翻刻!地震・災害史料

コレクション: 暫定コレクション

信越大地震場所 - 翻刻

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嘉永七寅十一月四日四ツどきより伊豆下田新版   静■【脩ヵ】堂蔵 《題:信越大地震場所》 #1 信州一ノ宮 諏訪大明神  水内郡 佐久郡  高井郡 安曇郡  埴科郡 小県郡  更科郡 伊奈郡  筑摩郡 諏訪郡 #2 豆州下田 大づなみにて大地 しん家数三千三百 けんうち三十五けん のこる其外大ひに そんじ又はせん どうあまたそんじ ろうにやく男女数 しれず死すせん代 みもんの次第也 #3 信越御代官     石原清左衛門     高□【木】清左衛門     川上金之助 松代十万石     真田信濃守 松本六万石     松平丹波守 上田五万三千石     松平伊賀守 高遠三万三千石     内藤駿河守 高島三万石     諏訪因幡守 飯山二万石     本多豊後守 飯田一万七千石     堀 兵庫頭 小諸一万五千石     牧野遠江守 岩村田一万五千石     内藤豊後守 須坂一万五千二石     堀 長門守 【本文】 夫天地不時之変動は陰陽混して天にあれは雷雨なる 地にいれは地震なすアヽ神仏の応護も是をおさむる事かたし 抑信州は日本高土第一の国也郡数十郡高五十五万七千三百石 及ひ上之国にして山川多く人はしつそにして名産多く五こく 豊饒の地也然るにいか成時節にありけん頃は嘉永七年 古今未曾有の大地震にて山川変し寺之社地人家をつぶし人馬 亡失多く火災水なんにくるしむ事村里の凶へんつふさに爰に記し且は 上之御仁恵良民救助の御国恩後代にしらしめんか為にしめす尤も 十一月【三月の誤】陽気過度なる事数日□【廿】四日夜四ツ時俄に山なりしんとうなし 善光寺辺殊につよくそれ地しんといふより早く大山くつれおち水ハ あふれ地中めいとうなすより五寸壱尺又は五尺壱丈と大地さけて 黒赤のとろふき出し火ゑんのこときものもえ上り方丈客殿庫裏 宝蔵寺中十八の町の人々西門丁東門町岩石桜小路権堂丁あまねく ゆりつふされはたこや藤や平左衛門同平五郎両家に止宿の男女凡 七百廿余人外はたこや止宿老若男女凡千八百余人所之者およそ 千七十余人権堂町遊女百八十四人なり皆即死なす其夜御堂に こもり居る者あるひは一生けんめい仏号をとなへ御堂へかけ入しもの 其夜の大なんをのかれし事是まつたく三国伝来ゑんふたこんの尊像の 利益広大なる事世の人のしる所也尊むへし〳〵本堂の広間十八間おく行 三十六けん東西南北四方表門にて寺号則四ツ有東は定額山善光寺西は 不捨山浄土寺南は南めい山無量寿寺北は北宝山雲上寺天台宗寺領千石 尼寺にて由来人しる所也大かん寺山門のこる此へん北は大峯戸かくし山植松小松 しんまん寺西条吉村田子平手室飯小平落かけ小島大島新町柏原のしり赤川 関川御関所東こんとう□【問】の御所中御所あら木青木島大つか間島こしまた水沢西寺尾 田中南の方は北はら藤枝雨の宮矢代向八幡し川山田小松原こく蔵山茶臼山丹波島西は あら安かみや入山田中梅木此へん殊に夜中ゆへ其そうとう大かたならす大石にうもれ 谷川はあまり火ゑん天にのほりすさましかりけるありさま也都て乍恐 御代官御支配の分つふれ家五千三百九十軒半つふれ二千二百けん余 但し木品打くたかれ用に相□【立】すつふれ家同様にて死人凡二千七百人 けか人九人ほと馬百七十三疋牛二疋大地又めり込家数廿軒程 寺社四十六ケ所郷蔵廿二ケ所是は六万石はかりのうちなり 扨又水内郡を尋るに小ふ□【せ】神代あさの大くち【ら】かに沢今井 赤沢三つまたさかひ村茂右衛門村駒たて戸隠小泉とかり 大坪曽根北条小さかゐわらひふかさは第一飯山御城下至 きひしきちしんにて逃んとしてはころひ足たゝすあほ のけにはふよりしかたもなく老人子供は泣さけひ地はさけて砂を吹出し 山々はくつれ男女の死亡丁かたにて四百三十人其外在方多く此内丹波川 川付の村々一同におしなかし行方をしらす更級郡は内にしまはし本 大原和田古いちはかるい沢かしはら竹房今泉三水あんそこ【安庭(やすにわ)ヵ】小松原くほ寺 中のうしろ丁みな家々をこと〳〵くたおす中にも稲荷山にてつふれたる 家々は廿八日には大水にておしなかしゆくゑしれすことに岩倉山といふ高山 高さ十八九丈にて安庭村山平林むら両村の間に有此山めいとうなし あたかも大雷の如く半□両端くつれ一ケ所は三十丁一ケ所は八十丁丹波川の 上手へおし入近村一同に□□□【うつま】りこう水あふれ七八丈も高く数ケ村湖水の如く 人馬の死亡数しれす同少し北の方に六丈はかりの岩山有しか是又ぬけおち 五丁ほと川中へ押出し古屋【古宿ヵ】藤倉の両村水中へおし入〽あつみ郡の分新町と 申所三百八十軒の里こと〳〵くつふれ其まゝ出火にて焼失なし夫より大水二丈 はかり高く□□【みな】きり目もあてられぬ計りにて宮ぶち犬かひ小梅中曽根 ふみ入寺竹たゝら成金町ほそがへしうら町とゞろき村ほり金村小田井 中ぼり上下鳥羽住吉長尾柏原七日市間とべき□ぬ島池田町ほりの内 曽根原宮本草尾舟場むら等大破に及ぶ〽小さがた郡は秋和生づる 上田御城下西は新丁上小島下こじま此辺山なりしんどうなし地中 めいどうす今にも大地かさけるかと此へんの者は生たる心ちなくされど 大地のさけるほとの事はなしといへど家々はつふれけが人多く前田 手つか山田別所米沢くつかけならもと一の沢凡百四十ケ村ほど 〽ちくま郡は八まんむら辺至てつよく度々ゆりかへし人馬損し 多くほうふくち七あらし赤ぬ□【た】□【洞】村をかた町松岡ありかし水くみ 松本御城下辺百二三ケむらふるひつよく庄内田貫ちくま新町 あらゐ永田下新上新三みぞ飛騨越中さかひにわたる 〽佐久郡は小諸御城下西の方は□□□□【瀧原市町】本町与良村□□【四つ谷】 矢さき山浅間山より上しう口度々つよくゆり 川付のかた至てひどく夫より〽諏訪郡は 高島御城下大水高きは少々にて □□【八重】ばら大日向細谷平はやし 布引此へんは少々つよくゆる 〽はにしな郡は松代御じやう下 近へん二十四日よりゆりはしめ 廿九日朝晦日夕方□【迄】 三度つよくふるひ 大石をおし出し 山々くづれやしろ へんことにきびしく 人家多くつぶれ 川付下手の方山々 岩はなくづれ人家を そんじ平林かけむら 赤芝関屋西条 せきや川上下とくら 中条よこ尾いま井 ねづみ宿上下塩尻 村など同様〽高井郡の 分丹波川の東にて須坂の御じやうか中じま御ちん屋川 へりの村々ふくしま高なし中じま別府いゝ田羽場くり林 大俣辺より田上岩井安田坂井等つよくふるひ家をこわす事少からすそこよりへちご路にいたりて 廿四日よりゆりはじめ暫くつよく廿九日の丑の上こくは大へんの大ぢしんにて□【松】ききあらゐへんより くびき郡高田の御城下よりいま町中やしき春日辺人家をくづし人馬のけが等多くそのうち 信州寄の方きびしく山々は一同にくづれ水はあふれ大ばん□□□【じやく】をころがし中にも ながさは村と申小村はなさけなくも大山の為につぶれ七十人ほど地中にうつまりわづか 手足のみ相見へたりあはれと申もおろかなれ其上廿九日は□【今町】辺大なみに引入られ家 流する事少からす此たび信越二ケ国の大じしんは□□【実も】きたいの珍事にていにしへより ぢしんも数度有之といへども大地さけ泥沙を吹き出しかの山々人馬の死亡におよひ 前代未聞の凶へん也善光寺辺へ廿四日より廿五日迄きびしく□【松】代ゑちご路は七九日三十日に 至て東西二十里南北三十里山川をくづしよう〳〵地しんしづまれども山々くづれこう水あふれわうくはん人馬の通路をふさぎ且地めんさける所十間位 筋つき黒赤のどろ水ふき出し山々くつれ大石ころがりおち□【田畑】こと〴〵く変地いた用水等は欠くづれ谷川等ふるひうづまりい一面にどろ水ふき出し貯への 俵者はのこらすくづれどろ水をかぶり地中にうつまり別は中じまは大水人力にて防く事あたはす一方にて水を落し候へは一方は水なんにていかやうにも 相なるも不知西の方にて防水致せは東の方のこる村々おしながし双方とも大変にていかさま騒動にも及ばんくらゐの仕合にて然る所御見分の上御下知無之うちは双方共 手出しいたしいたし候事御差留にて早速ほり割人足共さし向ら□へどもいよ〳〵供水みなきり此辺の者は親子はなれ子にわかれ夫婦の所在もしれす庄や村役人 其外本心を取失ひ候如く跡片付の心得もなく潰家の前に家内一同雨露の手当もなくとほうにくれいはゝしきりに落涙に及相応にくらせしも米こくは 土をかぶりどろ水に入り食物の手だんもなく小者へなんぎの者は□□【たゝ打】ふしてなき入ては死かいにすがりけが人はおびたゝしく苦つうにたへかね罷在いづれの村々も同やうにて たがひにたすけ合ちからもなく差当り食事□【に】さしつかへ呑水かねて用水を持居ても皆どろ水にてきかつに及あはれといふもおろか也水内高井の両郡田畑七八か分 つぶれ家をつぶし道具を失ひ候分八分にて此上いかやうのま水も成へくはかりかたく川つきの村々山林に退去いたし候やはり山々も日々鳴どういたし水勢雷 のことくにて一時に切候へば又々水災わかりかたく諸方御手配有しに四月十三日夕七時俄に山谷めいどうなし水押ぬき左右の土手を切堤の上をのりこし川中島は 中に不及さい川へ逆水おし入なか〳〵防事かなはす松代御城□【下】辺迄水みちて川そへ村々を押なかし高さ二丈計り作物はもちろん溺死人けか人多村々古今 まれなる事にて凡三百余ケ村をながし二十四日より火災又々斯□【水】なんはたとへんかたもなく男女死亡の者惣高二万余人也けが人其数しれす馬五百七十二疋牛 二十二疋也いかに天へんとは申なからかくの災害良民取つゞ□【き】成かね候程の次第然は御代官様御地頭様は慈母の子をあはれむ如く御すくひ□□□【小家を】 立 米銭はもちろん御手当あつく御れんみんの御すくひあそはされ段泰平の御めぐみありかたきこといふも恐有されば諸人御国恩をわすれんがため一紙□□□□□□【につゞるのみ】 【図中 右端】#78 このところ廿九日八ツ過大つなみ 【図中 高田の左から斜め下】 あら井  一半 まつ  さき  一り  十七丁 関の山  一り    半 ふ□□ 二り半 せき川 より のほり 【図中 善光寺の下】 柏原  一り むれ 二り 此所 山くつ れる あら町 【図中 善光寺の左上】#79 戸かくし山 此所村あまた     つぶれる 【図中 善光寺の左上 水内郡の左】#80 人多死 【図中 善光寺の左上 さい川の上】#81 安には村 土屋組 藤倉組 水に入其上 此山ぬけ落る 岩山高廿六丈よ 【図中 中央上】#82 水内郡 やまひらはやし村の  いわくら組   三十町程    川敷押出 高さ 凡十七八丈程  此村の内まこせくみ  山の下うづ   まる 【図中 中央 さい川とちくま川の間】#83 岩倉山  左右ぬける  別高山    なり   【図中 中央 さい川とちくま川の間 岩倉山の左下】#84 稲荷山  五十五間程くづれる  二十八日二十日地より  水上の人多死 【図中 上 安曇郡の左】#85 此村三百八十間 の所つふれ火事 同二十九日水 平地より二丈よ 死人多し 【図中 上 安曇郡の下】#86 粂路橋 水入る 【図中 中央左 粂路橋の下】 おみ 一り 青柳 一り 会田 一り かりや原 一り半 おかだ 一り 十八丁 【図中 ちくま川の下 松代の横】 矢代  一り半 戸倉  一り半 坂木  五り 【図中 中央左 ちくま川の下】#87 此山大にくつる  高さ十八丈よ 【図中 左下 南の右】 下のすは一り半五十八町 和田峠三り半 あだし一り八町 もち月二十二丁 わだ廿七丁 しほなだ 【注 文字が不鮮明な部分、紙が重なり見えない部分は、別版の別資料https://app.honkoku.org/transcription/65080E4B6E68358C0A7EE3B71A23BE62/1を参照した】

現代語訳

嘉永七年(1854年)寅年十一月四日四つ時より 伊豆下田新版 静脩堂蔵 《題:信越大地震の場所》 【信濃国の郡】 信州一ノ宮 諏訪大明神 水内郡 佐久郡 高井郡 安曇郡 埴科郡 小県郡 更科郡 伊奈郡 筑摩郡 諏訪郡 【伊豆国下田の被害】 大津波によって大地震が起こり、家数三千三百軒のうち三十五軒のみ残り、その他は大いに損じ、また船頭も多数損じ、老人や男女の数知れずが死に、千代に聞いたことのない次第である。 【信越地方の代官・大名】 信越御代官:石原清左衛門、高木清左衛門、川上金之助 松代十万石:真田信濃守 松本六万石:松平丹波守 上田五万三千石:松平伊賀守 高遠三万三千石:内藤駿河守 高島三万石:諏訪因幡守 飯山二万石:本多豊後守 飯田一万七千石:堀兵庫頭 小諸一万五千石:牧野遠江守 岩村田一万五千石:内藤豊後守 須坂一万五千二石:堀長門守 【本文】 そもそも天地の異常な変動は陰陽が混じって、天にあれば雷雨となり、地にあれば地震となる。ああ、神仏の加護もこれを鎮めることは困難である。そもそも信州は日本第一の高地の国で、郡数は十郡、石高五十五万七千三百石に及ぶ上国であり、山川が多く人は質素で名産が多く、五穀豊穣の地である。 しかしながら、どのような時節であったのか、嘉永七年、古今未曾有の大地震によって山川が変じ、寺社や人家を潰し、人馬の死亡が多く、火災や水害に苦しむこと、村里の凶変をつぶさにここに記し、また上(幕府)の仁恵による良民救助の国恩を後代に知らしめるために示すものである。 十一月二十四日夜四つ時(午前2時頃)、俄かに山鳴りと振動があり、善光寺辺が殊に強く、それは地震というより早く大山が崩れ落ち、水があふれ、地中が鳴動し、五寸一尺、また五尺一丈と大地が裂けて黒赤の泥が吹き出し、火炎のようなものが燃え上がった。 方丈、客殿、庫裏、宝蔵、寺中十八の町の人々、西門町、東門町、岩石、桜小路、権堂町がことごとく揺り潰され、旅籠屋藤屋平左衛門、同平五郎両家に宿泊の男女約七百二十余人、その他旅籠屋宿泊の老若男女約千八百余人、地元の者約千七十余人、権堂町遊女百八十四人が皆即死した。 その夜御堂に籠もって居た者や、一生懸命仏号を唱えて御堂へ駆け入った者は、その夜の大難を逃れることができた。これはまったく三国伝来の阿弥陀如来の尊像の利益が広大なことを世の人の知るところである。 【地域別被害状況】 善光寺周辺では、御代官御支配の分で、潰れ家五千三百九十軒、半潰れ二千二百軒余り、死人約二千七百人、怪我人九千人、馬百七十三匹、牛二匹、大地に埋もれた家数二十軒程、寺社四十六ヶ所、郷蔵二十二ヶ所が被害を受けた。 水内郡では飯山城下が特に激しく、男女の死亡は四百三十人、その外在方も多数。丹波川流域の村々は一斉に押し流され行方不明となった。 更科郡では稲荷山にて潰れた家々は二十八日には大水によって押し流された。岩倉山という高山(高さ十八、九丈)が鳴動して崩れ、丹波川の上流を堰き止めて大洪水を起こし、人馬の死亡数知れず。 安曇郡では新町という所の三百八十軒がことごとく潰れ、そのまま出火して焼失。その後大水が二丈ほど高くなり、多くの村が大破に及んだ。 小県郡では上田城下で山鳴りと振動があり、地中が鳴動したが、大地の裂けるほどのことはなかった。しかし家々は潰れ、怪我人が多く、約百四十ヶ村ほどが被害を受けた。 筑摩郡では八幡村辺が至って強く、度々揺り返し、松本城下辺百二、三ヶ村が強く揺れた。 佐久郡では小諸城下西の方、浅間山より信州口で度々強く揺れ、川沿いの方が至って激しかった。 諏訪郡では高島城下で大水はそれほど高くなく、この辺は少々強く揺れた程度。 埴科郡では松代城下近辺で二十四日より揺れ始め、二十九日朝、晦日夕方まで三度強く震え、大石を押し出し山々が崩れた。 高井郡では須坂城下、中島、川沿いの村々で家を壊すこと少なからず。 この度の信越二ヶ国の大地震は実に稀代の珍事で、古来地震も数度あったといえども、大地が裂け泥砂を吹き出し、山々と人馬の死亡に及ぶのは前代未聞の凶変である。 四月十三日夕七時、俄かに山谷が鳴動し、水が押し抜けて川中島一帯が水に浸かり、松代城下辺まで水が満ちて川沿いの村々を押し流した。約三百余ヶ村を流し、男女死亡者総計二万余人、怪我人その数知れず、馬五百七十二匹、牛二十二匹が死んだ。 このような災害に対し、御代官様、御地頭様は慈母が子を憐れむように御救いの手当を厚く、御仁政の御救いをなされ、太平の御恵みありがたいことを、諸人が国恩を忘れないために一紙に記すものである。

英語訳

From the 4th hour of the 11th day, 11th month, 7th year of Kaei (1854), Year of the Tiger New edition from Izu Shimoda, published by Seishūdō Title: "Locations of the Great Shin'etsu Earthquake" **Provinces of Shinano** Shinshū Ichinomiya Suwa Daimyōjin (Shrine) Counties: Minochi, Saku, Takai, Azumi, Hanishina, Chiisagata, Sarashina, Ina, Chikuma, Suwa **Damage in Izu Shimoda** Due to a great tsunami and earthquake, out of 3,300 houses, only 35 remained. The rest suffered great damage. Many boatmen also perished, and countless elderly people, men and women died - an unprecedented disaster. **Governors and Daimyo of Shin'etsu Region** Governors: Ishihara Seizaemon, Takagi Seizaemon, Kawakami Kinnosuke Various domains listed with their lords and rice yields, from Matsudai (100,000 koku) to Suzaka (15,002 koku) **Main Text** Abnormal changes in heaven and earth occur when yin and yang mix - in heaven creating thunder and rain, on earth causing earthquakes. Even the protection of gods and Buddha finds it difficult to calm such events. Shinano Province is Japan's premier highland region, with ten counties and a total yield of 557,300 koku of rice. It is an excellent province with many mountains and rivers, frugal people, abundant local products, and fertile land for the five grains. However, in the 7th year of Kaei, an unprecedented great earthquake transformed mountains and rivers, destroyed temples, shrines, and homes, caused many deaths of people and horses, and brought suffering through fire and flood disasters. On the night of the 24th day of the 11th month, at the 4th hour (around 2 AM), suddenly there was mountain rumbling and tremors. The Zenkōji area was particularly severe. Rather than just an earthquake, great mountains collapsed, water overflowed, the ground roared, and the earth split five inches to one foot, or even five feet to one jō (about 3 meters), spewing black and red mud while flame-like phenomena blazed upward. The main hall, guest hall, kitchen, treasure house, and eighteen temple districts - including Saimon-chō, Tōmon-chō, Iwaseki, Sakura-kōji, and Gondō-chō - were completely shaken and destroyed. Approximately 720 men and women staying at the inns Fujiya Heizaemon and Heigoro, plus about 1,800 other inn guests of all ages, roughly 1,070 local residents, and 184 courtesans from Gondō-chō all died instantly. Those who had taken refuge in the main hall that night or desperately chanted Buddhist prayers while rushing into the hall escaped the great disaster. This was entirely due to the vast benefits of the venerated Amida Buddha statue transmitted through three countries. **Regional Damage Reports** - Zenkōji area: 5,390 completely destroyed houses, over 2,200 half-destroyed, approximately 2,700 deaths, 9,000 injured, 173 horses and 2 cattle lost - Minochi County: 430 deaths, many villages along the Tamba River swept away - Sarashina County: Houses in Inariyama were swept away by flood on the 28th; Mount Iwakura (18-19 jō high) collapsed, causing massive flooding - Azumi County: All 380 houses in Shinmachi destroyed, then burned, followed by floods 2 jō high - Various other counties reported significant damage with collapsed houses, injuries, and deaths This great earthquake in the two provinces of Shin'etsu was truly a rare catastrophe. While earthquakes have occurred throughout history, never before had the earth split open spewing mud and sand, with such massive destruction of mountains and loss of human and animal life. On April 13th at 7 PM, mountains and valleys suddenly roared, water burst through, flooding the Kawanakajima area up to Matsudai castle town, washing away riverside villages. Approximately 300 villages were flooded, with total deaths exceeding 20,000 people, countless injuries, 572 horses and 22 cattle lost. In response to such disasters, the governors and domain lords showed mercy like mothers caring for children, providing generous relief aid and benevolent rescue efforts. This record serves so that people will not forget the nation's benevolence during these peaceful times.