東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 63

ページ: 63

翻刻

【右丁 絵図】 雪(ゆき)か坂(さか) 【左丁】  《割書:其餘(そのよ)重成(しけなり)の父(ちゝ)小山田(をやまた)別當(へつたう)平(たひらの)有重(ありしけ)法名(ほふみやう)寂照(しやくしよう)同(おなしく)舎弟(しやてい)榛谷(はんかや)四郎 平(たひらの)重朝(しけとも)法名(ほふみやう)諦悟(たいこ)|同 甥(をひ)の榛谷太郎 平(たひらの)重秀(しけひて)法名(ほふみやう)蓮凬(れんふう)同小次郎 平(たひらの)重秀(しけひて)法名(ほふみやう)如月(によけつ)一子(いつし)小澤(こさわ)次郎》  《割書:平(たひらの)重政(しけまさ)法名(ほふみやう)真悟(しんく)等(とう)以上五人の霊牌(れいはい)ありいつれも元久(けんきう)二年乙丑六月二十三日とあり|又 同(おな)し形(かたち)の霊牌(れいはい)に森(もり)五郎 平(たひらの)行重(ゆきしけ)法名(ほふみやう)玄理(けんり)と注(ちやう)せしものも存(そん)すれとも没卒(ほつそつ)の年》  《割書:月 忌日(きにち)を注(しる)さす追(おつ)て考(かんか)ふへし|》   《割書:按(あんする)に元久(けんきう)二年六月 北条(ほうてう)時政(ときまさ)の室(しつ)牧(まき)の方 小山(こやま)朝政(ともまさ)か讒訴(さんそ)を請(う)け重忠(しけたゝ)父子(ふし)を|誅(ちゆう)さむと計議(けいき)ありて同廿二日 由比濱(ゆひかはま)において畠山(はたけやま)六郎を誅(ちゆう)す同日 申剋(さるのこく)二俣(ふたまた)》   《割書:河(かは)において重忠(しけたゝ)愛甲(あいかふ)三郎 季隆(すゑたか)か箭(や)に中(あた)りて誅(ちゆう)せらる後(のち)小次郎(こしらう)重秀(しけひて)ならひに|郎従等(らうしうら)自害(しかい)す翌(あく)る廿三日又 鎌倉中(かまくらちゆう)騒動(さうとう)す三浦(みうら)平六兵衛 尉(せう)謀(はかつ)て榛谷(はんかや)四郎》   《割書:重朝(しけとも)同(おなしく)嫡男(ちやなん)太郎(たらう)重季(しけすゑ)次郎 秀重等(ひてしけとう)を経師(きやうし)か谷(やつ)に誅(ちゆう)す稲毛(いなけ)入道(にふたう)は大河戸(おほかはと)|三郎か為(ため)に誅(ちゆう)せらる子息(しそく)小澤(こさは)次郎 重政(しけまさ)は宇佐美(うさみ)与一(よいち)に誅(ちゆう)せらるゝ由(よし)東鑑(あつまかゝみ)に》   《割書:見えたり何(いつ)れも此時(このとき)死亡(しはう)の人々にして重成(しけなり)の一族(いちそく)なる故(ゆゑ)に當寺(たうし)に霊牌(れいはい)を置(おき)|たるへし又 按(あんする)に榛谷(はんかや)太郎(たらう)當寺(たうし)霊牌(れいはい)には重秀(しけひて)とあり大系図(おほけいつ)東鑑(あつまかゝみ)等(とう)には》   《割書:重季(しけすゑ)とす同(おなしく)小次郎 霊牌(れいはい)には重秀(しけひて)とし大系図(おほけいつ)には季重(すゑしけ)に作(つく)る猶(なほ)可考(かんかふへし)|》   一室圓如大禪定尼    建久六乙卯年七月上四日  《割書:かく注(ちゆう)せし霊牌(れいはい)もあり寺僧(しそう)も其人(そのひと)をしらすといへり東鑑(あつまかゝみ)に因(よつ)て考(かんかふ)るに即(すなはち)稲毛(いなけ)|三郎(さふらう)重成(しけなり)の室(しつ)なる事 明(あきら)けし》  《割書:東鑑曰 建久六年乙卯六月二十八日辛巳稻毛三|郎重成妻《割書:北条殿|息女》於武藏國病惱太危急之由飛脚》   《割書:到著下略|》  《割書:同書曰 同年七月四日丙戌稲毛三郎重成妻於武|蔵國他界日來病惱頻加鵲療終被侵風痾畢重》   《割書:成不耐別離之愁頗倦勇敢心忽遂出家云云|》