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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 78

ページ: 78

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【右丁】    《割書:大永(たいえい)四年正月十三日 上杉(うへすき)の家臣(かしん)大田(おほた)源六(けんろく)同 源(けん)六郎 謀叛(むほん)を起(おこ)し小田原(おたはら)へ相(あひ)|図(つ)を定(さた)め氏綱(うちつな)伊豆(いつ)相模(さかみ)を引卒(いんそつ)せしに江戸(えと)の城(しろ)には上杉(うへすき)修理大夫(しゆりのたいふ)朝興(ともおき)居住(きよちゆ)》    《割書:したりしか居(ゐ)なから敵(てき)をうけむ事 武略(ふりやく)なきに似(に)たりとて品川(しなかは)小杉(こすき)へ打向(うちむけ)|て敵(てき)をまつとあるも此地(このち)の事をいへり》 山王(さんわう)権現(こんけん)社 上丸子(かみまりこ)渡口(わたしくち)より五町はかり西南(にしみなみ)道(みち)より左(ひたり)の小路(こふち)にあり  祭神(まつるかみ)大巳貴命(おほなむちのみこと)一座(いちさ)なり祭礼(さいれい)は六月十四日 神主(かんぬし)山本氏(やまもとうち)奉祀(ほうし)す  《割書:此(この)山本氏(やまもとうち)祖先(そせん)を山本(やまもと)平内(へいない)左衛門と称(しよう)す往古(そのかみ)|當社(たうしや)勧請(くわんしやう)の頃(ころ)近江國(あふみのくに)より此地(このち)に遷(うつ)り住(す)むといふ》相傳(あひつたふ)人皇(にんわう)三十代 欽明(きんめい)天皇(てんわう)の  御宇(きよう)庚申の年《割書:元年|なり》近江國(あふみのくに)坂本(さかもと)より移(うつ)しまゐらすと云 後(のち)平(たひらの)  重盛公(しけもりこう)上下の丸子(まりこ)及(およ)ひ今井等(いまゐとう)の地(ち)を當社(たうしや)の神領(しんりやう)に寄附(きふ)  ありしとなり《割書:其頃(そのころ)重盛公(しけもりこう)奉納(ほうなう)の短刀(たんとう)と称(しよう)するものあり又 重盛公(しけもりこう)の印(ゐん)と|云傳(いひつた)ふる物(もの)あれとも今(いま)秘(ひ)してみる事なしといふ》  今二十 石(こく)の神領(しんりやう)を添(そへ)給ふ《割書:文明(ふんめい)八年 當社(たうしや)焼亡(しやうもう)により|旧記(きうき)を亡(ほろほ)すといへり》小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)  の古文書(こもんしよ)二通(につう)今猶(いまなほ)存(そん)せり 羽黑(はくろ)権現(こんけん)  稲毛(いなけ)山王(さんわう)より八町はかり南(みなみ)の方 中丸子村(なかまりこむら)にあり別當(へつたう)  は真言宗(しんこんしう)にして瑠璃光山(るりくわうさん)無量寺(むりやうし)と号(かうす)相傳(あひつたふ)天正(てんしやう)年間(ねんかん)羽州(うしう)  羽黑山(はくろさん)より勧請(くわんしやう)すと云て本地佛(ほんちふつ)弥陀(みた)薬師(やくし)観音(くわんおん)等(とう)の木(もく) 【左丁】  像(さう)を安置(あんち)す行基(きやうき)大士(たいし)の作(さく)なりといへり《割書:土人(としん)云(いはく)昔(むかし)奥州(あうしう)會津(あひつ)若松(わかまつ)の|産(さん)にて小哥(こうた)三蔵(さんさう)といへる馬(うま)》  《割書:追(おひ)あり江戸(えと)に住(すみ)たりしか年久(としひさ)しく中風(ちゆうふ)の病(やまひ)に侵(おか)され半身(はんしん)不随(ふすゐ)にして竟(つひ)に非人(ひにん)と|なりて此所(こゝ)彼所(かしこ)にさまよひ歩行(あるき)其頃(そのころ)當社(たうしや)を己(おの)か栖(すみか)とせしか承應(しやうおう)三年甲午六月》  《割書:一日 山伏(やまふし)一人 来(きた)り告(つけ)て曰く汝(なんち)此(この)社殿(しやてん)にあれとも其身(そのみ)甚(はなはた)穢(けから)はし早(はや)く薙染(ちせん)して名(な)を|珎海(ちんかい)と改(あらた)むへしとなり故(ゆゑ)に姿(すかた)をあらため珎海(ちんかい)と号(なつ)く同四年乙未正月十一日 當社(たうしや)の》  《割書:御神(おんかみ)の霊示(れいし)によりて病(やまひ)全快(せんくわい)する事を得(え)たりしかは神恩(しんおん)を報(ほう)しまゐらせんか為(ため)此(この)|地(ち)にありて朝夕(あさゆふ)神前(しんせん)へ香花(かうけ)神燈(しんとう)を奉(たてまつ)り生涯(しやうかい)此(この)御神(おんかみ)に仕(つか)へ奉(たてまつ)りとなり》  華表(とりゐ)の額(かく)に羽黑(はくろ)大権現(たいこんけん)と書(しよ)せしは朝鮮國(てうせんこく)雪峯(せつはう)の筆(ふて)と云 丸子(まりこ)渡口(わたしくち) 相模(さかみ)街道(かいたう)にして其邑(そのむら)上中下に分(わか)れたり《割書:上丸子(かみまりこ)中丸子(なかまりこ)は|多摩川(たまかは)より》  《割書:西(にし)にありて橘樹郡(たちはなこほり)に属(そく)せり永禄(えいろく)二年 北条家(ほうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)に上丸子(かみまりこ)の地(ち)千葉殿(ちはとの)所領(しよりやう)|とあり又 下丸子(しもまりこ)は荏原郡(えはらこほり)に属(そく)して川(かは)より東(ひかし)にあり下丸子(しもまりこ)は布施(ふせ)善(せん)三といふ人》  《割書:領(りやう)するよし同書(とうしよ)にみゆ|》  東鑑曰   治承四年庚子十月十日以武蔵國丸子庄賜葛西   三郎清重今夜御止宿彼宅清重令妻女備御膳但   不申其實為御給構自他所招青女之由言上云云  回國雜記   まりこの里にてよめる    東路のまりこの里に行かゝりあしもやすめす急くくれかな  《割書:道奥| 准后》     駒林といへる所にいたりて云々