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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 53

ページ: 53

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【右丁】      《割書:大野新兵衛  大工 石渡|》 帯刀(たてわき)先生(せんしやう)義賢之(よしかたの)墓(はか) 大蔵村(おほくらむら)石井土(いはゐと)の内 殿山(とのやま)といふ地(ち)の東南(とうなん)《割書:北見(きたみ)|村(むら)の》  《割書:堺(さかひ)|也》農家(のうけ)清水氏(しみつうち)の宅地(たくち)の傍(かたはら)にあり《割書:清水氏(しみつうち)は清水(しみつ)冠者(くわんしや)義髙(よしたか)の後裔(こうえい)なり|と云 先(さき)に挙(あけ)たる氷川宮(ひかはのみや)梁牌(りやうはい)の中(うち)に》  《割書:清水(しみつ)源(けん)兵衛とあるは則(すなはち)|この清水氏(しみつうち)の事(こと)なりといへり》土人(としん)は大將塚(たいしやうつか)と呼(よ)へり  東鑑曰 治承四年庚子九月七日丙辰源氏木曾冠   者義仲主者帯刀先生義賢二男也義賢者久壽二   年八月於武藏國大倉舘爲鎌倉惡源太義平主被   討亡于時義仲爲三歳嬰児也乳母夫中三権守兼   遠懐之遁于信濃國令養育之云云  相傳(あひつたふ)此地(このところ)は義賢(よしかた)居舘(きよくわん)の旧址(きうし)なりし故(ゆゑ)に殿山(とのやま)の称(しよう)ありといふ  《割書:天明(てんめい)年間(ねんかん)此地(このち)の農民(のうみん)清水氏(しみつうち)義賢(よしかた)の塚(つか)をあはきたりしに石壁(せきへき)の中(うち)の|古刀(こたう)及(およ)ひ砂金(しやきん)の類(るい)を存(そん)せしとなりされと祟(たゝ)りあるにより旧(いにしへ)の如(こと)く埋蔵(まいさう)したりとなり》其後(そのゝち)大永(たいえい)  年間(ねんかん)石井氏(いはゐうち)某(それかし)法名(はふみやう)良覚(りやうかく)と云し人 京都(きやうと)より此(この)殿山(とのやま)の地(ち)に移(うつ)り住(ちやう)す  《割書:土人(としん)云く同所新坂の上 神明宮(しんめいくう)の脇(わき)に|大六天(たいろくてん)の宮(みや)あり此(この)良覚(りやうかく)の霊(れい)を祭(まつ)ると云》或(あるひは)伊田(いた)中務大輔(なかつかさのたいふ)兼紀(かねとし)と云人の居跡(きよせき)  なりともいへり   《割書:按(あんする)に石井家(いはゐけ)の先祖(せんそ)良覚(りやうかく)は武州(ふしう)久良岐郡(くらきこほり)釜利谷(かまりや)の伊丹氏(いたみうち)によりて小田原(をたはら)に属(そく)|ししはらく伊丹氏(いたみうち)を冒(をか)せる事あり然(しかる)を後世(こうせい)丹を田に誤(あやまり)り傳(つた)へて云(いふ)ならん歟(か)》 【左丁】   《割書:されと中務大輔(なかつかさのたいふ)兼紀(かねとし)と名乗(なのり)たる歟 其家(そのいへ)にも所傳(しよてん)なしといへり後世(こうせい)土人(としん)傳(つた)へ誤(あやま)る|ものなるへし又 先(さき)に挙(あげ)たる氷川明神(ひかはみやうしん)の棟札(むなふた)に石井(いはゐ)内匠頭(たくみのかみ)兼實(かねさね)とあるは良覚(りやうかく)の》  《割書:子(こ)にして其子孫(そのしそん)今猶(いまなほ)連綿(れんめん)たり|》  大神宮(たいしんくうの)祠 《割書:殿山(とのやま)の中にあり永安寺(えいあんし)より別當(へつたう)兼帯(けんたい)す神木(しんほく)は|至(いたつ)ての老松(らうしよう)にして土人(としん)乳垂(ちたれ)の松(まつ)と号(かう)す》 石井神社(いはゐのしんしや) 弦巻村(つるまきむら)より西南(にしみなみ)の方(かた)大蔵村(おほくらむら)石井氏(いはゐうち)某(それかし)か地(ち)にあり《割書:大蔵邑(おほくらむら)|古(いにしへ)荏原(えはら)》  《割書:郡(こほり)に属(そく)す明暦(めいれき)より己降(このかた)|多磨郡(たまこほり)に入たり》祭神(まつるかみ)詳(つまひらか)ならす寛永(くわんえい)年間(ねんかん)石井氏(いはゐうち)兼忠(かねたゝ)社(やしろ)を  𦾔(きう)地(ち)《割書:石井土(いはゐと)|谷(たに)と云》より今(いま)の地(ち)へ移(うつ)し奉(たてまつ)り稲荷(いなり)を相殿(あひてん)に合祭(かふさい)せり又 近世(きんせい)  故(ゆゑ)ありて同 兼昌(かねまさ)磐井(いはゐ)と齋(いはひ)の假名(かな)は違(ちか)へとも其訓(そのくん)の相似(あひに)たるを  以(もつ)て齋(いはひ)稲荷(いなり)とは称(しようちめ)せりとなり土人(としん)云(いふ)當社(たうしや)は武蔵國(むさしのくに)荏原郡(えはらこほり)二  座(さ)の内(うち)延喜式(えむきしき)神明帳(しんめいてう)に載(のせ)られたる磐井(いはゐの)神社(しんしや)是(これ)なりと《割書:石(いし)の文字(もんし)|古事記(こしき)》  《割書:日本紀(にほんき)等(とう)に伊斯(いし)或(あるひ)は伊波(いは)ともありて一字(いちし)二 訓(くん)なり土人(としん)云 磐(いは)の文字(もんし)最(もつとも)筆畫(ひつくわく)多(おほ)く|してわつらはしきか故(ゆゑ)に其便(そのへん)ならさるを厭(いと)ひて石の文字に改(あらため)たりといふ地名(ちめい)の文字》  《割書:改(あらた)めかゆる事|その例(ためし)多(おほ)し》𦾔(きう)地(ち)は今(いま)の社(やしろ)より七八町を隔(へた)てゝ同邑(おなしむら)石井土谷(いはゐとたに)と  いへるにありて其地(そのち)に甘泉(かんせん)あり武蔵國(むさしのくに)風土記(ふとき)残編(さんへん)に所謂(いはゆる)荏(え)  原郡(はらこほり)磐井(いはゐ)神社(しんしや)の辺(あたり)磐井(いはゐ)ありと記(しる)されたりは則(すなはち)此(この)霊泉(れいせん)なりと