東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 1

日光山志 - 翻刻

日光山志 - ページ 162

ページ: 162

翻刻

【右丁】  さるゆゑ瀧(たき)を眺望(てうばう)すべき所(ところ)なく瀧邊(ろうへん)より二三十 間(けん)程(ぼと)も東 寄(より)に  懸崕(けんがい)に差出(さしいで)たる危岩(きがん)あり藤蘿(とうら)を捫(とり)て其磐(そのいは)の上(うへ)へ下(くだ)り藤蘿(とうら)を力(ちから)  にし持(もち)て頭(かしら)を延(のべ)ながら飛流(ひりう)する水㔟(すゐせい)を覘見(のぞきみ)るばかり直下(ちよくか)する  激㔟(げきせい)遥(はるか)に下(くだ)る水烟(すゐえん)雲霧(うんむ)盤渦(ばんくわ)として分(わか)ちがたし華嚴瀧(けごんのたき)と名附(なづく)るは  縁起(えんぎ)にいふ此山中有瀑則湖水流泒青巒髙嵸紅日早照清瀧近遠岩  上繁花芬々恰如㴠錦似嚴瀧因名華嚴瀑《割書:云| 云》此(この)蕐嚴瀑(けごんのたき)あるゆゑ  又(また)深沢(みさは)に方等瀧(はうとうのたき)般若瀧(はんにやのたき)の名(な)も起(おる)れる欤 冠木門(かぶきもん) 中禅寺(ちゆうぜんじ)境内(けいだい)入口(いりくち)なり此門(このもん)の名(な)を合門(がふかど)とも称(しよう)すといふ 巫女石(みこいし) 華嚴瀧(けごんのたき)へ行所(ゆくところ)の路傍(ろばう)にあり其(その)かたち巫女(ふぢよ)の立(たち)たる貌(かたち)なり石(いし)  と化(け)したるいはれは巫女(ふじよ)は神(かみ)に仕(つか)ふるものなれど當山(たうざん)は牛馬(ぎうば)女人(によにん)  禁断(きんだん)の地(ち)へ登(のぼ)りけるゆゑ神罸(しんばつ)を蒙(かうふ)り忽(たちまち)に立(たち)すくみて石(いし)と成(なり)しと云傳(いひつた)ふ 牛石(うしいし) 冠木門(かぶきもん)に至(いた)る路傍(ろはう)にあり牛(うし)の卧(ふし)たる貌(かたち)に似(に)たり七尺五六寸 【左丁】  に六尺 許(ばかり)脊(せ)の高(たか)き所(ところ)三尺 程(ほど)是(これ)も巫女石(みこいし)の如(ごと)く牛馬(ぎうば)を禁(きん)ずる山(さん)  上(しやう)へ牽來(ひききた)れるが忽(たちまち)に四足(しそく)すくみて石(いし)となれる由(よし)鼻(はな)と覚(おぼ)しき穴(あな)  有(ある)所(ところ)へ藤(ふぢ)もて繋(つなぎ)たる趣(おもむき)になせり 男躰山禅頂小屋(なんたいざんぜんぢやうのこや) 毎年(まいねん)七月朔日より同七日 朝迄(あさまで)禅頂(ぜんぢやう)する行人(ぎやうにん)数(す)  千(せん)登山(とうざん)し此(この)小屋(こや)に篭(こも)り居(ゐ)て種(しゆ)〻(〴〵)行法(ぎやうぼふ)を修(しゆ)して中禅寺上人(ちゆうぜんじしやうにん)とて  衆徒(しゆと)の内(うち)より年番(ねんばん)に當(あた)れる僧(そう)先達(せんだつ)し七日の早朝(さうてう)より登山(とうさん)す尤(もつとも)  七月朔日 此所迄(このところまで)登(のぼ)れる以前(いぜん)四十八日 別火(べつくわ)し垢離(こり)をとり日(ひ)〻(ゞ)行(きやう)  する事(こと)終(をはり)て此所(このところ)へ登(のぼ)ることなり朔日より七日 迄(まで)御賄(おんまかなひ)は【平出】  御門主 御方(おんかた)より下(くだ)さるといふ小屋(こや)数(かず)凢(およそ)二十 棟(むね)餘(よ)區別(くべつ)し番附(ばんづけ)にし  て五拾 番迄(ばんまで)有(あり)て湖水(こすゐ)の邊(へん)より鳥居(とりゐ)の前後(ぜんご)或(あるひ)は別所(べつしよ)の傍(かたはら)其餘(そのよ)所(しよ)〻(〳〵)  に散在(さんさい)せり 中禅寺別所(ちゆうぜんしのべつしよ) 三重塔(さんぢゆうのたふ)の東 寄(より)にあり弘法大師(こうぼふだいし)の記文(きぶん)を考(かんがふ)るに勝道上人(しようだうしやうにん)

現代語訳

【右丁】 そのため滝を眺望すべき場所がなく、滝の辺りから二、三十間ほど東寄りに、断崖に突き出た危険な岩がある。藤蔓を掴んでその岩の上へ下り、藤蔓を力として持ちながら頭を伸ばして、飛び流れる水勢を覗き見るばかりである。直下する激流は遥か下まで続き、水煙と雲霧が渦巻いて見分けがつかない。華厳滝と名付けるのは、縁起に言うところでは「此山中有瀑則湖水流泒青巒髙嵸紅日早照清瀧近遠岩上繁花芬々恰如㴠錦似嚴瀧因名華嚴瀑」とある。この華厳瀑があるゆえに、また深沢に方等滝、般若滝の名も起こったのであろう。 冠木門 中禅寺境内の入口である。この門の名を合門とも称するという。 巫女石 華厳滝へ行く道の路傍にある。その形は巫女が立った姿である。石と化したいわれは、巫女は神に仕えるものであるが、当山は牛馬女人禁断の地へ登ったため、神罰を被り忽ち立ち竦んで石となったと言い伝えている。 牛石 冠木門に至る路傍にある。牛が臥した姿に似ている。七尺五、六寸 【左丁】 に六尺ばかり、背の高い所は三尺ほど。これも巫女石のように、牛馬を禁ずる山上へ牽いて来たが忽ち四足が竦んで石となったという。鼻と思しき穴がある所へ藤で繋いだ趣にしてある。 男体山禅頂小屋 毎年七月朔日より同七日朝まで禅頂する行人数千人が登山し、この小屋に籠って種々の行法を修する。中禅寺上人といって衆徒の内より年番に当たった僧が先達し、七日の早朝より登山する。もっとも七月朔日にこの所まで登る以前、四十八日間別火して垢離を取り、日々行をすることを終えてからこの所へ登ることになる。朔日より七日まで御賄は御門主御方より下されるという。小屋数およそ二十棟余り、区別して番付にして五十番まであって、湖水の辺より鳥居の前後、或いは別所の傍、その余の所々に散在している。 中禅寺別所 三重塔の東寄りにある。弘法大師の記文を考えると勝道上人