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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 40

ページ: 40

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【右丁】  往古(そのかみ)此地(このち)の農民(のうみん)市兵衛といふもの地(ち)を穿(うか)ちて小(ちひさ)き壷(つほ)の中(うち)  より印子(いんす)の菅神(くわんしん)の像(さう)を感得(かんとく)せりといふ《割書:坐像(さそう)一寸|四五分とそ》故(ゆゑ)に此地(このち)に  宮居(みやゐ)を営(いとなみ)て鎮守(ちんしゆ)に崇(あか)むると云《割書:昔(むかし)の菅神(くわんしん)の像(さう)は賊(そく)の為(ため)に奪(うはゝ)れたり|とて今(いま)一尺はかりに石(いし)を以(もつ)て造(つく)れる》  《割書:神菅(くわんしん)の像(さう)を宮中(きうちゆう)に安置(あんち)す往古(そのかみ)神躰(しんたい)を堀穿(ほりうか)ちたりし地(ち)は封(はう)して松(まつ)を栽(うゑ)て|験(しるし)とす其(その)松(まつ)は宮居(みやゐ)より半丁斗 西(にし)の方(かた)にして今(いま)中川侯(なかかはこう)の山ゆきの中に入と云》  石剱(せきけん)《割書:同じ社地(しやち)稲荷(いなり)の小祠(しやうし)に収(をさ)む長(なかさ)二尺二寸斗 圍本(かこみもと)にて八九寸 廻(まは)りあり|往古(そのかみ)菅神(くわんしん)の霊像(れいさう)を感得(かんとく)せし時(とき)同じ土中(とちゆう)より得(え)たりといへり》 北澤(きたさは)淡島(あはしま)明神(みやうしん)社 北澤村(きたさはむら)八幡山(はちまんさん)森巖寺(しんかんし)といへる浄土宗(しやうとしう)の寺(し)  院(ゐん)に勧請(くわんしやう)す《割書:當寺(たうし)は此地(このち)八幡宮(はちまんくう)の別當(へつたう)たり故(ゆゑ)に八幡山(はちまんさん)の号(かう)あり又 森巖寺(しんかんし)|浄光院(しやうくわうゐん)と称(しよう)するは越州(ゑつしう)黄門(くわうもん)秀康卿(ひてやすきやう)の法号(はふかう)を採(とり)て寺(てら)の号(かう)と》  《割書:すと云 清誉(せいよ)上人 其(その)師(し)萬世(はんせい)上人の遺命(ゆゐめい)を奉(ほう)し慶長(けいちやう)十二年丁未四月 當寺(たうし)を|開創(かいさう)し恵心(ゑしん)僧都(そうつ)の作(さく)の座像(ささう)一尺五寸の阿弥陀如来(あみたによらい)を本尊(ほんそん)とす脇士(わきし)観音(くわんおん)》  《割書:勢至(せいし)の両像(りやうさう)は行基(きやうき)大士(たいし)の作(さく)と云 此辺(このわたり)西瓜(すゐくわ)を産(さん)す上品(しやうひん)とす世田(せた)ケ(か)谷(や)大丸の辺(あたり)|同じ西(にし)と称(しよう)せり》  祭神(さいしん)は紀州(きしう)名草郡(なくさこほり)加太(かた)の淡島(あはしま)明神(みやうしん)に同じ相傳(あひつた)ふ當寺(たうし)  開山(かいさん)清誉(せいよ)上人《割書:紀州(きしう)名草郡(なくさこほり)の産(さん)なり|故(ゆゑ)に産土神(うふすな)とす》修行(しゆきやう)成就(しやうしゆ)の後(のち)當寺(たうし)を開(かい)  創(さう)せらるゝといへりとも常(つね)に腰痛(えうつう)の患(うれひ)あり依(よつて)年月 淡島(あはしま)明神(みやうしん)に  祈願(きくわん)を篭(こめ)奉(たてまつ)り夢中(むちゆう)霊示(れいし)あるを以(もつ)て灸治(きうち)し終(つひ)に積年(せきねん)の 【左丁】  病痾(ひやうあ)を遁(のか)れたりしかは其(その)報賽(ほふさい)として紀州(きしう)加田(かた)淡島(あはしま)明神(みやうしん)の  神主(かんぬし)に告(つけ)て此(この)御神(おんかみ)を此地(このち)に勧請(くわんしやう)なし奉(たてまつ)り法樂(ほふらく)ありしと云  此故(このゆゑ)に累世(るゐせ)の住僧(ちやうそう)連綿(れんめん)として此(この)灸治(きうち)の法(ほふ)を口授(くしゆ)相傳(さうてん)し衆(しゆ)  病(ひやう)悉除(しつちよ)の為(ため)毎月三八の日 是(これ)を施(ほとこ)せり依(よつて)灸治(きうち)を求(もとめ)むとする  輩(ともから)遠(とほ)きを厭(いと)はすして此地(このち)に至(いた)る者(もの)少(すくな)からす祭礼(さいれい)は三月十九日と云 除剣難(けんなんよけ)日蓮(にちれん)大士堂(たいしたう) 同所八町斗 南(みなみ)の方 池尻村(いけしりむら)二子(ふたこ)街道(かいたう)の右側(みきかは)  常光院(しやうくわうゐん)といふ日蓮宗(にちれんしう)の寺(てら)に安置(あんち)す《割書:此寺(このてら)は日義(にちき)上人の開基(かいき)にして往(その)|古(かみ)は碑文谷(ひもんや)法華寺(ほつけし)の南坊(なんはう)なりと云》  日蓮(にちれん)大士(たいし)の木像(もくさう)は丈二寸二歩あり相傳(あひつた)ふ文永(ふんえい)八年辛未九月  十二日 相州(さうしやう)龍口(たつのくち)に於(おい)て大士(たいし)誅(ちやう)に伏(ふく)せんとせられし時(とき)刀尋(たうしん)段々(たん〳〵)  壊(ゑ)の奇瑞(きすい)あるを以(もつて)終(つひ)に北條(ほうてう)時頼(ときより)の赦免(しやめん)により誅(ちやう)を遁(のか)れて  同國(とうこく)依智(えち)に移(うつ)り本間(ほんま)六郎(ろくらう)左衛門(さゑもん)重連(しけつら)か家(いへ)に入(いり)給ふ重連(しけつら)  大士(たいし)の化(け)を尊(たふと)み大士(たいし)手刻(しゆこく)の自像(しさう)を給はらん事を乞(こふ)自(みつか)らの  像(さう)を彫造(てうさう)ありて重連(しけつら)に附属(ふそく)せられたりしを後(のち)故(ゆゑ)ありて