところ)金王丸(こんわうまろ)といふ髙重(たかしけ)は金王丸(こんわうまろ)より後(のち)にして文治(ふんち)年中(ねんちゆう)頼朝(よりとも)時代(したい)の人》
《割書:なりと云(いふ)|こと違(たか)へり》
金王麿 (こんわうまろ)産湯水(うふゆのみつ) 同所一町はかり西(にし)の方(かた)堀(ほり)の内(うち)といふにあり
誕生池(たんしやういけ)とも号(なつ)く八幡宮(はちまんくう)の社記(しやき)に一度(ひとたひ)此(この)霊泉(れいせん)に觸(ふ)るゝ者(もの)は
齢(よはひ)千歳(せんさい)を保(たも)つと言傳(いひつた)ふとあり此辺(このあたり)すへて渋谷氏(しふやうち)居舘(きよくわん)の地(ち)
にして土人(としん)城跡(しろあと)と称(しよう)す馬(は)塲の形(かたち)築地(ついち)の跡(あと)なと存(そん)せり古井(ふるゐ)
こゝかしこにあり
《割書:東鑑 治承四年庚子八月二十六日入夜定綱盛綱| 髙綱等出筥根深山之處行逢醍醐禪師全成相伴》
《割書:之到于重國渋谷之舘乍喜禪世上之聽招于|庫倉之内密々羞膳勧下畧》
《割書:同書 養和元年八月二十七日渋谷庄司重國次男| 高重竭無貮忠節之上依令感心繰之穏便給知行》