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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 64

ページ: 64

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【右丁】  稲毛(いなけ)三郎(さふらう)重成(しけなりの)墓(はか)《割書:観音堂(くわんおんたう)の後(うしろ)の方 山(やま)の上(うへ)にあり小(ちいさ)き|五輪(こりん)の石塔(せきたう)にして半(なかは)土中(とちゆう)に埋(うつも)れたり》  當寺(たうし)境内(けいたい)は櫻樹(さくら)多(おほ)く春時(しゆんし)爛漫(らんまん)たり故(ゆゑ)に近邑(きんいう)の土人(としん)開花(かいくわ)の  時(とき)を待得(まちえ)て此地(このち)に至(いた)り宴(えん)を催(もよほ)し遅(ち)々たる春(はる)の日(ひ)も猶(なほ)暮(くれ)  惜(をし)く思(おも)ふなるへし 韋駄天宮(ゐたてんのみや) 廣福寺(くわうふくし)の前(まへ)の小路(こふし)を隔(へた)てゝ向(むかふ)の山(やま)の中腹(ちゆうふく)にあり廣(くわう)  福寺(ふくし)奉祀(ほうし)する所にして韋駄天(ゐたてん)の尊像(そんさう)は廣福寺(くわうふくし)の佛殿(ふつてん)に安(あん)  置(ち)せり祭礼(さいれい)は九月十五日に修行(しゆきやう)す   《割書:按(あんする)に此地(このち)の小名(こな)を稲(いな)の目(め)と称(とな)ふ或人(あるひと)云 延喜式(えむきしき)神名帳(しんめいちやう)に武蔵國(むさしのくに)男衾郡(ほふすまこほり)|稲賣神(いなのめのかみ)と云云 又(また)神名帳(しんめいちやう)頭註(かしらかき)に稲(いな)乃 賣(めの)神は稲田姫(いなたひめ)なりとあり疑(うたか)ふらくは》   《割書:當社(たうしや)往古(そのかみ)は稲乃賣社なりしを後世(こうせい)稲田姫(いなたひめ)と韋駄天(ゐたてん)とを混(こん)して誤(あやま)りたる|ならん歟(か)といへりしからは稲毛(いなけ)も又 稲(いな)の目(め)の誤(あやまり)ならん歟(か)》 升形山(ますかたやま) 廣福寺(くわうふくし)より南(みなみ)の方の後(うしろ)の山(やま)を云(いふ)稲毛(いなけ)入道(にふたう)重成(しけなり)居城(きよしやう)の  旧趾(きうし)にして山頂(やまのいたゝき)八町四方ありて升(ます)の形状(かたち)をなす故(ゆゑ)にしか号(なつ)く  重成(しけなり)は小山田(をやまた)別當(へつたう)有重(ありしけ)の子(こ)北条(ほふてう)時政(ときまさ)前腹(せんふく)の女(むすめ)の聟(むこ)たり  秩父(ちゝふ)大夫(たいふ)重弘(しけひろ)か甥(をひ)重忠(しけたゝ)徒弟(しふてい)にして頼朝公(よりともこう)の幕下(はくか)に属(そく)して 【左丁】  稲毛(いなけ)の地(ち)を所領(しよりやう)とす然(しかる)に重成(しけなり)は重忠(しけたゝ)と日頃(ひころ)不和(ふわ)なるより牧(まき)の方(かた)と  共(とも)に時政(ときまさ)に讒(さん)しけれは元久(けんきう)二年乙丑六月廿二日 重忠(しけたゝ)野心(やしん)の企(くはたて)  とて時政(ときまさ)勢(せい)を向(む)けて畠山(はたけやま)一族(いちそく)を誅伐(ちゆうはつ)す重成(しけなり)親族(しんそく)の好(よしみ)を忘(わす)れ  重忠(しけたゝ)を讒害(さんかい)せし事 天道(てんたう)に背(そむく)の罪(つみ)遁(のかれ)かたしとて終(つひ)に和田(わた)義盛(よしもり)大(おほ)  河戸(かはと)三郎 宇佐美(うさみ)与一(よいち)等(とう)をして武蔵國(むさしのくに)へ發向(はつかう)せしめ同廿四日  稲毛(いなけ)入道(にふたう)父子(ふし)を誅(ちゆう)せらるゝよし東鑑(あつまかゝみ)北条(ほふてう)九代記等(くたいきとう)の書(しよ)に見え  たり《割書:稲毛(いなけ)と称(しよう)する地(ち)尤(もつとも)廣大(くわうたい)なり登戸(のほりと)の渡(わたし)より川崎(かはさき)の辺(へん)まての地(ち)すへて稲毛(いなけ)|領(りやう)と称(しよう)して往古(そのかみ)は四萬八千石の地(ち)なりしといへり太 平記(へいき)には江戸(えと)遠江守(とほ〳〵みのかみ)同》  《割書:下野守(しもつけのかみ)伯父(をぢ)甥(をい)か所領(しよりやう)稲毛庄(いなけのしやう)十二 郷(かう)とあり又 小田原記(をたはらき)に信玄(しんけん)江戸(えと)を廻(めく)りて小田原(をたはら)へ|押寄(おしよせ)むとするといふ条下(てうか)に矢口(やくち)の渡(わたし)を舩(ふね)にてわたり稲毛(いなけ)の平間(ひらま)と云地(いふち)へわたり稲毛(いなけ)の》  《割書:十六 郷(かう)を追捕(つゐほ)すともあり又 永禄(えいろく)二年 北条家(ほふてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)に竹内(たけのうち)木月(きつき)小倉(をくら)長尾(なかを)鈴木(すゝき)小(を)|田中分(たなかふん)鹿島(かしま)田端宿(たはたしゆく)中田分(なかたふん)鹿島(かしま)田中村分(たなかむらふん)矢向(やむけ)平間(ひらま)染屋(そめや)経久(つねひさ)末長(すゑなか)久本(ひさもと)小田(をた)溝口(みそのくち)平(ひら)の村(むら)》  《割書:髙田等(たかたとう)いつれも稲毛(いなけ)の内(うち)とす證(しよう)とすへし又 同(おな)し頃(ころ)北条家(ほふてうけ)の武士(ふし)行方(なめりかた)弾正(たんしやう)明連(あきつら)か家(か)|臣(しん)田島(たしま)兵部左衛門(ひやうふさゑもん)之房(ゆきふさ)横山 式部(しきふ)弘成(ひろなり)駒林(こまはやし)図書(つしよ)定朝等(さたともとう)皆(みな)此地(このち)に住(ちゆう)したりと》  《割書:いひ傳(つた)ふ|》 飯室山(いひむろやま) 同所左の山 續(つゝき)にして山 頂(いたゝき)に七面(しちめん)冨士(ふし)浅間(せんけん)を勧請(くわんしやう)す  長者穴(ちやうしやあな)《割書:同し山の東(ひかし)の裾(すそ)にあり入口(いりくち)は一間(いつけん)四方はかりなれとも窟中(いはやのうち)甚(はなはた)廣(ひろ)く|同し程(ほと)の巖室(かんしつ)二ツ並(なら)ひてあり土人(としん)も其(その)名義(めいき)をしらすといへり》